師走に入ったから、というわけでもないんですけど、いろいろ雑用が多くって。
ではさっそく、ちゃららー、のつづきをば。
ちゃららー、ちゃららー、間尺に合わん仕事したのう、とはいうものの、お仕事そのものは大変よくできたお仕事で、名張市の名をおおいに高からしめたものでしたが、それはあくまでも外部の話で、名張市内にはお仕事を理解できる人間がいなかった、つまり、次に全然つながんない、すなわち、いくら尻ぬぐいしても尻ぬぐいの意味がない、要するに、尻ぬぐいしたときだけきれいになってもすぐにまた尻が汚れはじめる、人呼んでシジフォスの尻ぬぐい、なんちゃって。
とか喜んでる場合じゃないんですけど、毎日新聞にこんな記事が掲載されました、と話題を変えてみる。
▼毎日jp:支局長からの手紙:名張の戦後作家 /三重(2012年12月3日)
いやー、懐かしい、とかこんな話ばっかですけど、奥田継夫さんのお名前もまた、じつに懐かしい。
そういえば、名張市立図書館の目録の一冊目のことを、奥田さんにご紹介いただいたことがあったっけ、と思い出し、その程度のことは私のサイトを調べれば瞬時に判明するわけですが、調べてみれば1998年1月11日の日本経済新聞、「読書日記」というコラムで「不思議なムード漂う『乱歩文献』」と題してご紹介いただいておりました。
この記事のコピーを探し出すのはかなりの難事なのですが、私のサイトに一部引用してありましたので、それを再引用しておきます。
名張市立図書館の『乱歩文献データブック』を読んで不思議で複雑な気分になった、と書き出されたあと──
複雑な気持といったのは伊賀の名張はぼくの第二の故郷で、新制中学第一期生としてここで『怪人二十面相』にわくわくした一方、『陰獣』など、少年には理解不能な短編も読んだ。何ということのない疎開先の家に乱歩の本があったのも、彼がここ生まれだったからだろう。この本によると、乱歩作品の文献点数は、『二銭銅貨』発表の大正十二年以来、開戦敗戦の二年をのぞく七十二年間に三千八百三十二点に達している。こんな事の他、さまざまな貴重な発見もできるが、緻密な仕事と造本の美しさが光っていて、本造りにかかわった編集子(中相作)の息吹きが伝わってくる。
きけば、装丁用紙書体に至るまで「メジャーとちがう本造りを志向した」とのこと。この言葉は大阪ヨーロッパ映画祭のために年末に来日していたヴィム・ヴェンダース監督の「ハリウッドとはちがう映画を勇気を持って作り続ける」と、軌を一にしている。
どうだこら。
てめーら名張のヴィム・ヴェンダースなめてんじゃねーぞこら。
そんなことはいいんですけど、私ったら、もうすっかり忘れてますけど、なんだかすごいこといってたみたいです。
奥田さんは当時、大阪のキタでカウンターだけの飲み屋を経営していらっしゃって、私もときどき顔を出してましたから、たぶんそのときに口走ったんでしょうけど、メジャーとちがう本づくり、といえばたしかにそうで、メジャーかマイナーか、というよりも、そもそも目録なんて商業出版には不向きな本なわけです。
死ぬほど労が多くして、売れる見込みはまったくない。
だから、たとえば公立図書館が税金でつくる、みたいなことが必要になるわけです。
でもって、それが、世にいう情報発信、ってことになるわけです。
きょうびはもう、猫も杓子も、みたいな感じで、どんな田舎の自治体におじゃまいたしましても、じょーほーはっしん、じょーほーはっしん、じょーほーはっしん、の大合唱。
しかし、そのほとんどがインチキと呼ぶべきものであって、要するにまあ、発信に値する情報もないくせに、うわっつらだけじょーほーはっしんじょーほーはっしんと叫んでるだけの話です。
小つまらぬご町内イベントをぶちかましただけで、それがどうして情報発信になるのか。
発信した情報とやらを、いったいだれが受信したというのか。
しかし、質の高い情報をなんらかの手段で発信したら、それを必要としているひと、受信してくれるひとは必ず存在しているわけであって、その一例が名張市立図書館の目録だったわけです。
とはいえ、名張市立図書館にはそんなこと、全然わかっておりませんでした。
長きにわたって収集した乱歩関連資料、集めて飾っとくことが資料収集なのである、などととんでもない心得ちがいをしておりましたので、そこで私の尻ぬぐいが必要だった、という寸法です。
それにしても、よりにもよって図書館と名のつくところが、資料の体系化にまったく意を用いない、ってのはまたずいぶんな話で、はっきりいって異常事態なわけなんですけど、なんでそんなことがまかり通っていたのか、あらためてとてもふしぎに思われます。
というか、方針も基準もなく、もとより目的も明確にできない状態で、それでも購入することだけは山ほど購入していたわけですから、たとえば古書目録をうちながめ、乱歩関連資料をみつけたときに、これは所蔵している、これは所蔵していない、といった判断は、どんな方法でおこなっていたのでしょうか。
目録、とまでは行かなくても、リスト、あるいは、いちらんひょー、みたいなものを作成することがどうしたって必要だったと思われる次第ですが、ほんと、ふしぎでしゃーない。
ともあれ、名張市立図書館が死蔵していた乱歩関連資料を体系化し、質の高い情報を盛りこんだ目録を発行する、というのが私の進めた尻ぬぐいであって、それがすなわち情報発信というやつなわけです。
実際、名張市が発信できる情報のなかで、コンテンツとしての知名度の高さからいっても、あるいは、情報量の豊富さからいっても、名張市立図書館が収集した乱歩関連資料は突出した価値を有していると思われるのですが、かんじんの名張市立図書館が、乱歩にかんする情報発信をいっさいしようとしません。
これもまた、ふしぎでしゃーないことなんですけど、私にはどうしようもありません。
どうしようもないから、げんに、どうにもなってないわけです。
私としては、名張市立図書館が発行した目録が如実に示しているとおり、乱歩の自己収集を継承するべきだと思いますけど、名張市立図書館には、乱歩の自己収集、というのがどんなものなんだか、理解できません。
だったら独自に、乱歩関連資料収集の方針や基準を明確にしてみなさい、とアドバイスしてみても、それもできない。
こんな状態では、インターネットを利用した情報発信、なんてことはとても無理です。
紙の本の目録つくって、奥田継夫さんをはじめとして少なからぬみなさんからそこそこの評価を頂戴したわけですから、それを次につなげる意味でも、ふつうにネット展開が進められるであろう、と私は考えていたわけですけど、つながんないつながんない。
尻ぬぐいが次のステップに全然つながんない。
ただまあ、そういた方向性というやつは、私が決定することではなく、いくら提案してみたところで、いたしませんッ、のひとことで提案もなにもすっ飛んでっちゃうわけなんです。
げんに、すっ飛んでっちゃったもの。
とはいえ、それも無理からぬところではあって、開館当初の時点でそこらの高校の図書委員でも考えられることを考え、それを図書館内で共有し、こつこつ地道に実行していったら……
いやいや、そんなことはまあいいとして、奥田継夫さんの話題に戻りますと、質の高い情報を発信したら、それを受信して、さらに再発信してくれるひとがいらっしゃるわけで、奥田さんにお書きいただいた日経のコラムはその一例にほかなりません。
日経のコラムで名張市立図書館の目録をご紹介いただいた、ということは、二次的な効果として、名張市の名前もまた全国に発信することができた、ということになるわけで、インチキでない情報発信にはそうしたおまけも期待できます。
つか、名張市なんて結局、乱歩の名前を利用して名張市の名前を売りたいだけの話なんですけど、インチキな情報発信しかできませんから滑ってばかり。
質の高い情報発信が可能な名張市立図書館も、みずからが所有している情報の価値の高さが理解できませんから、結局なにもしようとしない。
要するにまあ、とどのつまり、名張市にはこんなことしかできない、というわけでしょう。
しかしほんとにね、目録三冊つくったりなんやかんやしてるあいだに、乱歩が生まれた土地として名張市の名もまた少しずつ知られ、名張市という自治体にたいして全国の乱歩関係者も親しみをおぼえ、信頼を寄せてきてくださっていたところへ、いきなりこれはひどかったな。
九仞の功を一簣に虧く、とはこのことか。
ちょっとちがうか。
ちがってもいいけど、ちゃららー、ちゃららー、間尺に合わん仕事したのう。
たったひとりで尻ぬぐいの最前線に立った人間としては、そう思わざるをえません。
Powered by "Samurai Factory"