つづき。
おら、おらおら、おらおらおらおら、名張市立図書館の初代館長呼んでこいよこら、という話のつづき。
むろん、いまさらおでましいただいたってどうしようもないんですから、お呼びいただかなくても全然結構なんですけど、とにかく名張市立図書館にちゃんとしてもらいたいのよね、という話をつづけますと、そこらの高校の図書委員にもわかることがわかんない、というなさけないレベルではじまった名張市立図書館による乱歩関連資料の収集は、具体的にはどうやって進められたのか。
かいつまんでいってしまえば、著者名ないしは書名であたりをつけて、古書を購入する、といったことだったと思われます。
つまり、古書目録に、著者は乱歩です、という本があれば、あるいは、乱歩の著書でなくても、なんたらの乱歩、とかいったタイトルの本があれば、それを購入するだけ。
そこらの高校の図書委員であれば、乱歩の自伝にもとづいて乱歩の著書のリストを作成しますから、古書として購入した一冊の本が乱歩の著作全体のどこに位置しているか、ということが理解できるのですが、名張市立図書館のような場当たり的収集では、そんなことはとても無理です。
で、購入した本のリストを作成する、ということすらしない。
むろん、読むこともせず、本棚に並べとくだけ。
そんなもん資料収集でもなんでもねーじゃねーかばーか。
まったく困ったものである。
初代館長呼んでこいよこら。
いやいや、初代館長はいいとして、古書収集がそんな状態であったにしても、新刊の収集のほうはまともにできていたのかしら、というと、やっぱ、無茶苦茶でした。
名張市立図書館の開館以前はともかく、開館以降に刊行された乱歩関連資料は、いやいや、乱歩関連資料、などといってしまうと話がややこしくなりますから、乱歩の本は、といいかえることにして、図書館開館以降に刊行された乱歩の本はすべて収集されていたのか、というと、そんなことはまったくありませんでした。
乱歩の単著だけにかぎっても、さすがに講談社版全集はそろってましたけど、たとえば角川文庫が収集されていませんでした。
いや、あるにはありました。
宮田雅之のカバー絵が印象的な角川文庫、名張市立図書館にはたしかにありました。
というより、いまもあります。
しかし、その角川文庫、みかけたときに、どっかでみたことがあるな、カバーの破れにみおぼえがあるな、と思ってよく考えたら、それは私が以前、講談社から文庫版全集が出たとき、もういらないや、と思って寄贈したものであって、名張市立図書館がみずから買い求めた資料ではありませんでした。
だから、このあたりのことが、さっぱりわからない。
どう考えたって、乱歩作品が角川文庫にはいったら、それは収集対象ということになるはずです。
しかし、名張市立図書館は購入しませんでした。
本屋さんに足を運びさえすれば、ごく簡単に手にはいったはずの文庫本を、なぜ購入しなかったのか。
買わない、と判断しなければならなかった理由など、どこにもないはずです。
乱歩関連資料を収集しております、と宣言している図書館が、角川文庫として出された乱歩の著作を収集しない、なんてのはありえない話です。
しかし、なぜか、ほんとにこれ、なぜか、というしかないんですけど、角川文庫の乱歩の本、収集しようとしませんでした。
どうにも理由がわかりません。
初代館長呼んでこいよこら。
そこらの高校の図書委員であったなら、たとえば、新聞で角川文庫の広告をみて、そこに乱歩の名前を発見した、となれば、喜び勇んで本屋さんに直行し、その角川文庫を購入して、リストにも記載していたはずです。
しかし、名張市立図書館はそんなこと、まったくしようとしませんでした。
ほんとに困ったものである。
初代館長呼んでこいよこら。
いやいや、初代館長はどうだっていいんですけど、新刊として世に出た乱歩の単著を収集することすらできてなかったんですから、アンソロジーとなったらほぼ全滅の状態でした。
むろん、名張市立図書館に、アンソロジーは収集対象としない、という基準があったわけではありません。
てゆーか、アンソロジーということばが名張市立図書館でちゃんと通用するのかどうか、いまではそれさえ不安なんですけど、とにかく基準も方針も、そんなまともなものはいっさいありません。
そこらの高校の図書委員なら、ちゃんと考え、ちゃんと決めたはずのことを、名張市立図書館はなにも考えず、なにも決めませんでしたから、基準とか方針とか、そんなものはいっさいありません。
そこらの高校の図書委員なら、乱歩の自伝の目録にはアンソロジーも記載されてますから、乱歩の自己収集を継続するかたちで、アンソロジーも収集対象です、みたいなことをリストに明記してあるはずですけど、名張市立図書館はそんなこと、いっさいしようとしませんでした。
そんなことでまともな資料収集ができるわけねーだろばーか。
初代館長呼んでこいよこら。
ほんと、初代館長さえしっかりしてくださっていれば、つまり、図書館における資料収集というものがどんなことなのかを理解してくださっていれば、すなわち、そこらの高校の図書委員レベルのことをしてくださっていれば、つか、いっそそこらの高校の図書委員に初代館長をお願いしていれば、名張市立図書館は乱歩関連資料を収集している全国にただひとつの図書館として、いまごろはおおいに存在感を示していたはずなんですけど、全然そんなことありゃせんがや。
初代館長呼んでこいよこら。
いやいや、お呼びいただかなくてもいいんですけど、資料収集のしの字もわかっとらんような人間に図書館長なんかやらせてんじゃねーよ、とお思いのかたに申しあげときますと、これが田舎のお役所なのね。
ほんと、腐っとります。
田舎のお役所なんて、いやいや、都会のお役所もそうかもしれませんけど、とにかく腐っとる。
ほんっとーに、腐っとるんだぞ。
お。
腐っとる、といえば、かすかに聞こえてくるのは、あの高らかな笑い声。
わはッ。
わはわはッ。
こんにちはッ、県民に腐れきんたまを押しつける男ッ、三重県知事の鈴木えーけーでございますッ。
わはわはわはわはわはッ。
しっかしぽてちん知事さん、まーた腐れきんたまを押しつけそこなったみたいです。
▼毎日JP:東日本大震災:伊賀南部組合、がれきの試験焼却を提案 名張市長が住民代表に /三重(2012年10月4日)
▼朝日新聞デジタル:安全確認へ組合 試験焼却を提案(2012年10月5日)
ほんと、わるだくみとわるあがきはそろそろやめましょー、とゆうてやっとるゆうのに、てゆーか、焼却施設の地元がこぞって、NO、という明確な意思表示をしとるゆうのに、どうしてなお強行しようとするのか。
どうもようわかりません。
裏に、よほどの事情があるのでしょうか。
たとえば、経緯は不明ながら、どっかのやくざに脅されとる、とか。
そういうことであれば、えらくお困りであろう。
だったら、義をみてせざるは勇なきなり、休みの風呂屋は湯うなきなり、なんつってな、われら伊賀地域住民、ぽてちん知事さんの支援にまわって、知事さんが県民に腐れきんたまを押しつける作業のお手伝いをするべきかもしれんな。
この場合、不幸中のさいわい、とも呼ぶべきなのは、一般的なケースにおいて、きんたまは二個一組だ、ということであろう。
よかったなあ。
伊賀市と名張市で、それぞれ一個ずつ、謹んでお支えすることができるではないか。
これがかりに、なにかの事情でたまがひとつしかない、とかだったら、ただでさえとても仲のわるい伊賀市と名張市、ぽてちん知事さんのきんたまをめぐって、ちゃららー、ちゃららー、仁義なき戦いばりの血みどろの争奪戦を演じてしまうところだからなあ。
しかし、たぶん、かならずや、きんたまはふたつ存在するはずである。
それは確信していいことだと思います。
ですから、
「伊賀は右ッ」
「名張は左ッ」
と、なかよく役割を分担してですね、ぼくの名前はきん坊、ぼくの名前はたま坊、ふたりあわせてきんたまだー、きーみとぼくとできんたまだー、と力強く唱和しつつぽてちん知事さんをお支えしてじゃな、ちーさなものからおーきなものまで震災がれきはがんがん燃やすぞー、とか大声で歌ってれば、ぽてちん知事さんはもう随喜の涙を流してお喜びになると思うぞ。
わはッ。
わはわはッ。
わはわはわはわはッ。
とか大喜びなさったあげく、よーし、伊賀市と名張市が国民栄誉賞をもらえるよう、ぼくが国にかけあってきてあげるからねッ、みたいなことになったら、四方八方まるくおさまって、みんなハッピーハッピーだよね。
とか、そんなばかなことばっかいってちゃいけません。
話がすっかりそれてしまいました。
こんにちはッ、県民に腐れきんたまを押しつける男ッ、三重県知事の鈴木えーけーでございますッ、わはわはわはわはッ、でおなじみのぽてちん知事さんの話題はおしまいにして、要するに名張市立図書館は、いくらなんでも角川文庫の乱歩作品くらい買っとかないとまずいよね、みたいななさけないレベルだったのですから、アンソロジーにまで手がまわってたわけがありません。
ですから、名張市立図書館が開館して以降に刊行された乱歩作品が収録されてるアンソロジー、なんてのはまったくといっていいほど収集できてませんでしたので、乱歩の著書目録をつくるときには、インターネットを利用して、ミステリファンやコレクターのみなさんからおおいに手助けしていただいたものでした。
ほんとにひどいものです。
乱歩関連資料の収集、なんてことは、名張市立図書館にはとてもできてませんでした。
まったく困ったものである。
田舎のお役所の腐れ役人さまというのは、ほんとに困ったものでございましてな、手前どもはなにも考えないことにしております、とか、手前どもはできるだけ働かないようにしております、とか、そんなことを平然とうそぶいて、しれっとしていらっしゃるのでございます。
ですから、乱歩関連資料の収集なんてまったくできてない、ということにもお気づきにならないのでございます。
みずからを省みる、ということがないのでございます。
世間の人間が、腐れ役人さまを指さして、やあ、あれらはまたとんでもないあほでございますなあ、と大笑いしているというのに、それにお気づきになることがないのでございます。
なんだなんだ。
芥川龍之介の霊でも降りてきたか?
そんなことはともかく、お役人さまには、みずからを省みる、ということが全然ありませんし、正当な批判をやりとりする、ということもまったくありませんから、名張市立図書館におきましても、たとえば、当然収集されているべき角川文庫が収集されてないのはおかしーじゃねーか、なにやってんだばーか、みたいなまっとうな意見が寄せられることは絶えてなかった。
むろん、名張市には、乱歩に興味がある、などという市民はひとりもおらんかったでしょうし、図書館だって、乱歩のことなんて全然知らないスタッフばかり、だったらせめて名張市教育委員会が、とか思ってみたところで、あーこれこれ、あーこれこれ、あーこれこれあほさんあほさんあほのみなさんや、でおなじみの教育委員会にだって、まともな人間なんてただのひとりもおりゃしませんがな。
ですから、四方八方あれな人間ばっか、といった状況では、名張市立図書館が乱歩にかんしてまともなことをなにひとつやってなくても、だれひとりとしてそれを指摘したり批判したりしようとはしなかったわけです。
私がいいだけ叱り飛ばすまでは。
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