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日本経済新聞
平成24・2012年10月7日 日本経済新聞社
四重奏 カルテット 小林信彦著 編集者の喜怒哀楽にじむ作品集
新保博久
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四重奏 カルテット 小林信彦著 編集者の喜怒哀楽にじむ作品集
2012/10/7付
私小説に向かない作家と自己規定している小林信彦だが、五十年前のデビュー長編『虚栄の市』が大藪春彦ら身近だった存在を強く意識したモデル小説であり、続く『冬の神話』が小学校時代の集団疎開体験をベースにしていたのを見ても、むしろ何かしらモデルが必要な作家であるようだ。小林氏のアンチ私小説家宣言は、体験をそのまま書くのでなく、どのように虚構化するかに力を注ぐという表明なのではないか。さらに推理小説パロディー、また近年の漱石トリビュート作品『うらなり』など、実在架空を問わず元ネタを料理するときその筆は冴(さ)え渡る。
(幻戯書房・2000円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
『四重奏 カルテット』という題名どおり相互に響き合う連作四編を収めた本書は、小林氏の著作で最も私小説に近いものだろう。江戸川乱歩に見出(みいだ)された氏が二十六歳で「ヒッチコック・マガジン」編集長に就任、四年後に出版社を追われるまでの時代を中心に、周囲の群像を主に仮名で描き出している。「半巨人の肖像」は旧著『回想の江戸川乱歩』に、少年大衆雑誌「譚海(たんかい)」の編集長の落魄(らくはく)した戦後をモデルにした「隅の老人」は『袋小路の休日』に収録済みで、巻末の「男たちの輪」の原型になったという未発表中編を入れたほうが愛読者を喜ばせただろう。だが「四つの中篇小説がつながって、一つの世界を作り出」させたかった(あとがき)というように、既収録作品を入れても作品集の完成度を高める道が選択されたらしい。四編は約四十年間に折に触れ発表されたものだが、書かれた時期による落差を感じさせない。
編集者時代の喜怒哀楽がしみ込んでいるからだろうか。しかし事実そのままが描かれているわけではない。氷川鬼道(作中での乱歩の仮名)の追悼文に訂正を求められ憤るのは、現実には同じ年に死んだ山川方夫追悼に際してのエピソードだ。「隅の老人」の冒頭、「斬新な企画で知られたPR誌の編集長を辞した男」というのは「洋酒天国」を去った山川氏のことだと、今回再読して気がついた。そんなふうに一九六〇年代前半の小林氏やマスコミの動静に知識を蓄えているほどに興味深く、また数年後に読み返したくなりそうだ。
(ミステリー評論家 新保博久)
[日本経済新聞朝刊2012年10月7日付]
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