人事
若松孝二
平成24・2012年10月17日午後11時5分死去 多発外傷 76歳
わかまつ・こうじ 本名=伊藤孝(いとう・たかし)
映画監督
昭和11年4月1日-平成24年10月17日(1936-2012)
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死去した若松孝二さん
暴力や政治、エロスをテーマとする作品を量産し、「キャタピラー」などが海外で高く評価された映画監督の若松孝二(わかまつ・こうじ)さんが17日午後11時5分、死去した。76歳。宮城県出身。葬儀・告別式の日取り、喪主などは未定。12日に東京都新宿区内でタクシーにはねられ、重傷を負って入院していた。
テレビドラマの助監督を経て1963年、当時ピンク映画と呼ばれた成人向け作品「甘い罠」で監督デビュー。ピンク映画を多数手掛ける一方、暴力やエロスを扱った作品が全共闘世代の若者に支持された。
80年代以降に一般映画に進出。連続暴行魔が主人公の「水のないプール」などで評価を得た。
2012/10/18 01:39 【共同通信】
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若松孝二監督、意識戻らず逝く 「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」など
2012年10月19日 紙面から
1960-70年代に暴力や政治、エロスをテーマとする作品を量産し、全共闘世代に支持された映画監督の若松孝二(わかまつ・こうじ=本名伊藤孝=いとう・たかし)さんが17日午後11時5分、多発外傷のため東京都内の病院で亡くなった。76歳。宮城県出身。葬儀・告別式は24日午前10時半から東京・青山葬儀所で営まれる。
12日に東京都新宿区内でタクシーにはねられ、意識不明の重体となっていた。事故直後、一部で命に別条はないと伝えられていただけに、関係者には大きな衝撃が広がった。
若松さんは、テレビドラマの助監督を経て、63年に当時ピンク映画と呼ばれた成人向け作品「甘い罠」で監督デビュー。60年代にピンク映画を多数手がける一方、暴力や政治、エロスをテーマにした作品が若者に支持された。
80年代以降に一般映画に進出。08年にベルリン国際映画祭で、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」が最優秀アジア映画賞を受賞した。2010年には「キャタピラー」に主演した寺島しのぶが最優秀女優賞に輝いた。今年のベネチア国際映画祭に出品した「千年の愉楽」(来年3月公開予定)が遺作になった。
他の代表作に「水のないプール」「われに撃つ用意あり」「寝盗られ宗介」など。
若松さんがタクシーにはねられ、けがをしたことが今月16日に明らかになった際、一部で「重傷だが、生命に別条はない」と報じられた。このため、当初は容体の急変かとの印象を与えたが、若松プロダクション関係者は、最初の報道が事実とは異なっていたと強調。若松さんは、12日に事故現場で救急車に乗せられた時点ではまだ意識があり、自分で名前を告げたものの、救急車が病院に着いたときには、意識不明に陥っていたという。
その後、意識は一度も戻らず、家族も若松さんとはまったく言葉をかわせないまま亡くなったという。みとったのは、若松さんの妻、娘、孫とプロダクション関係者2人だった。若松さんの遺体を納めた棺は18日午後2時すぎ、渋谷区にある若松さんの東京の住居兼若松プロに運ばれた。
評論家切通理作さんの話 若松監督の初期作品は、映画の伝統や文法をぶっちぎり、自分の思いをストレートに表現していた。学生運動のインテリをスタッフに、若者たちの観念を若松さんが肉体化して表現するダイナミックさがあった。独立プロダクションで政治的主張を曲げずに映画をつくり、作品にはいつも弱者を追い詰める社会への怒りがあったと思う。
◆今月「今年のアジア映画人賞」受賞
若松さんは今月はじめに開催された韓国・釜山国際映画祭にも参加し、特別賞の「今年のアジア映画人賞」を受賞したばかり。有名人として“手形押し”を行うハンドプリンティングイベントも行った。帰国後も早速、東京近郊でのトークショーに出向くなど精力的に活動していた。
今後の作品についてはベネチア映画祭に参加した際、報道陣の質問に対して「今、どうしてもやりたいのは東電の話。誰もやろうとしないから本気になってケンカしてやろうと思ってます」と宣言。原発事故を描く映画の将来的な製作に向けて気炎をあげた。映画会社大手から原発事故に関係する作品を依頼された際、東電という言葉を出さないでほしい-など、制約・注文が多かったため、断ったことがあると告白。この出来事が、余計に持ち前の反骨精神を刺激したようで、「これからも自分の好きな映画しか撮りません」と豪語していた。
若松プロ関係者によると、現時点で若松さんが具体的に次回作をどういうものにするか決まっていたわけではなく、模索していた段階だったという。「千年の愉楽」のPR活動の準備などもしていた。
◆寺島しのぶ自身ブログで悲しみつづる「うそだよって言いながら現れてほしい」
映画監督若松孝二さんの死去から一夜明けた18日、「キャタピラー」でベルリン国際映画祭最優秀女優賞を受けた俳優寺島しのぶ(39)が自身のブログに「嘘(うそ)だよって言いながら現れてほしい」などと悲しみをつづった。
同作の共演者から連絡を受け、「嫌な予感がした」という寺島は、監督の死を受け入れられない様子。「私の出産を本当に喜んで、早く見たいと言ってくださっていた」「お酒と美味(おい)しいものが大好き」などと、生前の若松さんとの思い出を記した。
「心優しい監督、弱い者の味方で、強いものにはくってかかる監督」としのび、「今いったい、いったいどこにいらっしゃるんですか?」と結んだ。
◆ベネチア出品「千年の愉楽」遺作に
<悼む>寺島しのぶさんが最優秀女優賞に輝いた2010年のベルリン国際映画祭。17日死去した若松孝二監督は、代理で受けた銀色の熊のトロフィーを掲げ「女優だけがいいから賞を取ったわけじゃない。ドラマがあるからだ」と誇らしげだった。性や暴力を扱った映画を武器に、体制批判の強いメッセージを伝え、日本よりむしろ欧州で高く評価されてきた。1960年代に「胎児が密猟する時」「犯された白衣」「ゆけゆけ二度目の処女」など、セックスとバイオレンスを盛り込んだ先鋭的な傑作を次々送り出す。ピンク映画の巨匠と呼ばれ、大島渚監督の「愛のコリーダ」も製作。全共闘世代に熱狂的に支持された。
65年には、ベルリン映画祭に「壁の中の秘事(ひめごと)」を出品するが、性的な内容もあり、日本の新聞が「国辱映画」と酷評する騒ぎに。45年後の同映画祭で「キャタピラー」が女優賞を受賞すると「これも国辱映画。一般人も巻き込む戦争は殺人だと言っている映画だからね」と、信念を曲げない映画作りに胸を張った。
ことし5月のカンヌ国際映画祭で「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」、9月のベネチア国際映画祭で「千年の愉楽」が上映作品に相次いで選出。「世界三大映画祭を制覇した日本の監督は他にいないんじゃないの」とほほ笑んでいた。
「映画で革命ができると思うか」。ベネチアの記者会見で問われ「映画で戦う以外にない。映画を武器に思いを伝えていく」と衰えぬ反骨心を見せた若松監督。
東京電力福島第1原発の事故に触れ「死ぬまでにけんかしてでも(映画で)やろうと思っている。とにかく国家が隠そうとしているものを全部ぶちまけたい」。その思いはかなわなくなった。
(共同通信記者 佐竹慎一)
◆名古屋・シネマスコーレ設立に尽力
若松監督は、名古屋市中村区の映画館「シネマスコーレ」の創設に尽力していた。
1982年、若松監督が「名古屋に映画を見せる場所がない。支配人をやってくれないか」と、当時は池袋の映画館で働いていた支配人の木全(きまた)純治さん(63)に、名古屋での映画館設立を相談したことがきっかけ。
若松監督からの依頼を受けた木全さんが支配人となり、1983年2月、名古屋駅西口に約50席のシネマスコーレが設立された。大きな映画館では上映されないインディーズ映画などを積極的に上映。木全支配人は「名古屋の映画文化を豊かにしてくれた人。スコーレがなかったら、映画文化は名古屋に根付かなかった」と若松監督の功績に感謝していた。
◆若松監督の主な作品
63年 甘い罠 五所怜子
69年 処女ゲバゲバ 芦川絵里
70年 新宿マッド 谷川俊之
71年 赤軍 PFLP・世界戦争宣言 *ドキュメンタリー
72年 天使の恍惚 吉沢健
82年 水のないプール 内田裕也
90年 われに撃つ用意あり 原田芳雄
92年 エロティックな関係 内田裕也
92年 寝盗られ宗介 原田芳雄
04年 完全なる飼育・赤い殺意 大沢樹生
08年 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 坂井真紀
10年 キャタピラー 寺島しのぶ
12年 11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち 井浦新
▼通夜 23日午後6時から
▼葬儀・告別式 24日午前10時半から
▼会場 青山葬儀所(東京都港区南青山2の33の20)
▼喪主 妻伊藤慶子(いとう・けいこ)さん
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