台風、いかがでしたか。
当地はきのう、台風一過、というほどの秋空はひろがりませんでしたけれど、さすがに涼しくなった感じです。
台風に吹き飛ばされしわるだくみ。
わるあがき戸は立てられず秋の風。
俳句などひねってみました。
きゃはは。
とか大笑いしておったら、きょうもせっせとわるあがき、ということか、けさの新聞にA4サイズのこんなチラシがはいっておりました。
わるだくみとわるあがきはそろそろやめましょー、とひとが親切にゆうてやっておるのに、ぽてちん知事さん、まーだおつづけになるらしい。
ならば、内緒にしてたのにひとの口には戸が立てられなかったわるあがきの一件、ついでですからウェブニュースをリンクしておきましょう。
▼朝日新聞デジタル:【どうする震災がれき】岩手へ現地視察(2012年9月26日)
つか、のちのちのこともあるゆえ、天下御免の無断転載。
【どうする震災がれき】岩手へ現地視察
2012年09月26日
東日本大震災で生じたがれきの焼却灰の処理を、県が伊賀市の廃棄物処理会社に要請していることに関し、県は25日、伊賀市内の住民10人と県と市の担当職員ら計十数人で岩手県久慈市への日帰り視察を実施した。今回の視察は、公表されておらず、どういった住民が参加しているかなど、県は明らかにしていない。
三重県は、環境省から久慈市の可燃物2千トンの受け入れを要請されている。関係者によると、焼却灰の処理が検討されているのは伊賀南部環境衛生組合の焼却施設と廃棄物処理会社「三重中央開発」だが、住民からは反対の声があがっている。そのため、県が被災地の様子を伊賀の住民に見てもらい、がれき処理への理解を深めてもらおうと今回の視察を企画したという。しかし、参加者について公募などはしておらず、参加者をどのように選んだかについても、県は明らかにしなかった。
費用は約100万円。この日早朝、県伊賀庁舎をバスで出発。大阪の伊丹空港を経て、いわて花巻空港に到着。バスで久慈市に向かい、仮置き場やがれきの選別場所などを視察し、夜に伊賀に戻ったという。
伊賀市の内保博仁市長は「県が働きかけて住民を連れて久慈市に向かったと聞いている。焼却灰は県が廃棄物処理会社に要請している。県が同社と合意しても、地元住民の合意をえられなければ、受け入れることはできない」と話した。
視察を公表していないことについて県廃棄物リサイクル課の平見元通副課長は「現地をみてもらい、がれき処理への理解を深めるために企画した。住民の理解を得るためにした説明の一環で事前には公表していない。誰が行ったかも、伊賀市民としかいえない」と話している。(保田達哉)
こんなんもありまっせ。
▼朝日新聞デジタル:【どうする震災がれき】受け入れ中止求める(2012年9月25日)
▼朝日新聞デジタル:「灰、受け入れないで」(2012年9月27日)
▼朝日新聞デジタル:処理業者に申入書(2012年9月28日)
いやはや、いまや三重県内は、というより県外もふくめて、震災がれき受け入れ反対一色、みたいな感じではないのかと思われますが、それでもぽてちん知事さん、まーだ強行するゆうておっしゃるのかいのう。
困ったものじゃのう、あの腐れきんたまだけはのう。
いやいや、こんなことをゆうておる場合ではありません。
ご閲覧のかたからきのう、メールで
「最近の中さんのブログ、中さんのご意見が少ないように思います。少し、さびしく思います。やはり、市役所や市立図書館のことを考えると、ブログに書き込むモティベーションが下がっているのでしょうか?」
とのご意見を頂戴してしまいました。
ここ一週間ばかり、ちょっと忙しくしておりましたので、ブログに意見を記す時間を惜しんでおった次第ですが、おかげさまで本日午前中でかたがつきました。
それにしても、頂戴していま無断引用したメールの文面からは、名張市役所や名張市立図書館の実態はまともな市民をモチベーションの低下にいたらしめる、というまぎれもない事実が、いまや結構ひろいエリアに知れ渡っている、ということがうかがえるのではないでしょうか。
たしかに知れ渡っている、と思います。
伊賀地域に震災がれき受け入れ、なんてことになったら、なんちゅうあほやねん、と伊賀市と名張市の悪名はさらに知れ渡ってしまうはずだと思われます。
しかしまあ、名張市役所はともかく、名張市立図書館にはなんとかちゃんとしてほしいな、というのは、上のメールをお寄せくださったかたのみならず、名張市立図書館が長きにわたって乱歩関連資料を収集してきたという事実をご存じのかたがたから、ひとしく期待されているところでしょう。
私だって期待しております。
しかし、なんかもう、結局、これから先もずーっとこのままだめなんじゃね? という判断に落ち着くしかなさそうです。
てゆーか、ま、もともとだめだったわけです。
私は昔、乱歩作品の読書会の講師をやってくれ、と頼まれて、あ、この図書館はだめだな、こんなとことつきあってらんないな、と思って速攻で逃げたわけだったんですけど、その時点でもう、だめだってことははっきりしてました。
なんで、そんなことになってたのか、というと、第一歩からまちがってた、ということに尽きます。
乱歩関連資料を収集する、ということだけ思いついて、そのあとはなにも考えず、なにも決めず、なにも知ろうとせず、そもそも図書館法に顧慮することすらしなかった。
その結果が、現在ただいまの名張市立図書館における惨状である、ということです。
ほんと、そこらの高校の図書委員でもできることが、名張市立図書館にはできなかった。
いやいや、これはほんとの話です。
ならば、もしそこらの高校の図書委員が名張市立図書館の初代館長だったら、と仮定して、もしドラのもじりは古い気もしますけど、ちょっと考えてみましょう。
図書委員会の会議で、乱歩関連資料を集めよう、ということが決まりました。
ひとりの図書委員が、その準備にあたることになりました。
乱歩関連資料とはなにか。
なにを集めればいいのか。
図書委員はそれを考えました。
やっぱ本でしょう。
乱歩が書いた本でしょう。
そこで図書委員は、そこらの本屋さんを訪ねます。
名張市立図書館の開館準備が進められていたころ、そこらの本屋さんでふつうに買える乱歩の本は、新潮文庫が一冊、現代教養文庫が一冊、この二冊だけでした。
購入しました。
本屋さんで調べてもらうと、春陽文庫でも乱歩の本が出ているらしい。
それも取り寄せてもらいました。
届いた本をみてみると、なんかカバーの絵が卑猥でした。
乱歩がどんな小説を書いたのか、どんな本を出したのか、図書委員はまったく知りませんでしたので、とりあえず、きゃ、やーらしー、とか思いながら、買いこんだ乱歩の本を読んでみました。
もちろん、新刊書店だけを頼っていては、資料収集は進みません。
そこで、大阪の古本屋さんを訪ね歩いて、眼についた乱歩の本を買ってきました。
そのなかには、乱歩の自伝も混じっていました。
自伝の巻末には、乱歩が出した本の目録がありました。
図書委員は、さっそく、その目録にもとづいて本のリストをつくりはじめました。
そのリストができあがれば、資料収集の指針になります。
とか、ちんたら書いてるのがあほらしくなりましたけど、要するにね、乱歩の自伝を読みさえすれば、資料収集のおおまかな方針は簡単に立てられたわけです。
乱歩が出した著書のリストも、乱歩が執筆した作品のリストも、乱歩のことが記された関連文献のリストも、乱歩の自伝にもとづいて作成することがいくらでも可能だったわけですし、それがそのまま、乱歩関連資料収集の基本的な方向性を指し示す指針にもなったわけです。
すなわち、乱歩の自己収集を継承する、ということが簡単にできたわけです。
そこらの高校の図書委員にだって、名張市立図書館の開館にあたって、乱歩関連資料収集の方針なり方向性は、容易に打ち出すことができた、ということです。
そんな簡単なことが、名張市立図書館には、どうしてできなかったのか。
そんな簡単なことを、なぜ、しようとしなかったのか。
乱歩のことを知ろうとせず、乱歩作品を読もうとせず、資料収集ということがどんなことなんだか、それを考えようともしなかったからです。
そこらの高校の図書委員にでもできること、自分たちで考えて、自分たちで決めて、自分たちで進める、といった簡単なことを、いっさいしようとせんかったからよね。
それはいったい、どうしてだったのか、ということまでは、私にはわかりません。
図書館として当然のこと、図書館法に照らしてもあたりまえのこと、というか、ものの道理としてごくふつうのことを、名張市立図書館がなぜしようとしなかったのか、ということまでは、私にはわかりません。
しかしまあ、図書館としてまともではなかった、ということはたしかでしょう。
異常であった、といってもいいかもしれません。
乱歩の本を集めてる図書館だったら、乱歩のことにくわしいよね、というのが一般的な認識なわけですが、それが全然そうではないんですから、それは異常なことである、といっていいはずです。
で、この図書館、乱歩生誕百年も近づいたから、なんかやんないとかっこつかねーんじゃね? くらいのことはわかったらしい。
で、なにを思いついたか。
読書会でもどうじゃろか、といったことでした。
そりゃ逃げるぞ。
あたしゃ速攻で逃げましたよ。
私でなくたって、たいていのやつは速攻で逃げると思うぞ。
まともな人間なら、なんの方針もなくやみくもに乱歩の本を買いこむだけで、その目録をつくることすら思いつかずに、読書会なんかでお茶をにごしてことたれりとするだけの図書館なんて、そんなもん洟もひっかけんぞ。
それでまあ、とどのつまり、なにやっていいかわかんない、とか名張市立図書館から泣きつかれて、だったらなにもするなよばーか、とつっぱねる手もあったわけですけど、それじゃなんだかもったいない話だから、せめて目録をつくるくらいのことをすればいいじゃん、みたいなことを考えて、しかし乱歩の目録つくるなんて、この図書館にゃとても無理だろう、とも思われましたので、当方でつくることにいたしました。
要するに、もしそこらの高校の図書委員が名張市立図書館の初代館長だったら、当然のこととして進めたであろう作業を進めた、ということになります。
乱歩の自伝にもとづいて、著書や作品や関連文献のリストをつくり、自伝以降の刊行分も増補して、目録として体系化する、というだけの話です。
つまりまあ、世間さまに大うそをついたと申しますか、開館以来、まともなことなんてまったくできていなかったのですが、そういった事実はひた隠しにし、名張市立図書館はごくふつうの図書館として、明確な方針のもとに乱歩関連資料を収集してまいりました、図書館法の精神に照らしましても、収集資料にかんして「図書館の職員が図書館資料について十分な知識を持ち、その利用のための相談に応ずるようにすること」はちゃんとできておりますし、やはり図書館法に「図書館資料の分類排列を適切にし、及びその目録を整備すること」と記されていることでもありますので、このたび乱歩生誕百年を迎えましたのを機に、乱歩関連資料の目録作成を進めました、ということにしたわけです。
しかし、大うそでした。
なんでこんな大うそをついたのか、自分でもよくわからないのですが、ひとことでいえば、先のことを考える余裕がなかった、ということでしょう。
開館以来、名張市立図書館は乱歩の自己収集を継承して乱歩関連資料を収集してきました、ということは、目録の一冊目を手にとるだけでよくわかるようになっておるわけですが、そしてそんなのは大うそであったわけですが、そんな目録を出してしまったら、名張市立図書館は将来にわたってそうしたレベルの資料収集をつづけ、少なくとも発行した目録の増補だけはつづけなければならなくなる、といったことは、ちょっと考えればすぐに気がつくことなんですけれど、ものぐるいみたいな状態で一冊目の目録をつくっていた私には、そんなことに思いいたる余裕なんてまったくありませんでしたっけ。
つづく。
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