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平成24・2012年7月13日 読売新聞社
【エンターテイメント小説月評】誰もが秘密を持っている
佐藤憲一
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かわいらしい女子高生が、好きな男の家の床下に潜り込むストーカーだったなんて話が、先日見ていた若者向けアニメ「輪まわるピングドラム」に出てきて、ぎょっとした。
江戸川乱歩の初期短編「屋根裏の散歩者」や「人間椅子」に通じる淫靡いんびなものを感じたのだが、ひそかに他人に近づき観察したいと思う病的心理は、誰の心にも潜んでいるものなのか?
小池真理子『二重生活』(角川書店)にも、秘密の観察に魅入られたヒロインが登場する。ただ、それは愛や執着心による通俗的ストーカー行為ではなく、フランスの現代思想やアートに影響された「文学的・哲学的尾行」だという。知的な尾行を唆そそのかす教授の物言いの何と蠱惑こわく的なこと!
25歳の大学院生・珠たまは、自分のマンション近くに住む中年男性・石坂の尾行を衝動的に始め、彼の不倫を目撃してしまう。嫉妬に駆られた妻と石坂の修羅場を盗み見るうち、珠の心中にも、自分の同棲どうせい相手への疑念がふくれあがってゆく。
二重写しの三角関係が、<誰も彼もが秘密をもって生きている>こと、そして猜疑さいぎ心の物狂おしさをあらわにするスリリングな展開が秀逸だ。秘密もそれを盗み見ることも媚薬びやく。かといって読者のあなた、「文学的・哲学的」にと正当化し、夫や彼氏のケータイを盗み見てはだめですよ。
三角関係を描いた古典といえば、親友を裏切って恋人を得た罪悪感の告白で知られる夏目漱石の「こヽろ」。小路しょうじ幸也『話虫干はなしむしぼし』(筑摩書房)は、この名作の内容を勝手に書き換えてしまう「話虫」の悪行を図書館員が物語の中に入って防ごうとする不条理小説だ。
明治のレトロな雰囲気の中で、虚構と現実が溶け合うメタフィクションの酩酊めいてい感に浸れる。なにせ「こヽろ」の主人公が何か変だと感じているのに、デビュー前の漱石本人や別の小説の有名人まで登場して込み入ってくるのだ。
歪ゆがんだ話を元に戻せば、親友Kの自殺という悲劇的な結末が待っているという矛盾も面白い。古典を読み返したくなるこのアイデアには続編も期待した。苦沙弥くしゃみ先生の猫が意に沿わぬ名前を付けられぼやく話なんて、どうでしょう。
永瀬隼介『カミカゼ』(幻冬舎)は、太平洋戦争末期、沖縄沖で米の空母に体当たりする直前にタイムスリップした特攻機のパイロットが、現代のフリーター青年と巡り合う。ありがちな話だが、若くして命を散らした特攻兵たちの友情と悔しさが切々と語られ、涙なしには読めない。極限を生きた昭和の男の実直な言動は、彼らの犠牲を忘れて我々が安閑と今を生きていることを思い起こさせてくれる。
1~3世紀の日本のあけぼのの時代を、壮大なロマンでたどるのが、帚木蓬生ははきぎほうせい『日御子ひみこ』(講談社)だ。幾つもの小国に分かれた倭わの国で、大陸の文字を操り通訳として活躍してきた「あずみ」の一族。ある者は漢への使者として金印と知識を持ち帰り、ある者は大乱の世に平和を祈る女王を支える。
争いや裏切りを戒めて代々受け継がれる一族の掟おきては、ヒューマニズムを重視してきた作家自身の信念だろう。掟の影響を受け、和の精神で人々を照らし出した女王ヒミコに、その後も争いに明け暮れた日本人への無言の抗議が託されている。これもまた、過去から現代を戒める物語なのだ。(文化部 佐藤憲一)
★5個で満点。☆は1/2点。
小池真理子『二重生活』
円熟の心理描写 ★★★★★
隣人が怖くなる度★★★★
満足感 ★★★★★
小路幸也『話虫干』
物語のゆらぎ感 ★★★★
文学愛 ★★★☆
満足感 ★★★☆
永瀬隼介『カミカゼ』
男泣き度 ★★★★☆
夏に読みたい度 ★★★☆
満足感 ★★★★
帚木蓬生『日御子』
海を渡るロマン ★★★★☆
古代の生活と技術 ★★★★
満足感 ★★★★☆
(2012年7月13日 読売新聞)
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