きょうは肌寒い朝となりました。
きのうの朝はよく晴れて、おとといがこんなお天気だったらよかったのに、と思わされました。
というのも、おとといの28日は名張のまちで秋祭りが営まれていたのですが、あいにくの雨。
まちの氏神さまの祭礼が日曜に重なる、というラッキーな年だったのに、残念な結果となりました。
それにしても、去年もおととしも、名張のまちの秋祭りは雨にたたられてなかったっけ?
これはもしかしたら、秋祭りが雨にたたられてる、というようなレベルの話じゃなくて、名張のまちがなにものかにたたられている、ということなのではないかしら。
おっそろしい話だなあおい。
そんなことはともかく、おとといのその前の日、つまり27日の夜は客人があって盛りあがったのですが、いやー、鬱だ、鬱だ、と思い悩みながらめいっぱい盛りあがると、その翌日は二日酔いがひどくてよけい鬱になる、ということがわかりました。
たまりませんなまったく。
それはそれとして、つづき。
なんでここまで、あれこれ思い悩んで鬱にならなきゃならんのか、という問題のつづき。
名張市立図書館が乱歩のことをどうするか、というのは、いうまでもなく名張市立図書館の問題であって、私にとってはひとごとです。
そんなことで、どうしてここまで思い悩まねばならぬのか、とかいじいじ考えておりますと、腹立たしい、とか、あほらしい、とか、あるいは、むなしい、とか、そういったことはもちろん感じますけど、きのうの朝なんてあなた、前日とはうってかわってきれいに晴れた空の下、犬と散歩をしながらそんなことを考えておりますってえと、不意に、むしょうに悲しいような気分になってまいりました。
かなしみは明るさゆえにきたりけり、みたいなことででもあったのか、とにかくもう、かなーしくーてーかなしくてー、とてーもやーりーきれーない、みたいな。
なおかつ、どうして自分は、ここまでしつこくやってんだろ、という疑問も抱いてしまいましたし。
それで、みずからを省みますに、要するに、知らん顔もできんな、というか、みてらんねーな、というか、あるいは、もったいない話だな、とでもいうべきか、そういった理由で、名張市立図書館の乱歩関連資料の収集にかんして、ここまでしつこくぎゃあぎゃあいってるのではないかしら。
それはそうなんでしょうけど、しかし、知らん顔もできんな、みてらんねーな、もったいない話だな、みたいなことは、名張市立図書館の嘱託を拝命する時点で思っていたことでもあった、と思い返されます。
読書会なんかでお茶をにごしてないで、収集した資料にもとづいて図書館本来のことをすればいいのに、というのは、当時から思っていたことなんですけど、ここへきてなんとも悩ましくなってきたのは、板挟み状態に立ちいたってしまった、みたいなことのせいなのかもしれません。
つまり、名張市立図書館はどうしてなにもせんのか、という声を、以前はよく頂戴していたわけです。
とくに、いったいなぜ名張市立図書館の公式サイトは乱歩関連資料に関してノータッチなのか、というお叱りをよくいただきました。
むろん近年は、そんな声が寄せられることも絶えてなくなっていたのですが、先日も記しましたとおり、ちょうど一年ほど前、たてつづけに二件、お叱りをいただいて、私は頭を抱えました。
要するに、図書館としてなすべきことをちゃんとやれ、とおっしゃるかたがたと、なすべきことをしようとしない図書館のあいだで、板挟み状態になってしまって、それで私は鬱々としていた、という寸法です。
それで、なんでこんなことになってんだろうな、とか思いながら犬と散歩をしておりましたきのうの朝、空を振り仰いで、ふと頭に浮かんだのは、乱歩生活二十年、ということばでした。
もちろん、探偵小説四十年のむこうを張った、といってはおこがましいですけど、探偵小説四十年ということばから意識することなく不意に連想されたフレーズではあったと思うのですが、乱歩生活二十年、つまり、名張市立図書館の初代館長さんから依頼されて、いったんは逃げた読書会の講師を引き受けてから、かれこれ二十年になるんじゃね? と思いあたって、いやー、おれは二十年もいったいなにやってたんだろう、と夢から醒めたような気になりました。
読書会の講師を引き受け、そのあと、読書会なんかでお茶をにごしてないで、図書館らしいことをちゃんとやれよこら、と名張市立図書館を叱り飛ばし、みたいな過去のできごとをずーっと、散歩しながら思い返していたわけなんですけど、ほんとにいったい、なんだったんだろうな。
以下、えんえんと書き連ねる予定だったのですが、都合により、つづきます。
さ、きょうもお酒だ。
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