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平成24・2012年10月14日 読売新聞社
平井憲太郎さん 祖父・江戸川乱歩の思い出
沢村宜樹
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アルバム(この連載は愛知、岐阜、三重共通です)
編集者、小説家と夜ごと議論
祖父・江戸川乱歩(右)と庭で本を読む平井さん(1960年前後の撮影)
「怪人二十面相」「D坂の殺人事件」など多くのミステリーファンを魅了する探偵・推理小説の大家・江戸川乱歩(本名・平井太郎、1894~1965年)は名張で生まれ、亀山で育ち、鳥羽で妻と出会った。そして、津に菩提(ぼだい)寺があるなど、三重県とのゆかりは深い。幼い頃、一緒に生活した孫の平井憲太郎さん(62)(東京都豊島区在住)は「私にとっては、尊敬できる祖父であり、普通の『優しいおじいちゃん』でした」と笑顔で振り返った。
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中学3年の時まで、祖父と暮らしていました。一緒に住んでいるといっても、家が結構広いのと、祖父自身が夜型人間だったので、あまり顔を合わせることはありませんでした。だから、たくさんの思い出があるという訳ではないのですが、一つひとつは色濃く残っています。
部屋に呼ばれると、ひざの上に乗せ、頭を優しくなでてくれました。祖父が好きだった歌舞伎を一緒に見に行ったり、祖父がクイズ番組に出演する時にテレビ局へ連れていってもらったり。「少年探偵団」の映画にも行きました。中でも、一番覚えているのは、雑誌の編集者や若い小説家が、毎日のように家に集まって熱い議論を交わす光景です。祖父を訪ねて来る人で、客間はいつも大にぎわいでした。
祖父は、まさに「整理魔」でした。集めた本を図書館のように、きちんと整理し、どこに何の本があるかを書き記していました。今の時代に生きていたら、パソコンのデータベース機能を最大限に活用し、喜んでいたでしょう。
文筆家としての祖父・江戸川乱歩の偉大さを嫌というほど思い知らされたのは、仕事で文章を書くようになってからです。正直、文章を書くのは得意ではなかったのですが、鉄道模型雑誌「とれいん」を創刊し、原稿を書くようになりました。
乱歩の書く文章は、子どもでも、大人でもワクワクできるものでした。子どもにもわかりやすいし、大人になって読んでみても行間から、深い味わいが感じられる。筆力のすごさを身にしみて感じました。だから、「とれいん」では文章を少なくし、写真を多く載せるようにしています。
残された作品は、ただの読み物ではありません。色々なものに面白さがあることを教えてくれます。私も生き証人として、乱歩の魅力を伝えていきたいと思っています。
(聞き手・沢村宜樹)
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乱歩直筆の歌の額を手に思い出を語る平井さん
東京都豊島区で生まれ育った。鉄道好きが高じて、高校時代から鉄道雑誌を発行する会社でアルバイトを始める。大学卒業後の1974年、鉄道模型雑誌「とれいん」を創刊。現在は「とれいん」を発行する出版社「エリエイ」(東京)の代表取締役を務める。乱歩を紹介するため、講演会やシンポジウムなどにも参加する。三重県には住んだことはないが、「祖父の足跡が多く残っているので、なじみの深い土地」と話している。
(2012年10月14日 読売新聞)
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