うーむ。
厳しい残暑のなか、きょうもきょうとて鋭意検討を重ねてはいるのですが、どう考えてもだめざんしょ、という結論にいたってしまいそうなのが恐ろしい。
しかし、なんでいまごろこんなことで検討を重ね、あれこれひとりで悩まねばならぬのか。
うーむ。
というか、名張市立図書館はなんでここまでわけがわかってないのか、みたいなことを考えはじめると、どんな検討も土台からがらがらと崩れていってしまうから始末がわるい。
そもそも、乱歩関連資料を収集します、というお題目をぶちあげただけで、それっきりなんにも考えようとはしなかったんだから、なんともおはなしになりません。
うーむ。
とはいえ、これはとくに名張市役所のみなさんによくご認識いただきたいことなんですが、私は難しいことをいってるわけではまったくありません。
ごくあたりまえのことをいってるだけにすぎません。
どうして図書館としてごくあたりまえにやってるべきことが、名張市立図書館には全然できないのか。
乱歩関連資料を収集します、とぶちあげたそのあとは、ただ眼についた古書のたぐいあたりをやみくもに購入しただけで、収集の基準や方針をどうしてさだめようとしなかったのか。
基準や方針もなしに、どうやって資料収集が進められるというのか。
なんでなーんにも考えようとしなかったのか、というのがふしぎでならんわけなのですが、ならば、乱歩関連資料を集める、とぷちあげたあと、いったいなにをどうすればよかったのか。
なにを集めればよかったのか。
いうまでもなく、本です。
図書館が集めるものは、いうまでもなく本です。
では、どんな本か。
乱歩の本です。
乱歩が書いた本です。
乱歩関連資料の中心に位置するのは、乱歩が書いた本に決まっとります。
では、乱歩が書いた本を集めるには、どうすればよかったのか。
まず、乱歩がどういう作家であったのか、それを知ることが必要になります。
乱歩作品を読むことも要求されます。
なにしろ、図書館法にも、「図書館の職員が図書館資料について十分な知識を持ち、その利用のための相談に応ずるようにすること」と記されているわけですから、乱歩関連資料にかんする知識を身につけることがどうしても必要です。
そのためには、とりあえず乱歩が書いた本を読む、さらには、ほかのひとが乱歩について書いた本を読む、そういったことが必要になります。
では、乱歩という作家を知るためには、どうすればよかったのか。
まず手を伸ばすべきだったのは、乱歩の自伝でした。
乱歩自身の筆で、乱歩という作家のことが記された自伝。
それを読むのが第一歩です。
そうすると、乱歩が自伝に自分の本のことを記録していた、ということが判明します。
大正14年には『心理試験』を出し、翌15年には『屋根裏の散歩者』を出し、といったデータが乱歩自身の手でまとめられているわけです。
めっちゃ楽やん、ということになります。
乱歩の著書を一から調べる、という手間が省けるわけですから、こんな楽ちんなことはありません。
乱歩の自伝にもとづいて、乱歩が著した著書のリストをつくることが可能です。
自伝にはほかにも、大正12年には「新青年」の4月号に「二銭銅貨」を、7月号に「一枚の切符」を、12月号に「恐ろしき錯誤」を発表した、みたいな作品個々のデータも記録されています。
めっちゃ楽やん、といわざるをえません。
乱歩が発表した作品のリストもまた、乱歩の自伝にもとづいてつくることが可能です。
ただし、著書のデータであれ、作品のデータであれ、乱歩の記録を無批判に信用するのは危険です。
たとえば「恐ろしき錯誤」は、「新青年」の大正12年12月号ではなく11月号に掲載された作品ですから、乱歩の記録をそのまま鵜呑みにするのではなく、あくまでも批判的な態度を保ちつづけることがたいせつです。
ついでにいえば、いわゆる乱歩文献、つまりほかのひとが乱歩について書いた文章のことも、乱歩の自伝には記されていますから、やはりリストをつくることが可能です。
ですから、ほかの作家の場合にはこんな楽はできませんけど、乱歩という作家の場合には、『探偵小説四十年』という自伝にもとづいて、著書のリスト、作品のリスト、乱歩文献のリスト、これらみっつのリストをいきなり作成することが可能です。
乱歩関連資料の収集は、このみっつのリストをつくることから、つまり収集の手がかりをつくること、あるいは、乱歩の文業全体を俯瞰することから、地道に着実にはじめられるべきでした。
しかしながら、名張市立図書館はそうしたことをいっさいしませんでした。
それじゃ、あかんやろ。
乱歩のことを知ろうもとせず、乱歩作品を読もうともせず、なにも考えず、できるだけ働かず、とかそげなこつばゆうとった日にゃあ、乱歩関連資料の収集なんていつまでたってもできやせんけんね。
しかし、そもそもはごく簡単なことである。
乱歩の場合にかぎっていえば、ごく簡単どころか超簡単なことである。
乱歩がレールを引いてくれてあったわけですから、そのレールを延長するだけでいいわけです。
乱歩の自伝にもとづいてつくったみっつのリストを増補することが、すなわち乱歩のレールを延長する、ということであり、乱歩の自己収集を継承する、ということにほかなりません。
いつもゆうとりますとおり、乱歩関連資料を収集する、ということは、乱歩の自己収集を継承する、ということであるべきであって、乱歩の自己収集を継承し、みっつのリストを整理して充実させてゆけば、それはそのまま目録につながります。
図書館法には「図書館資料の分類排列を適切にし、及びその目録を整備すること」と記されているくらいで、目録づくりは図書館があたりまえに手がけるべき作業です。
しかも、乱歩関連資料の収集なんて、日本ひろしといえども名張市立図書館しかやってないことですから、収集資料活用の第一歩として目録をつくることは、名張市立図書館がオンリーワンの図書館として、ぜひとも進めなければならない事業です。
難しいことではありません。
あたりまえのことです。
あたりまえのことをあたりまえにやればいい、ということが、どうしてわからんのか。
いやー、あいもかわらず堂々めぐりがつづいて、なんだかあほみたいな話ですけど、どうしてこんなことをしつこく記しているのかといいますと、とくに名張市役所のみなさんならびに名張市民のみなさんに、かりに、あくまでもかりに、という仮定の話ではありますが、名張市立図書館が乱歩コーナーを閉鎖して乱歩から手を引く、ということになったとしても、それはそれで妥当な選択なのである、ということをあらかじめ了解しておいていただきたい、と思うからにほかなりません。
もちろん、そんなのはけっして望ましい選択ではないのですが、万やむをえない選択である、ということになってしまう可能性は少なからずあります。
うーむ。
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