いつか伊賀地域全体で乱歩をフィーチャーする日のために、こっそり注視をつづけております伊賀市情報。
こんなのを忘れておりました。
▼伊賀タウン情報YOU:2年後の開館間に合わず 建設予定地も変更へ 新芭蕉翁記念館(2012年9月12日)
▼中日新聞 CHUNICHI Web:芭蕉翁記念館移転新築 生誕370周年間に合わず(2012年9月13日)
これはまた、なんやようわからん話です。
新しい芭蕉翁記念館と上野公園とを歩道橋で結ぶ、という計画が立てられておったらしいのですが、上野城跡保存整備指導委員会から、歩道橋はだーめ、という意見が出されたみたいです。
なぜ、だーめ、なのかというと、「史跡上野城跡そのものの価値を下げるものとして容認できない」とか、「(歩道橋の設置は)国史跡・上野城跡の形状を変えることになり、史跡としての価値を下げることになる」とか、そういったことが理由だそうです。
うーむ。
たしかにそのとおりでしょう。
「国史跡・上野城跡の形状を変える」ってのは、いくらなんでもまずすぎます。
史跡としての価値がどうこういう以前に、国史跡は基本、現状変更まかりならぬ、ということになっているのではなかったでしょうか。
つらつら思い返しますに、もうずいぶん昔のことになりますけど、名張市を代表する国史跡、美旗古墳群におきましても、現状変更をめぐってある不幸なできごとがありましたのじゃ。
あれはまさしく悲劇でございましたなあ。
美旗古墳群のなかで最大の古墳は、馬塚という前方後円墳です。
あるとき、近所のお年寄りがこの馬塚に集合して、ほほう、こーりゃええわい、おあつらえむきじゃ、これで寿命ものびるわい、とかなんとかいいながら、えーいこーらよっこらせーのせッ、とばかり、古墳の前方部でゲートボールをはじめてしまったそうです。
べつに現状変更といったおおげさなことではなかったんですけど、しかしまあ、多少は形状を変える、ということになってしまったのかどうか、そのへんの仔細はわからぬものの、とにかくおじいちゃんおばあちゃん、馬塚前方部で嬉々としてゲートボールに打ち興じておりました。
無理からぬ話でしょう。
美旗古墳群が国史跡に指定されるはるか以前に誕生し、馬塚を遊び場として成長したおじいちゃんおばあちゃんなんですから、その馬塚で当時ブームを呼んでいたゲートボールをやってなにがわるい、みたいなことだったんでしょうけど、国史跡は現状変更不可、ということになってるそうですから、なんちゅことしてくれてますのどなあッ、とあわてふためいたのが名張市教育委員会。
さっそくおじいちゃんおばあちゃんに因果がふくめられ、馬塚ゲートボール禁止令が出される運びとはなりました。
ことほどさように、国史跡の現状変更はまかりならぬ、ということになっているわけです。
国史跡をゲートボール場として使用することすら、天下のご法度ということなわけです。
国史跡はすべからく現状のまま保存されるべし。
それが鉄則なわけです。
したがいまして、歩道橋なんてものを新しくつくって国史跡たる上野城跡の形状を変えてしまう、なんてことがはたして許されるものかどうか、そのあたりをまず確認してから計画策定にとりかかるのが筋ってものだったんじゃね? とぞ思います。
大丈夫か実際。
ほんと、名張市教育委員会のみなさんでさえご存じのことが、伊賀市の新芭蕉翁記念館整備事業関係者のみなさんには、全然おわかりではなかったとみえますなあ。
おーい。
名張市教育委員会のみなさんやー。
勝ったぞー。
伊賀市に勝ったぞー。
日ごろ市民からあーこれこれ、あーこれこれ、以下略、と呼ばれとる名張市教育委員会のみなさんでさえご存じのことが、伊賀市にゃわからんかったみたいだぞー。
喜べ喜べ。
下には下があるもんじゃのう。
わーっはっはっは。
わーっはっはっはっは。
わはッ。
わはわはッ。
わはわはわはわはッ。
こんにちはッ、県民に腐れきんたまを押しつける男ッ、三重県知事の鈴木えーけーでございますッ。
わはわはわはわはわはわはッ。
とかえーけーてめーは関係ねーだろーがよー。
わーっはっはっは。
わーっはっはっはっは。
とか、伊賀市と名張市で勝ち抜きあほさん合戦やっとる場合ではありませんけど、とにかくみんな、ちっとはしっかりしましょうね。
もとより多くを望むわけではなけれども、とにかくもう少し、もう少しでいいから、ちっとはしっかりしましょうね。
以上、きのうのエントリの補足でした。
ではでは、幻影城ブロジェクトの件はまたあした。
どうぞごきげんよろしゅう。
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