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Nabari Ningaikyo Blog
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Posted by 中 相作 - 2012.07.13,Fri

 だからまあ、いろいろあれこれ、みてみぬふりをしてやろう、とは思うとった。

 

 たとえば、この件。

 

 朝日新聞デジタル:乱歩原作 狂言で復興を(2012年7月7日)

 

 ところが、コメントをお寄せいただいた。

 

 2012年7月11日:乱歩原作 狂言で復興を > 著作権は・・・(2012年7月11日)

 

 だから、著作権まわりのことを、いささか、お答え申しあげた。

 

 2012年7月11日:乱歩原作 狂言で復興を > いくらあほでもそこまでは、とは思うのですが(2012年7月12日)

 

 名張市教育委員会はとんでもないあほである、というのはたしかなことであって、たとえば、世に著作権なるものが存在する、ということをつい最近まで知らなかった。

 

 名張市教育委員会が、というよりも、そもそも名張市という自治体そのものが、そーりゃもうずいぶんとまあおそまつさまにおじゃりまする、という厳然たる事実は一部の市民のあいだでは共通認識となっておるわけやから、たとえば、名張市が乱歩狂言をどうのこうの、みたいなニュースが報じられると、市民のあいだから、おいおい大丈夫か? もしかしたら著作権無視でやってんじゃね? とかいったような懸念も生じてくるという寸法なのである。

 

 ただまあ、行政運営のあれこれを案じてくれる市民が存在する、というのは、名張市にとってありがたいことなんだぞ。

 

 だというのに、名張市役所のみなさんと来た日には、行政運営にかんする市民の懸念や、それにもとづく市民からの助言や提言を、ほんとにもう死ぬほどいやがるわけなんだし、そもそもそれ以前に、市民の声をまともに理解することができない。

 

 だからあちきなんて、先日も記したとおり、おめーらさすがにそんなことじゃまずかろーがよ、ちっとはしっかりしろよおら、おらおらおらあッ、とお役所のみなさんがたをいいだけ叱り飛ばしてさしあげたところでだな、馬の耳に念仏、蛙のつらにしょんべん、ぴかぴかぱんつにうんこ、みたいなことで終わってしまうわけ、てな感じになってしもうてじゃな、あまりにもひどい行政運営をまのあたりにして、あ、ここはひとことご忠言申しあげるのが市民の務めだな、と思うことがあっても、ああ、もう、どうだっていいか、ここはもう、みてみぬふりをしてしまおう、みたいなことになってしまうわけね、というわけね。

 

 しかし、やっぱ、たとえばGUSTAVさんみたいに、乱歩狂言のニュースに接して、「もしや名張市は著作権などというものを気にもかけずこんなことしてんじゃないか」とお思いになったり、「とりあえず一市民として成り行きを見守りたい」とおっしゃったりするかたもいらっしゃるわけなんだから、あちきもあんまり投げやりにならず、声をあげつづけていったほうがいいのかな、と思い直されたりもする次第ではあり、だから、とりあえず、乱歩狂言について、不肖いささか先生、いささかを記そう。

 

 最初に結論を書いてしまえば、支援事業の押しつけはやめましょー、ということになる。

 

 だいたいがだな、乱歩狂言を被災地で上演して、それが復興の支援になるかどうか、おおいに疑問だといわざるをえない。

 

 みたいなことを述べる以前に、この乱歩狂言たらゆうものについて記しておくと、この作品、あちきは買わない、みたいなことはかつてこのエントリに記したから、お暇ならお読みあれ。

 

  2012年4月14日:乱歩狂言の思い出

 

 一般的な認識として、狂言はコメディである。

 

 笑いをとりに行かなくてどうする、という芸能である。

 

 2004年11月14日、名張市青少年センターで初演された乱歩狂言「押絵と旅する男」をみて、いささか先生はあらためてそう思った。

 

 なんで「押絵と旅する男」を狂言になんかしたんだろ、とも思った。

 

 でもって、7月7日付の朝日の記事を読んでみたところ、「2004年の市制50周年を記念して名張の造り酒屋を舞台に、名張市教育委員会が能楽師の帆足正規(まさのり)さんに狂言風に脚色してもらい、上演した」とあるではないか。

 

 あーこれこれ。

 

 あーこれこれ名張市教育委員会のみなさんや。

 

 名張市教育委員会のあほのみなさん。

 

 あほのみなさんったらあほのみなさん。

 

 あほたれがわけのわかんないことぶちかまして喜んでんじゃねーぞこの低能委員会、みたいなことはまあいいとして、なんらかの必要から乱歩作品を狂言に仕立てる、といったことになった場合、以前にも記したとおり、怪人二十面相が出てくるオリジナルストーリー、みたいな線をねらうのが、いわゆるふつうの感覚ってやつだと思うぞ。

 

 よりにもよって、なんで押絵なんだよ。

 

 というのも、世の中、乱歩ファンなんて、ごくごく少数である。

 

 乱歩作品なんて読んだことがない、みたいなひとがほとんどである。

 

 はたまた、世の中、狂言ファンなんて、やはりごくごく少数である。

 

 生の狂言なんて、いちどもみたことがない、みたいなひとがほとんどである。

 

 で、なんらかの必要から、乱歩作品を狂言に仕立てることになった、とかいう場合、やっぱ、選ぶべきは王道だと思う。

 

 いかに多くのひとに興味をもってもらえるか。

 

 いかに多くのひとに足を運んでもらえるか。

 

 いかに多くのひとに楽しんでもらえるか。

 

 いかに多くのひとに笑ってもらえるか。

 

 乱歩作品をなんと狂言に、みたいな試みに挑戦する場合、制作者サイドとしては、まずそういうことを考えるべきなのね。

 

 ステージをつくりあげる、というのは、そういうことなのね。

 

 とくに、なんつったって狂言なんだから、とにかく笑える舞台にする、ってのが王道だ。

 

 しかし、「押絵と旅する男」を狂言にする、と決めた時点で、笑いという要素はきれいに捨て去られてしまったわけなのね。

 

 なんでそんなこと、名張市教育委員会は、やらかしてしまったんだろうね。

 

 しかも、というべきか、あるいは、だというのに、というべきか、朝日の記事によれば、「名張市教委は『狂言の笑いを復興支援の力に』と話している」とのことではないか。

 

 えーっと、あほ?

 

 名張市教育委員会のみなさん、って、あほ?

 

 むろん、あほである。

 

 そんなことは、いささか先生、ようよう知っておる。

 

 しかしなあ、いくらなんでも、乱歩狂言「押絵と旅する男」のどこかに「狂言の笑い」があると思うか。

 

 ない。

 

 そんなもの、あるわけがない。

 

 だというのに、「狂言の笑いを復興支援の力に」とかゆうとるんやから、あほというしかないではないか。

 

 ただし、名張市教育委員会のみなさんも、ようやくそのあたりのことにお気づきになったということか、今回の公演では、「名張市教委は、脚本を担当する帆足さんに、塩釜公演では地元の塩釜神社にちなむ話や方言を、東京公演でもご当地の話を盛り込んでもらうよう頼んだ」とのことである。

 

 つまり、小手先の弥縫策に走って、ご当地ネタの小つまらぬくすぐりを盛りこむことで、せこい笑いでもいいからなんとか笑いをとるっちゃ、とか涙ぐましい思いつきに走ってしまったわけなんだろうけど、いまさらそんな真似してみたところで、なんの意味もないと思うぞ。

 

 ま、あほのみなさんにゃ、しょせんその程度のことしかできねーんだろーけどよー。

 

 わはは。

 

 ばーか。

 

 ばーかばーか。

 

 名張市教育委員会のばーかばーかばーか。

 

 わはは。

 

 つづく。

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