真備町続報。
倉敷市真備町の横溝正史イベントが軌道に乗った舞台裏には、真備町民でも倉敷市民でもない岡山県民おふたりの協力があった、ときのう、追加情報のメールをいただきました。
おふたりとも、いわゆる有能な人材というわけで、いうまでもなく横溝正史や探偵小説にくわしいかたでいらっしゃる、とのこと。
さもありなん。
真備町の行政サイドにいくら熱意があっても、横溝正史にかんする知識が皆無であっては、行政職員の熱意はからまわりし、うわすべりして、通り一遍のイベントを消化試合みたいに実施して、それでおしまい、といった流れになってしまうしかないでしょうし、そんなイベントが正史ファンの心をつかむとも思われません。
ファンの心をつかむためには、ファンの助力協力を仰ぐのが手っ取り早い。
そうした頼もしい協力者を行政の外部にみつける、というのはとても重要で必要なことなんですが、そんなことまったく考えないのが名張市というところです。
──現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聞く考えはない。
こんなあほなことほざいて外部を遮断し、身内だけで泥船に乗りこみ、どこへ向かえばいいのかすら判断できぬまま、ぶくぶくぶくぶくと沈没してゆくことしかできません。
ただまあ、真備町のケースはむしろ例外と称するべきで、日本全国津々浦々、多くの自治体の実態というのは相当おそまつなものと推測され、外部の有能な人材とうまく連携できているところなど、ごくごく少数だと思われます。
そういえば、先日、森まゆみさんのブログにこんなことが書かれてありましたっけ。
▼森まゆみブログ:7月21日 鷗外記念館(2012年7月21日)
文京区の森鴎外記念館、今年11月にオーブンだそうです。
▼文京区:森鴎外記念館
その記念館の管理運営にあたる指定管理者が決まったのであるが、どうも方向性がおかしいのではないか、というのが森さんのご懸念で、
「だいたい区長を始め、アカデミー推進課の職員たちもどのくらい鷗外を読んで、ほんとうに愛しているのだろう」
とのことです。
おそらくは、まったくといっていいほど読んでおらず、まったくと断言できるほど愛なんかもちあわせていない、といったところでしょう。
さらに始末のわるいことには、
「区内に優秀な図書館員がいるのに、その人たちの力をなぜ区は大事にしないのだろう」
とのことでもあります。
鷗外の評伝を書きたいというひとにアドバイスできるだけの知識を身につけ、必要とあらば身銭を切ってドイツまで調査研究に足を運び、といったぐあいに陽のあたらないところで地道に本分を尽くしている図書館職員がないがしろにされ、鷗外のこともよく知らない指定管理者ばかりが陽の目をみて、軽薄そのものの表舞台をとりしきる、なんてのは当節、どこにでも転がってるような話ではあるにしても、やっぱりおかしなことだと思われます。
そもそも、結局は行政のコストカットを目的にしたものでしかない指定管理者制度というのが、まずおかしい。
森鴎外記念館の指定管理者になった業者だって、鷗外にかんしてはずぶの素人のようで、ですから森さんご指摘のとおり、講演会だのコンテストだの、イベントかましときゃいいんだろう、ひとを集めりゃいいんだろう、みたいな路線に走ってしまうことになりがちです。
行政内部に有能な人材がいるのに、それを重用しようとせず、むしろ冷遇する。
そんなお役所には、外部の有能な人材から助力協力を得られるわけがない、と判断されますが、真備町ではどうやら、くわしい経緯はわからぬものの、とにもかくにも、外部の人材との連携がうまくできているようで、今年のイベントの盛況をお祈りする次第です。
ところで、森まゆみさんのブログのこのエントリは、
「いまのやり方は鷗外にたいし微塵の愛もない、といってよい」
という手厳しい指摘で締めくくられていますが、鷗外を乱歩に置き換えるだけで、あーらふしぎ、そのまま名張市にもあてはまってしまいます。
名張市立図書館も一時は、乱歩のファンやコレクターから眼を向けていただき、というのも、質の高い目録の発行をはじめたからであって、名張市役所のみなさんのレベルでは、
「これ二冊ありますけどさなあ、こっちとこっち、表紙は違いますわてなあ。せやけど、中身はほれ、どっちも字ィ書いてあって、二色刷で、ふたつともおんなじですねさ。これ、こっちとこっち、どこが違いますの」
というだけの話になってしまわざるをえないわけなんですが、世間に出せばなかなかの目録だということになり、おかげさまで三冊目の目録をつくるときには、それこそ全国のみなさんからおおいに助力協力をかたじけなくして、いやー、名張市立図書館はようやっとる、とお認めいただいたわけだったのですが、いまやいったいどうよ。
それでは、本日も特筆大書の時間となりました。
名張市立図書館は現在、江戸川乱歩関連資料の収集をおこなっておりません。
それにしても、森まゆみさんによれば、文京区の図書館には、鷗外のことで地道に本分を尽くしている職員がいらっしゃったとのことで、小なりとはいえ名張市立図書館だって図書館にはちがいないんですから、しかも、館内に乱歩コーナーまで開設してる図書館なんですから、そういう職員が存在していないのは、むしろおかしなことです。
そんなのは、ふつうに考えて、ありえないことです。
図書館法にも、「図書館の職員が図書館資料について十分な知識を持ち、その利用のための相談に応ずるようにすること」と記されているわけですから、乱歩関連資料についてじゅうぶんな知識をもった職員がいない、というのはとてもおかしなこと、はっきりいって尋常ではない、換言すれば異常である、というしかない事態なんですけど、異常なことがあたりまえのこととしてまかり通ってしまうのが、ここ名張市というところです。
そんな図書館が、乱歩関連資料を収集しております、といってみたところで、だれにも相手にされないことでしょうし、そもそも市民の納得や共感を得られるはずもありません。
乱歩関連資料の収集なんてもうやめてしまうしかないんじゃね? という悪魔のささやきが日に日に声高に聞こえてくる気がいたしますが、いまだ鋭意検討中、断をくだすにはいたっておりません。
もしも収集を継続するにしても、先日来お伝えしておりますとおり、あくまでも衰退と縮小の時代における収集を模索しなければなりません、とか思っていたら、先日、衰退や縮小ではなくて没落だ、などとアメリカのほうからあからさまに指摘され、あ、やっぱそうなのか、とうっかり思ってしまいました、
▼YOMIURI ONLINE:ロムニー氏「我々は今後没落する日本とは違う」(2012年8月11日)
大統領選共和党候補のミット・ロムニーさん、「我々は日本とは違う。今後10年、100年かけて没落し、困難に苦しむ国にはならない」と好きなことおっしゃってくれたそうですけど、「日本の将来は悲観的だ」とする見解がアメリカではかなり一般的になっているのかもしれません。
そりゃそうだろうな、と思ってしまったのがつらいところなのですが、没落というほどひどい状態ではないにしても、もはや発展も成長も見込めない、という状態を最近、成熟、ということばで表現することがあるようです。
私はそんな表現をまったく知らなかったのですが、ロンドン五輪の報道でロンドンが成熟都市と称されているのに接し、ようよう気がついた次第でした。
▼朝日新聞デジタル:成熟都市の五輪、3度目成功 費用1兆円、東京招致は?(2012年8月13日)
▼MSN産経ニュース:英国、愛国心を謳歌 ロンドン五輪を東京の“教材”に(2012年8月13日)
▼日本経済新聞:五輪が示した「成熟国」への道(2012年8月14日)
そういえば、遠縁の娘が旗手を務めることもあってライブをじっくり視聴した開会式、新しいものではなく、ありものの素材、というよりは、いわば過去の資産を活用したあの演出こそ、衰退と縮小ならぬ成熟の時代のひとつのお手本ではないか、と思っておりましたところ、小西昌幸さんが徳島新聞のコラムにまことにマニアックな開会式評判記をお書きでしたので、天下御免の無断転載。
さてさて、成熟の時代における乱歩関連資料の収集、というのは、いったいどういうものになるのでしょうか。
幻影城プロジェクトの一環として、鋭意検討をつづけます。
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