なんやかんやとあれじゃけど、いったいなんの話をしとったのか、というと、あーこれこれ名張市教育委員会のみなさんや、という話である。
お元気ですか名張市教育委員会のみなさんや、という話である。
ちなみに、現在ただいま、この国において、全然お元気ではない教育委員会の筆頭は、といえば、夏休みがはじまってひと息ついたじゃろ、とはいうものの、いわずと知れた滋賀県大津市の教育委員会じゃろうのう。
大津市の市立皇子山中学校でいじめがあって、去年の10月、いじめられた生徒が自殺しておった、という事実が、ここへ来て明らかになった。
それがマスコミやネットでおおいに喧伝され、あっちでもこっちでも、いじめが、いじめが、いじめが、とかまびすしい。
しかし、いじめなんてのは、珍しいものでもなんでもない。
そこらじゅうにふつうに転がっとるものであるし、それにそもそも、いじめは学校の専売特許だ、といったことでもまったくない。
自死にまでいたる、あるいは、いたらされるいじめが、学校のなかに存在している、ということは、学校以外の場にも、自死に向かうしかないような凄絶ないじめが日常的に存在している、ゆうことにほかならんじゃろう。
個人にいじめられ、組織にいじめられ、社会や国家にいじめられた人間が、絶望のはてに自死を選ぶ。
そんなのがいまや日常的な光景になっとるから、そうした現実の写し鏡として、どこにも逃げ場がないと絶望した中学生が短絡的に死を選んでしまった、ゆうことやないのか。
早い話、大津市の教育委員会や学校といったおとなの世界にも、いじめと呼ぶべき事実はごろごろ転がっとったはずである。
それにしても、この大津事件、いやいや、大津事件、などといってしまうと凶徒津田三蔵の一件みたいだけど、この新しい大津事件、テレビニュースで校長だの教育長だの関係者の映像を眼にするたんびに思うのは、職業としての教育、なんてものに長きにわたって携わり、思いあがった勘違いを一日一日、塗り重ねるようにして生きていると、ひとは往々にして、品性というものを完全に失ってしまうものらしい、ということだ。
さらにまた、教育委員会はもちろん、教職員組合とか、あるいは、学校とか、そういうとこにいらっしゃるみなさんは、隠蔽と保身に凝り固まり、自分たちのことしか眼中にないような連中ばっかなんじゃね? とかいったようなことも、大津事件のニュースに接すると、どうしても思われてくるわけなんよね。
ほんと、ろくでもないのは大津市教育委員会だけじゃなくて、われらが名張市教育委員会だって、じゅうぶん立派にろくでもないんだぞ、というのは、まぎれもない事実だ。
あーこれこれ名張市教育委員会のあほのみなさんや、と一般市民からばかにされとるくらいやから、ま、あほなことはあほなんやけど、それでも隠蔽と保身だけはしっかりしたもんだからな実際。
たとえば、名張市公式サイトにおける著作権問題、っつーのがあってな、いったいどうなってんの? と尋ねたところ、
「掲載されています窪田空穂の文章が著作権継承者の承諾を得ているかどうかのお尋ねですが、記事を作成した担当者ならびに関係書類について不明であり、著作権継承者の承諾を得たかどうかについては確認できておりません」
とか、しれっと答えることができる、ってのが、名張市教育委員会のクオリティなのな。
詳細は、このエントリあたり。
▼2012年2月14日:幻影城プロジェクト始動、か? 財政再建篇
いやいや、そんなことはまあどうでもいいとして、問題はなんであったか、というと、乱歩狂言たらゆうもんが、はたして、被災地の復興支援になるのであろうか、ということなのであった。
結論としては、先日も記したとおり、支援事業の押しつけはやめましょー、ということになる。
とはいうものの、お役所のみなさんってのは、押しつけるのがご専門だからな。
こんにちはッ、県民に腐れきんたまを押しつける男ッ、三重県知事の鈴木えーけーでございますッ、わはわはわはッ、とみずから名乗りをおあげになるわれらがぽてちん知事さんはまだたちのおよろしいほうであって、お役所のみなさんってのは知らん顔してだんまりを決めこんだまま、てめーらの身勝手な都合を地域住民にぐいぐいぐいぐい、押しつけてきやがんだもんなあ。
いやいや、そんなこともまあどうでもいいとして、乱歩狂言「押絵と旅する男」の話題じゃ。
2004年11月14日、日曜日のことであった。
三重県と伊賀地域旧七市町村が血税三億円をどぶに捨てた官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の一環として、乱歩狂言「押絵と旅する男」が名張市青少年センター、いまはネーミングライツが売り飛ばされてADSホール、ということになっとるけど、とにかくそこで初演された。
みたいなことは、しつこいようだが、このエントリにも記した。
▼2012年4月14日:乱歩狂言の思い出
でもって、初演の入りはどうであったか、というと、あんまりおぼえてないんだけど、満員御礼、みたいな感じでは、まったくなかった。
というより、むしろ、客席はがらがらだった、のではないか。
そんな記憶がある、ような気がする。
正確なところは名張市教育委員会に確認するしかないんだけど、確認してみたところで、「担当者ならびに関係書類について不明であり」、さっぱりわかりまへん、みたいな返事が返ってくるだけなのかな。
わはは。
えーあほさんあほさん。
名張市教育委員会のあほのみなさん。
そのへんいったい、どうなんじゃろうな。
わはは。
わはは。
わはは。
ただまあ、さっぱりひとが集まらんかった、というのは、無理からぬ話じゃろうな。
いくら無理やり押しつけても、大量に動員でもかけないかぎり、興味のあるひとしか足を運んでくれないのは、むしろ当然である。
しかも、乱歩または狂言に興味のある名張市民、なんてのがどれくらい存在するのかというと、どちらもほぼゼロといっていいのではないか。
そりゃまあ、名張は乱歩が生まれた土地だから、乱歩とのゆかりはたしかにある。
狂言はどうか。
名張とは無縁である、といえばいえる。
しかし、狂言ってのは能の兄弟みたいなものだから、観阿弥とのゆかりにかんがみるならば、まったく無縁である、とはいえなくなってくる。
げんに、名張子ども狂言の会、なんてのも活動してるくらいだ。
だから、名張は狂言にゆかりのある土地でございます、と主張することは、いくらでも可能だ。
さてそれで、乱歩にも、狂言にも、ともどもに縁があるこの名張という土地で、2004年の11月、乱歩狂言なるものを本邦初演で披露してみたところ、あちゃー、みごとなまでに、こけちゃいましたね、ということになった。
いやいや、関係者のみなさんには、こけた、といった感覚はなかったであろう。
主体性放棄と責任回避のお役人道を生きるみなさんにゃ、入場者の数や赤字の額なんて、どちらもどうでもいいことなのである。
適当な思いつきで乱歩狂言かましてみましたー、客はさっぱり入りませんでしたー、というだけ、それだけで話が終わってしまうんだけど、だったら終わったままにしとけばいいものを、あーこれこれ、あーこれこれ、あーこれこれあほのみなさんや。
名張市教育委員会のあほのみなさんや。
あんたら、乱歩と狂言にゆかりをもつここ名張市において、残念ながら市民から見向きもされなかったような出しものを、あーこれこれ、乱歩にも狂言にもまったく関係のない土地へもっていって、やんややんやの大喝采を受けると思うとらっしゃるのか。
ましてや、それが被災地の復興を支援することにつながる、と思うとらっしゃるのか。
もちろん、芸能は無力ではない。
それどころか、ひとをこの苛酷な人生にふたたびみたびと正対させてくれるパワーを秘めている。
生の賦活にあずかって、大きな力を発揮してくれる。
しかし、ポピュラリティの問題、ってやつがあるだろうがよ。
残念ながら狂言は、ごく一部には熱心な愛好者も存在しているものの、身近な芸能というわけではまったくない。
復興支援の狂言やりまーす、とぶちあげてみたところで、胸を高鳴らせながら本番を心待ちにしてくれるようなひとたちが、いったいどれほど存在するというのか。
ほとんどゼロなのではないか。
名張市教育委員会のみなさんにおかれてはじゃな、自分が宮城県塩竈市の市民であり、もとより乱歩にも狂言にもなんの興味もない人間である、と仮定したうえで、ちょっと考えてみていただきたいんだけど、10月に塩竈で乱歩狂言が上演されまーす、と聞かされて、わーい、わーい、やったー、やったー、と大喜びする?
せんやろ。
まず思うのは、えーっと、それ、なに? ということじゃろう。
乱歩という作家が書いた小説を、狂言という伝統芸能の形式で演じるものです、とか説明されて、それで納得はしたとしても、じゃ、ぜひ、みに行こう、とか思う?
たぶん、思わんと思うぞ。
でもって、さらに問う。
それが支援か?
支援になるか?
なりゃせんと思う。
むしろ、負担になるのではないか。
必要とされていない。
興味の対象にもならない。
そんな出しものをわざわざもっていったところで、支援どころか負担になるだけじゃね? とぞ思う。
むろん、塩竈市サイドも、こういうことになった以上、それなりのPRと動員によって、名張市の顔がなんとか立つようにはしてくれることじゃろうけど、しかし、こういうのは、要するに、押しつけ、なのである。
押しつけ以外のなにものでもないのである。
なにごとであれ、押しつけられる、なんてのは、いやなものであろうが。
名張市教育委員会のみなさんだって、今年3月、三重県教育委員会にたいして、高校統合案なんて勝手に押しつけてきてんじゃねーよ、とお怒りだったのではないか。
押しつけられることには不満をおぼえるけど、押しつけるときには平気で押しつける。
もしかしたらあんたら、そーゆータイプ?
それも当然かもしれないね。
さっきも記したごとく、お役人さまってのは、てめーらの身勝手な都合を地域住民に押しつけるのがお仕事だからな。
だからまあ、なにをいってみたところで、馬の耳に念仏、蛙のつらにしょんべん、ぴかぴかぱんつにうんこ、みたいなことになるしかないんだけど、相手の立場に立って考える、とか、他人の身になって考える、とか、そんなあたりまえのこともできないようなみなさんには、教育たらゆうものにかかわるお仕事なんて、とても無理無理、向いてないと思うぞ。
とにかく、被災者をだしにし、復興支援にかこつけて、小つまらぬ自己顕示欲を満足させてへらへら喜んでんじゃねーよばーか、と思われたってしかたないのが、乱歩狂言塩竈公演だと思う。
それにな、復興支援がどうのこうの、とか偉そうなことをいうのであれば、費用は全額、名張市で面倒をみてやれよ。
被災地のみなさんにほんとに喜ばれ、名張市の名を高からしめる事業なら、名張市民も全額負担することを快く了解してくれると思うぞ。
とにかく、まあ、結論としては、ゆうとるとおり、支援事業の押しつけはやめましょー、ということだ。
しかも、へたするとこれ、支援事業の押し売りはやめましょー、ということにもなりかねないんだぞ。
みたいなことは、先日も打ち明けたとおり、みてみぬふりをしといてやろう、とか思ってたんだけど、GUSTAVさんからお寄せいただいたコメントにインスパイアされて、いささかを記した次第である。
ついでだから、PRにもつとめておこうか。
▼名張市:創作乱歩狂言「押し絵と旅する男2012」に来てだあこ![平成24年6月27日掲載]
「『乱歩のふるさと名張』を全国発信します」とのことじゃけど、ま、とても無理じゃろうな。
そんなことより、いまやわれらが名張市、例の震災がれき問題でずいぶん全国発信していただいているようだぞ。
まず、本日のウェブニュース。
▼朝日新聞デジタル:周辺5地区説明へ(2012年7月21日)
▼中日新聞 CHUNICHI Web:がれき処理へ協定変更求める名張市長(2012年7月21日)
なんなんだろうないったい。
なんでここまで強硬なんだうな。
震災がれきを焼却する施設の地元から、これまで二回にわたる説明会において、これ以上ないほどはっきりと、強く強くNOをつきつけられてしまったにもかかわらず、このうえまーだ、しょうこりもなく地区別の説明会を開こうってんだからな。
のみならず、行政の手駒を総動員、みたいな雲行きにもなってきた。
▼MSN産経ニュース:震災がれき受け入れ問題 名張市議と住民が懇談会 三重(2012年7月21日)
名張市議会の定例会において、アドバンテージだかアドバルーンだか知らんけど、とにかく柳生大輔先生が震災がれき受け入れに大賛成された、とは先日報じられたところじゃが、この懇談会の記事から判断するならば、福田博行先生、永岡禎先生、吉住美智子先生が賛成派、三原淳子先生が反対派、ということになるようじゃ。
市議会と地域づくり組織による究極のツートップ攻撃、首尾よく奏功して震災がれきの受け入れが実現するかどうか、にこにこしながら見守りたいものである。
でもって、全国発信の件であるが、きのう開かれた伊賀南部環境衛生組合の組合議会全員協議会のもようは、このブログでひろく発信していただいておる。
▼伊賀・水と緑の会 http://blog.goo.ne.jp/mtomiga?:「区長発言」が無視された 伊賀南部環境衛生組合・議会(2012年7月21日)
現在ただいま、この名張市を全国発信しようと思ったら、震災がれき問題をテーマにしない手はないと思う。
いじめは大津、がれきは名張、みたいな感じで、がんがんがんがん、全国発信するのがいいある思うよ。
ところで、きょうはこんなウェブニュースもあった。
▼伊勢新聞:「いじめ許さない」 知事、緊急アピール表明(2012年7月21日)
震災がれきの押しつけってのは、知事さんによる地域住民いじめである、みたいな気さえするんだけど、まさかそのぽてちん知事さんの口から、
「いじめ許さない」
みたいなおことばが飛び出そうとは、夢にも思わなんだなあ。
いじめる知事さん。
いじめられる住民。
そのあいだに立つ自治体の首長さんは、本来どちらにおつきになるべきなんだろうね。
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