ご愛読ありがとうございます。
なかにゃごくちらほら、名張市立図書館が所蔵している乱歩関連資料のことを気にかけてくださっているかたがあって、あれこれおことばもたまわり、まことにありがたいことだと思っております。
先日など、メールで、いっそのことおめーがよー……
いやいや、こんなこといってたってしかたありませんから、先に進みましょう。
つづき。
めざせッ、そこらの高校の図書委員ッ。
とか、とってもなさけない目標ですけど、そのあたりをめざすしかない名張市立図書館のおはなしのつづき。
私の願いはただひとつ、名張市立図書館にちゃんとしてほしい、ということで、というのはもちろん、乱歩関連資料にかんしてであって、それ以外の図書館運営全般については、なにも申しあげるつもりはありません。
ただ、乱歩関連資料の収集と活用については、せめてそこらの高校の図書委員レベルのことはやっていただきたいものだな、と。
ちゃんとやるべきことを、ちゃんとやっていただきたいな、と、ただそれだけ。
しかし、最初からちゃんとできてなかったことは、ときが経過するにつれて、よけいにいよいよますますちゃんとできなくなるものらしいな、ということが、ここへ来てはっきりとわかりました。
もちろん、最初も現在も、なにも考えない、ということには変わりがありません。
手前どもはなにも考えないことにしております、というのは、名張市のみならず、日本全国津々浦々、どちらの自治体におじゃまいたしましても、お役人さまが異口同音に口にする、いやいや、口にすることはなけれども、ちょっと接してみるだけで、あ、こいつら、なんにも考えてねーんだな、とたちどころに了解できるお役人さまの第二の天性のようなものであって、名張市立図書館もまた、開館当初といわず、現在ただいまといわず、とにかくなにも考えないことにしている、というのは厳然たる事実です。
しかし、えらいものだな。
乱歩没後四年目の1969年の開館から、1994年の乱歩生誕百年まで、ほぼ四半世紀というもの、なーんにも考えず、なーんにも決めず、なーんにも知ろうとせず、ただただ場当たり的にお宝感覚で乱歩関連資料とやらを購入するだけで、そのリストさえつくろうとしない、なんて異常なことが、ごくあたりまえのこととしてまかり通ってたんだからなあ。
ただし、開館当初は、というか、初代館長さんの時代は、当事者意識だけは、たしかにあったと思います。
名張市立図書館は乱歩関連資料を収集いたします、とぶちあげたんだから、資料収集の主体は名張市立図書館にほかならない、という認識だけはあったと思われます。
つまり、当事者意識です。
そりゃまあ、初代館長さんは、乱歩関連資料を集める、ということを決めた当事者のおひとりだったわけですから、当事者意識がなかったはずはありません。
ですから、資料収集の当事者として、主体的に古書の購入ををおつづけになっていたはずです。
しかし、こうやってつらつら考えていると、遅ればせながら思いあたってくるのですが、それはきわめて個人的な作業ではなかったのか。
つまり、乱歩関連資料を収集する、という継続的な事業にかんして、図書館関係者みなさんが全員、当事者意識を共有していたのか、というと、そんなことはまったくなかったのではないか。
当事者意識をおもちだったのは、初代館長さんだけではなかったのか。
名張市立図書館の乱歩関連資料の収集は、きわめて孤独で個人的な作業として、つづけられていたのではなかったのか。
もしもふたり以上の人間によって、いわばチームプレーとしてつづけられていたのであれば、情報を共有するためのリストが不可欠でしょう。
ところが、そんなリストは存在していなかったのですから、著者名や書名であたりをつけ、場当たり的に古書を購入する、という作業を、初代館長さんがひとりでお進めになっていて、それは館長さん以外の図書館関係者にとっては、ただただひとごとでしかなかった、ということになるのではないか。
そーりゃまずいぞ。
とかいってみたって、名張市役所のみなさんには、どこがまずいかおわかりにならないかもしれません。
つか、主体性を放棄して責任を回避し、当事者意識なんてどこへやら、というのが、あるべきお役人さまの姿なんですから、こんなこといってみてもしかたないんですけど、まずいことはたしかです。
ひとりの人間が、自分で決めた方針に従って、いやいや、実際には方針なんてなんにもなかったわけですけど、かりに方針が決められていて、それに従って資料収集をつづけたとしても、ほかの人間には、まして、資料収集なんてひとことだ、われかんせずえん、この場合のえんは焉って書くんですけど、とにかくそういった感じで当事者意識皆無の人間には、そんな方針はまったくわかりません。
ですから、資料収集をつづけていた人間がその座を去ってしまったら、その作業を従来の方針にそって継続することなんて、とても不可能です。
だからこそ、方針やデータを共有し、継承するためのリストが不可欠だということなんですけど、そういうことは、初代館長さんにはおわかりにならなかったみたいです。
むろん、資料収集の方針なんてまったくなかったんですから、それを共有することなんて思いもおよばない、といったところではあったんでしょうけど、なんかもうほんと、無茶苦茶じゃね?
とくに無茶苦茶だったのは、やはりなんといっても、収集した資料を体系化する、ということ、つまり、図書館のお仕事の基本中の基本と呼ぶべきことに、まったく考えがおよばなかったということでしょう。
収集した資料が体系化されることなく、ひたすら死蔵されつづけるだけ、ということになると、要するに、収集資料にもとづいてどんなサービスを提供するべきか、なんてことにもまったく考えがおよばない、ということになります。
どうじゃ。
ひどい話じゃろ。
なんちゅー図書館だよ。
ですから、いまからこんなこといっても遅すぎますけど、初代館長さんはですね、乱歩生誕百年も近づいたから乱歩作品の読書会を開く、とか、そんなご町内感覚の子供だましでお茶をにごそうとはせずに、乱歩生誕百年でなんかやりたいんだけど、なにがいい? と私にひとこと相談さえしていただければ、日本でただひとつ、乱歩関連資料を収集してきた図書館なんですから、目録のひとつもつくるのが名張市立図書館の責務ってやつでしょう、と、図書館本来のお仕事ってやつを的確にアドバイスしてさしあげることもできたのですが、しかし、どうして、一般市民が図書館の館長さんに図書館のお仕事について指導をしてさしあげなければならないのか、なんとも理解に苦しむところですが、ま、それが名張市のレベルってやつざんす。
実際、目録をつくれば収集資料の体系化も、その資料にもとづいたサービスの提供も、ともに一挙に進みますし、目録発行なんてのは地域を限定した話ではなく、全国を対象にした事業だということになりますから、名張市という自治体の意向にも添うことになります。
名張市の意向、というのは、いうまでもなく乱歩をシティセールスの素材として活用したい、ということ、乱歩でかっこつけたい、ということにほかなりません。
ところが、実際のところは、じつに残念なことに、名張市のやることなすこと、みんな滑って笑いもの、という無残な結果を重ねてこんにちにいたってしまったわけなのですが、ただひとつの例外が、名張市立図書館による目録の発行であって、残念ながら初代館長さんのお手柄ということにはなりませんでしたけれど、名張市は乱歩のファンや関係者のあいだで、ずいぶん名前をあげたものでした。
乱歩関連資料を収集してきた図書館として、そこらの高校の図書委員のレベルでいいから、まじめにこつこつ、図書館本来のお仕事をしてさえいれば、乱歩ってのはいまでも圧倒的な人気作家なわけですから、ファンや関係者から、なかなかやるじゃん、とお褒めのことばのひとつもいただけようというものです。
でも、もうだめ。
名張市立図書館も、名張市も、すっかり化けの皮がはがれてしまいました。
ま、化けの皮のことはどうだっていいんですけど、問題は、これからどうするのか、ということです。
名張市立図書館、これから乱歩のことをどうするのか。
ところが、想像していた以上に、名張市立図書館はひどいことになっていました。
初代館長さんの時代には、館長さん個人のことではあったにせよ、乱歩関連資料の収集にかんする当事者意識といったものは、名張市立図書館はたしかに保持していました。
しかし、いまやゼロです。
皆無です。
つい先日、ほんとに愕然としたんですけど、乱歩関連資料の収集は、名張市立図書館にとって、完全にひとごと、ということになっていることが発覚しました。
いやー、ここまでひどいとは。
そういえば、お役人さまのあまりにも常軌を逸した主体性放棄に腰を抜かすほど驚かされたことは、えーっと、たしか以前にもあったはずで……
つづく。
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