きょうもきょうとて、乱歩のことのみ、つづるなり。
と申しあげたいところなのですが、きょう7月28日はロンドン五輪開会式の日です。
開会式は日本時間の本日午前5時にスタートし、すでにつつがなく終了いたしましたが、おかげさまで、まことにおかげさまで、遠縁の娘が日本選手団の旗手という大役を、おかげさまでなんとか無事にあいつとめることができたようです。
MSN産経ニュースから無断転載。
記事はこちらでございます。
▼MSN産経ニュース:ロンドン五輪特集 > さっそうと旗手を務めた吉田沙保里(2012.7.28 07:53)
どうもありがとうございました。
開会式のライブをテレビ画面でぼーっとみておったのですが、参加各国、女性旗手にはそこそこなきれいどころをとりそろえてきておるらしいなと気がつき、そこでふとわれに返って、いやこ、これはちょ、ちょっと、と一抹の不安をおぼえはじめた次第ではあったのですが、なんのなんの、遠縁の娘も結構本気でつくりあげてはきており、いささか緊張気味の表情ながら、華やかな雰囲気を全身にまとったような印象も好ましくて、なかなか立派な旗手ぶりではなかったか、と手前味噌ながら思いました。
ご支援、ご声援、どうもありがとうございました。
ちなみに遠縁の娘、競技本番は8月9日となっております。
ひきつづきまして今後とも、どうぞよろしくお願い申しあげます。
ではでは、乱歩の話題でございます。
「陰獣」をめぐる憤りと伝説
ロンドン五輪の2012年から、「陰獣」の1928年まで、八十四年を一気にさかのぼっていただきますが、なにをいくらどう考えても、「新青年」の編集者だった横溝正史が、休筆中の乱歩から、復帰第一作は「改造」に発表するんだもんね、と聞かされて、眼もくらむほどの憤りをおぼえなかったはずはありません。
しかし、正史はなにしろ編集者です。
その憤りをまんま口にしたり、ましてや乱歩に食ってかかったり、そんなことはとてもできません。
いくら業腹でもすべては腹に収め、乱歩に傑作を書かせることを最優先させました。
乱歩歿後の1975年になって、つまり、「陰獣」から四十七年が経過したときに、正史は「『パノラマ島奇譚』と『陰獣』が出来る話」を発表し、「新青年」に「陰獣」を獲得したときの舞台裏を回想していますが、そこには乱歩に抱いた憤りのことなど毛筋ほども記されていません。
五十年近い昔のことなど、すっかり忘れていた、ということなのかもしれませんし、あるいは、おぼえてはいたけれど、あえて蒸し返すことでもないと判断し、乱歩がかつて記したところを追認することで、「陰獣」をめぐる伝説を当事者のひとりとして補完した、ということなのかもしれません。
いずれにせよ、正史が憤らなかった、とは考えられないわけですが、乱歩や正史が述懐したところをそのまま鵜呑みにするだけでは、百年たっても正史の心中を忖度することは不可能でしょう。
だいたいが、探偵小説の愛読者というのは、猜疑心のかたまりみたいな人間ではないか、と思われます。
ひとのいうことをなんでも真に受けて、疑うことを知らない、なんてことでは、いくら探偵小説を読んだところで、作者にいいようにだまされてばかり、ということになるしかないでしょう。
乱歩の定義はほんとにおかしい
猜疑と穿鑿の亡者となって小説の行文にねちねちと粘着する、というのが、探偵小説の読者としてあらまほしき態度だといえると思うのですが、それがやれ自伝だ随筆だ、ということになると、猜疑も穿鑿もどこへやら、書かれてあることをそのまんま信じて疑わない、などというナイーブな読者になりはててしまうのは、ても面妖なことじゃのう、と思います。
そうした面妖さの頂点にあるのが、いくたびもしつこく指摘しますけど、乱歩による探偵小説の定義でしょう。
探偵小説とは、主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く経路の面白さを主眼とする文学である。
これです。
なにをいくらどう考えても、乱歩によるこの定義はおかしい。
難解な秘密、というフレーズが、死ぬほどおかしい。
一般的には、こんなところに、秘密、ということばは使用しないでしょう。
秘密と論理、が探偵小説の二大要素である、みたいなことは、ほかにはだれひとりとして主張していないはずです。
早い話、乱歩自身、「探偵小説に現われたる犯罪心理」の冒頭で、と、だしぬけにこの作品が出てくるのは、つい最近、さるアンソロジーに収録されたせいで、その出だしを記憶していたからなのですが、ついでですから、そのアンソロジーのことを録したこのエントリで、「探偵小説に現われたる犯罪心理」の冒頭をお読みいただきましょうか。
▼2012年7月19日:悪のしくみ 中学生までに読んでおきたい哲学2
ごらんのとおり、乱歩は「探偵小説はその本来の目的が複雑な謎を解く論理の興味に在る」と明記しています。
これならよくわかります。
謎と論理。
それが探偵小説の二大要素である。
これなら、なんの支障もありません。
だというのに、乱歩はなぜか、かんじんかなめの定義において、「難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く」と不用意に書きつけてしまったわけであり、さらにまたなぜか、探偵小説の愛読者は、猜疑も穿鑿もどこへやら、乱歩の定義を鵜呑みにして、疑いを差し挟むことなどいっさいせず、得々として引用したりもしながらこんにちにいたった、というありさまで、そうしたナイーブさはやはり、ても面妖なことじゃのう、とおおいに驚かれるものだというしかありません。
猜疑と穿鑿の化身として
とはいうものの、かくいう私とて、上に述べたようなことに思いいたったのはまだ最近のことですから、大きなことは申せません。
それに私は、探偵小説の愛読者、というわけではまったくありませんから、じつは探偵小説の定義なんてどうでもよろしく、もしかしたらもしかして、探偵小説の愛読者にとっても、ただただ良質の探偵小説が存在していてくれればそれでよろしく、定義なんてじつはどうだっていいんだよ、みたいなことであるのかもしれなくて、だからこそ、探偵小説の愛読者は、乱歩の定義をまともに読もうとせず、ゆえに、その定義の面妖さにも気づくことがなかった、ということではないのか、と、いま急に思われてきた次第なのですが、とにもかくにも、今後とも猜疑と穿鑿の化身として、『探偵小説四十年』をはじめとした乱歩作品に接してゆきたいな、とは思います。
むろん、近年、『探偵小説四十年』を唯一絶対の正史にして聖典とみることへの疑義が呈されるようにもなってはきていて、たとえば先月、作品者から刊行された『岡本綺堂探偵小説全集』第一巻で、編者の末國善己さんは巻末の「編者解説」にこんなふうにお書きです。
綺堂の探偵小説は、(捕物帳の『半七捕物帳』を除けば)探偵小説史に記録されることはなかった。しかも『半七捕物帳』は、乱歩のお眼鏡にはかなわなかったようで、『探偵小説四十年』には「綺堂の捕物帳は出ていたけれども、これでは物足りない。もっとトリックと論理のある探偵小説が要望され愛読されなくてはつまらないと思った」とネガティブな評価を下されている。ただ留意しなければならないのは、探偵小説の歴史が『探偵小説四十年』を一種の“聖典”として、戦前なら「新青年」、戦後なら「宝石」に発表されたような「トリックと論理のある」本格ミステリを軸に記述されてきた事実である。そのことは、乱歩が『一寸法師』(「東京日日新聞」一九二六年一二月八日~一九二七年二月二〇日)、『蜘蛛男』(「講談倶楽部」一九二九年八月~一九三〇年六月)、『黒蜥蜴』(「日の出」一九三四年一月~一二月)といった猟奇殺人鬼と名探偵の戦いを描くスリラーを、自作でありながら“通俗長篇”と呼んで一段低く見ていたことからも明らかだろう。だがそれは、新聞に連載された家庭小説風の探偵小説はもちろん、「講談倶楽部」、「キング」など探偵小説専門誌ではないメディアに発表された通俗的な探偵小説も、ジャンルの歴史から抜け落ちていることを意味する。そうであるなら、岡本経一いうところの「一般受け」していた綺堂の探偵小説を知れば、マニアが書き継いだ探偵小説史とは異なる、一般的な読者が好んだ作品でたどるもう一つの探偵小説史が浮かび上がる可能性さえ秘めているのである。
拝読して、深い共感をおぼえた次第です。
ではでは、とりあえず、このへんで。
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