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平成24・2012年11月9日 読売新聞社
小林信彦さん、「原点」つづる新刊「四重奏」
佐藤憲一
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作家・小林信彦さん(79)=写真=は作家デビュー前の26歳から30歳まで、翻訳推理小説誌の編集長を務めていた。その原点を振り返った新刊『四重奏 カルテット』(幻戯書房)には、新しい文化を作ろうと男たちがもがいていた昭和30年代の、ほろ苦い青春群像が浮かぶ。
「漠然とこの4作が連なって一つの世界を作れると思っていたら、編集者からいい話が来て……」。1971年から2009年まで、文芸誌などに発表してきた中編4作を今回まとめた理由をそう説明する。
小林さんは、推理小説専門誌「宝石」に改革案を送ったことから、経営に参画していた江戸川乱歩と知り合い、1959年、宝石社が創刊した「ヒッチコックマガジン」の編集長となった。薄給で人間関係にも苦労しながらの体験が、四つのフィクションに投影されている。「当時は推理小説は格下とみられ、直木賞をとることもなかった。今との違いに、世の中の移り変わりの速さを感じます」
晩年の乱歩をモデルにした「半巨人の肖像」では、書けない鬱屈うっくつや病の悩みを抱えた大作家の孤独が印象的だ。「相当くたびれてはいたが、乱歩さんの存在感はやはり大きかった」。「夙川しゅくがわ事件」や「隅の老人」では戦前の名編集者だった男の思い出話を通し、昭和初めの伝説的モダニズム雑誌「新青年」の時代にもさかのぼる。雑誌という文化発信のメディアで、編集者や翻訳家の野心や嫉妬がぶつかり絡み合ってゆく。
「ヒッチコックマガジン」の編集では、「米の『プレイボーイ』誌のスマートさと、『新青年』の手法に学んだ」という。雑誌は4年の短命に終わったが、パロディーを取り入れた都会的センスは、その後の若者雑誌に影響を与えた。
売り上げに一喜一憂する日々を送り、終刊前に宝石社を去った小林さんは、「お金が回っていない推理小説の世界は、明るくはなかった」と振り返る。ただ、退社の顛末てんまつをモデルにしたとみられる「男たちの輪」では、業界の複雑な利害関係に翻弄された、主人公と無頼派的な翻訳家の心の交流に救われる。「その友情が描きたかった」(文化部 佐藤憲一)
(2012年11月9日 読売新聞)
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