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中日新聞 CHUNICHI Web
平成24・2012年9月16日 中日新聞社
四重奏 カルテット 小林信彦著
権田萬治
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2012年9月16日
◆推理小説めぐる人間模様
[評者]権田 萬治 文芸評論家。著書『松本清張-時代の闇を見つめた作家』など。
本書『四重奏 カルテット』は、作者小林信彦のあとがきの言葉を借りると、<推理小説の軽視された時代>を背景にした四つの中編小説を収録した作品集である。
江戸川乱歩は一九五七年から、売れ行き不振に陥った推理小説専門誌「宝石」の建て直しをはかるため経営と編集に参画、小林信彦は五九年に乱歩の要請により二十六歳の若さで、宝石社が創刊した新雑誌「ヒッチコック・マガジン」の編集長となった。
こういう当時の状況は、人物が実名で登場する巻頭の「夙川(しゅくがわ)事件-谷崎潤一郎余聞」に最も詳しく描かれているが、やがて編集長を辞め、映画・演劇評論家、また、作家として大きく飛躍する前のこの数年間は、作者の多感な青春時代でもあったのである。
したがって、四つの中編はそれぞれ扱っている主題は異なるが、この時期の若き作者の私小説的な体験も色濃くにじませている。
「夙川事件」では、若くして事故死した「新青年」の編集者で新鋭作家としても嘱望されていた渡辺温と谷崎潤一郎との交流を描きながら、乱歩や横溝正史、さらには作者小林信彦自身の文豪谷崎への深い敬愛の念を見事に浮き彫りにしている。
一部の作品で氷川鬼道として登場する乱歩の影は、各作品に投影しているが、病がちな晩年の乱歩が創作力の衰えを自覚しながらも作家活動と俗事の面で必死に戦っていたことを静かに追悼する「半巨人の肖像」には、間近で垣間見た素顔の乱歩への作者の複雑な想(おも)いがこめられているように思う。
このほか、編集部で校正の仕事をしていた「譚海」の元編集長真野律太をモデルにした「隅の老人」や、若き日の翻訳家群像を描いた「男たちの輪」など、いずれも戦後間もない頃の日本の推理小説界に関心を抱く人には、非常に懐かしく、捨てがたい魅力のある作品集である。
こばやし・のぶひこ 1932年生まれ。作家。著書に『丘の一族』『うらなり』『流される』など。
(幻戯書房・2100円)
<もう1冊>
小林信彦著『東京少年』(新潮文庫)。東京生まれの著者が学童疎開や空襲による実家の焼失など、敗戦前後の体験を描いた自伝的作品。
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