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平成24・2012年9月28日 産経デジタル
【赤レンガ駅舎復原 東京駅新生】ステーションホテルは唯一の重文ホテル
久保木善浩
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【赤レンガ駅舎復原 東京駅新生】ステーションホテルは唯一の重文ホテル
2012.09.28
南北の丸屋根に沿ってレイアウトされた「ドームサイド」ルームからは駅構内を行き交う人々が眺められる(東京ステーションホテル提供)
丸の内駅舎の内部が24日、報道陣に公開された。テレビのニュースなどで大きく報じられたのがリニューアルした東京ステーションホテル。客室は大幅に増設、拡幅、内装も一新され、まったく新しいホテルに生まれ変わった。特に1室しかない最高級の「ロイヤルスイート」ルームは広さ173平方メートル、1泊80万円という価格など、数字で表現されるスペック(仕様)が注目された。
しかし、同ホテルの藤崎斉(ひとし)総支配人は「われわれはスペックではなくストーリーを売りとするホテルでありたい」と強調する。
「リニューアル前の58室から150室に増えたとはいえ、部屋の数ならもっと多いホテルはいくらでもあります。なぜ1914年にこれだけの駅舎が建設され、どのような経緯でいまに至るのか。そのストーリーをつむいできた歴史が、かけがえのない財産なのです」
3階建ての駅舎は戦時中の空襲で3階部分が焼失し、戦後に2階建て、八角ドームで復興した。今回の保存・復原で駅舎が創建当時の3階建てに戻されたため、大幅な客室増が可能になった。部屋の数が増えたという事柄ひとつとっても、背景には東京駅ならではの深いストーリーがある。
重厚で落ち着きのある空間は文豪に好まれ、松本清張、川端康成、江戸川乱歩、内田百●(ひゃっけん)らが愛用していた。これも財産となるストーリーだ。
総支配人の藤崎氏は立教大卒業後の1984年、東京ヒルトンインターナショナル(現・ヒルトン東京)に開業スタッフとして入社。2002年、ウェスティンホテル東京に移り、宿泊部長を経て副総支配人に。その後、JALホテルズで経営陣の一翼を担ったが、東京ステーションホテルの再開業に合わせて異例の第一線復帰を遂げた。
「以前から好きなホテルの1つでした」と藤崎氏。それだけに思い入れは強い。
「これほどのホテルは日本で2度とできません。駅舎の復原には500億円かかっています。しかし、500億円かけても新たに作れるホテルではない。『日本でたった1つ、重要文化財の中にあるホテル』と、単に言うのは簡単ですが、建物が持つ意味、経てきた時間の長さ、歴史の重みを考えると、やはり唯一無二の存在。その中で色あせない記憶を提供していきたい」
藤崎氏は内装工事が始まる前のホテル内で、むき出しの状態だった厚さ60センチもの赤レンガの壁に目を見張った。創建当時の、日本の国力を示そうとする気概が強く伝わり、思わず背筋が伸びたという。
駅舎を設計した建築家、辰野金吾は「辰野堅固」の異名を取ったほど頑丈な建造物にこだわった。東京ステーションホテルのストーリーは辰野の手による堅固な土台の上に築かれ、これからも続いていく。(久保木善浩)
●=間の日を月に
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