8月も16日となりました。
今年の夏はさほどの猛暑でもない印象で、けさなど、といったって朝の5時半ごろの話ですけど、犬と散歩していてそこはかとなく秋の気配を感じたりしました。
では、きょうも特筆大書ではじめましょう。
名張市立図書館は現在、江戸川乱歩関連資料の収集をおこなっておりません。
現在ただいま、まさにそういうしかない状況なんですけど、では将来はどうかというと、名張市立図書館がまともになることは、まずありません。
まともになる、というのは、乱歩関連資料にかんして、
「図書館資料の分類排列を適切にし、及びその目録を整備すること」
とか、
「図書館の職員が図書館資料について十分な知識を持ち、その利用のための相談に応ずるようにすること」
とか、そういった図書館として当然のことができるようになる、ということなのですが、それはとても無理です。
だいたいが、もともとできてなかったわけです。
冗談にしか聞こえないかもしれませんけど、乱歩関連資料を収集してます、といいながら、じつはなにをどうしていいのかさっぱりわからない、というのが名張市立図書館の実態でした。
ですから、ただの一般市民であるこの私が、なにも考えず、できるだけ働かない、というお役所の鉄則を遵守している図書館になりかわって、とりあえず目録をつくる、ということを考え、しかし、目録をつくれといったってそんな能力、図書館にはまったくありませんでしたから、私がみずから大汗かいて目録をつくった、ということになります。
しかし、「目録を整備する」とか、「資料について十分な知識を持ち」とか、図書館法にうたわれてることにいっさい手をつけようとしなかった図書館ですから、ま、どうしようもないといえばどうしようもありません。
乱歩の自己収集を継承して資料を収集する、というのがどういうことか、目録のかたちでちゃんと示してみせてもなお、それでもなにもできない、しようとしない、というのが正直なところです。
なにしろ、副館長ともあろうおかたから、としつこくも記しますけど、目録の一冊目と二冊目を手にとって、
「これ二冊ありますけどさなあ、こっちとこっち、表紙は違いますわてなあ。せやけど、中身はほれ、どっちも字ィ書いてあって、二色刷で、ふたつともおんなじですねさ。これ、こっちとこっち、どこが違いますの」
とご下問がある、なんてのが実状です。
これを要するに、名張市立図書館にとって乱歩関連資料とは、あくまでも読むものではなくて飾るためのものである、ということになります。
これじゃ百年たってもなんにもできない。
だったら、もう資料収集なんてやめとけば? という声が出てきてもふしぎではありませんし、げんに私自身、幻影城プロジェクトの一環として現在ただいま鋭意検討中とはいえ、もうやめとくしかないか、と犬の散歩の途中でふと思ったりしないでもありません。
やめとくしかないか、と思われるもうひとつの理由は、スペースの問題です。
いうまでもなく、資料というのは収集すれば増えるものであって、それを収蔵するスペースが必要になります。
しかし、名張市立図書館にはそうしたスペースがありません。
さらには、慶應義塾大学推理小説同好会OB会のみなさんから寄贈していただきながら、その活用について考えることをいっさいせず、ひたすら死蔵しつづけている約四千冊の本と雑誌もまた、とにかくスペースがないということを理由として、地下書庫に眠らせたままの状態です。
こんなありさまで、その打開策を検討することもしないまま、ただ資料の収集を継続するというのはいかがなものか、ということも考えてみる必要があります。
こうなると、かえすがえすも残念なのは、みごとなまでの大失敗に終わった名張市のまちなか再生事業において、旧細川邸をうまく活用できなかったという一事です。
乱歩が生まれた新町にある旧細川邸を公共施設として整備する、というのであれば、なんらかのかたちで乱歩に関連づけることを考えてみるべきでした。
しかも、旧細川邸には蔵までありました。
その蔵を乱歩がらみで利用しない手はありません。
東京は池袋の旧乱歩邸にも蔵があって、先月下旬から今月上旬にかけて、新池袋モンパルナス西口まちかど回遊美術館、という長い名前のイベントの一環として特別公開がおこなわれました。
関係者のかたからお知らせいただいたブログ記事、きのうのエントリにもリンクを掲げましたが、こんな感じになっております。
▼第7回新池袋モンパルナス西口まちかど回遊美術館:回遊ブログ > 旧江戸川乱歩邸特別公開(2012年8月6日)
池袋の三原堂では、乱歩の蔵、というお菓子も販売されています。
▼池袋三原堂:乱歩の蔵
終の棲家となった旧乱歩邸に蔵があり、生誕の地である名張市新町にも蔵がある、というわけだったんですから、その旧細川邸の蔵を乱歩がらみで活用しなくてどうするよ、ということになるのがふつうなのですが、ちっともそんなことにならないのが名張市というところです。
あの旧細川邸の一部を乱歩がらみのスペースとして活用できていれば、名張市立図書館にある乱歩の遺品や資料を引っ越しさせ、名張駅を起点として名張のまちを回遊するコースの一点に乱歩の蔵を配置することができたはずだったのですが、ちっともそんなことにならないのが名張市というところです。
そういえば、まだ公表はされてないようなのですが、関係者のかたからきょう、メールでこっそり教えていただいたところによれば、倉敷市真備町で今年の秋も金田一耕助イベントが催されるそうです。
これが四回目で、去年はこんな感じ。
▼倉敷観光WEB:平成23年 巡・金田一耕助の小径 この秋も金田一耕助イベントを開催
真備町の回遊コースは、こんな感じ。
▼倉敷観光WEB:金田一耕助の足跡を辿る
真備町は横溝正史がらみのイベントをうまく軌道に乗せたようで、まさにご同慶のいたりなんですけど、いっぽう名張市はどうかといいますと、金田一耕助イベントのことをお知らせいただいたメールには、「真備と名張の大きすぎる、と言うかもう真夏と南極大陸ほどの温度差を感じています(苦笑)」と記されてありました。
とほほ。
いやはや、名張市が乱歩がらみでどんなことをするのか、と期待してくださってる乱歩ファンのかたも世間にはいらっしゃるわけなんですが、どんな期待もあっさり裏切ってしまうのが名張市というところです。
とほほ。
そういえば、つい先日、ある名張市民のかたから、名張まちなか再生委員会における乱歩がらみの問題でおまえはどういった役割をはたしたのか、とお尋ねをいただきましたので、ありゃりゃ、おれはあの委員会に入っていたと思われてるのか、といささか驚かされましたので、身の潔白をここに述べ立てておきますと、私が名張まちなか再生委員会に加わったのは、いわばすべてが終わったあとの話で、やれ旧細川邸がどうの、ほれ桝田医院第二病棟がこうの、となにも考えられず、なにも決められないみなさんがあほな紛糾をいたずらに重ねていた当時、私は名張まちなか再生委員会とはなんの関係もありませんでした。
とはいえ、委員会が結成される以前、名張まちなか再生プランなるものの素案が発表された時点で、そのあまりといえばあまりなおそまつさに驚いた私は、とりあえず乱歩がらみのことだけでも一言しておこうと考え、きわめてよくできたパブリックコメントを、それもたいていのあほさんにもよく理解していただけるよう、漫才形式の文書として提出いたしました。
しかし、それでも名張市役所のみなさんには理解していただけなかったみたいですから、なんかもうなみたいていのあほさんではなかったんだな、という感じなんですけど、それ以前の問題として、癒着結託相手にしか顔を向けない、というのが名張市役所のみなさんの特筆すべき習性であるようで、だったら私の意見なんか最初から無視されるしかない道理ではあり、あッ、あッ、あッ、思い出した思い出した、思い出したぞッ、名張まちなか再生委員会が結成されたとき、そのメンバーのあまりといえばあまりなおそまつさに驚いた私は、とりあえず乱歩関連の基礎知識だけは身につけておいていただこうと、委員のみなさんに乱歩のことをレクチャーする場を設けてくれんかね、と協力を申し出てみましたところ、あッ、あッ、あいつらこッ、こッ、こんなことぬかしやがったんだぞッ。
──現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聞く考えはない。
ばーか。
いやほんと、名張市ってのは死ぬほど最低なんッすから。
それでまあ、名張市新町に誕生するはずだった乱歩の蔵の件ですが、旧細川邸には蔵がふたつもあって、だからそのうちのひとつくらい、乱歩がらみで利用することを思いつくのがふつうだと思うんですが、というか、私のパブリックコメントには、旧細川邸の蔵は乱歩がらみで活用すべし、と明記してあったのですが、なんのなんの、名張市だもの。
ふたつの蔵のうちひとつは、オープン当初は地元CATV局のアドバンスコープがFM放送のサテライトスタジとして借りていたのですが、とっくの昔に撤退してしまい、せっかくの蔵がいまでは無用の長物みたいなことになってるようです。
▼名張市旧細川邸やなせ宿:施設予約状況
しっかし、施設予約状況なんて真っ白けのけじゃねーか。
いやまあ、死児のよわいを数えてみてもいたしかたありませんけど、きょうのポイントは、そもそも資料収集というのがどういうことかわかってない、収集した資料を収蔵するスペースがない、以上ふたつの理由によって、名張市立図書館がこれ以上、乱歩関連資料を収集するのが妥当なことかどうか、それを考えることが必要になると判断される、ということであって、そのあたり、幻影城プロジェクトの一環として鋭意検討中であることを重ねてお伝えしておきます。
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