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Nabari Ningaikyo Blog
Posted by - 2024.11.23,Sat
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Posted by 中 相作 - 2010.10.22,Fri
昭和十年(1935)
 
一月一日(火曜)
「ぷろふいる」一月号(第三巻第一号)の奥付発行日。甲賀三郎「探偵小説講話」第一回を掲載、十二月号(第三巻第十二号)で完結。《これは甲賀君年来の持論である本格探偵小説擁護の評論ともいうべきものであったが、その論調やや偏狭に失し、「本格作家以外のものは探偵小説壇から退場せよ」というような口吻さえ感じられたので、探偵文壇全体としては、同感よりは寧ろ反感を感じたものの方が多かったのだと思うが、同感にもせよ反撥にもせよ、この「講話」が探偵小説愛好者の間に一つの情熱をまき起したことは確かであった[探偵小説十五年──「鬼の言葉」前後(その一)/昭和14年2月]
 
一月二十日(日曜)
平凡社「乱歩傑作選集」第一巻『黄金仮面』の奥付発行日。昭和六年から七年にかけて出版された全集の紙型をつかい、翻訳の巻を省いて十二巻とした。完結は十二月。《赤本ノ感ジニテ不快デハアッタガ印税収入ホシサニ我慢シタ[貼雑年譜]
 
一月二十六日(土曜)
午後六時からレインボー・グリルで開かれた夢野久作『ドグラ・マグラ』出版記念会に出席。[探偵小説四十年──「ドグラ・マグラ」出版記念会/昭和29年9月]
 
一月末
名古屋の井上良夫から初めて来信があり、長い手紙のやりとりが始まる。井上からフィルポッツ『赤毛のレドメイン一家』を借覧し、《この一篇によって、私はもう一度探偵小説が好きになった[探偵小説愛読記/昭和10年5月]》、《「赤毛のレドメイン一家」がひどく私を喜ばせた。アア、まだこんな面白い探偵小説を読み残していたのかと、夜を徹して読み終ったあと、私の中の「鬼」がムクムクと頭をもたげ始めたのである[「赤毛のレドメイン一家」/昭和10年9月]》、《井上良夫君がフィルポッツの「赤毛のレドメイン一家」を送ってくれ、それを一読してから、私の中の本格探偵小説への情熱のようなものが勃然として湧き起った[探偵小説十五年──「鬼の言葉」前後(その三)/昭和14年5月]》。ひきつづき井上、石川一郎、延原謙からフィルポッツの著作を借りて読み、ほかにヘキスト、ブッシュ、バンクロフト、クリスティ、マクドナルド、セイヤーズと読みあさった。[探偵小説愛読記/昭和10年5月]
 
三月七日(木曜)
探偵文学社「探偵文学」創刊号の奥付発行日。
 
四月三日(水曜)
「探偵文学」五月号(第一巻第二号)の奥付発行日。「江戸川乱歩号」とし、大下宇陀児「乱歩氏のこと」、水谷準「わが乱歩に望む」、海野十三「乱歩氏の懐し味」、小栗虫太郎「禿山の一夜」、木々高太郎「江戸川乱歩論」、中島親「江戸川乱歩論──Profile of Rampo」などを掲載。《たとえ同人雑誌にもせよ、江戸川乱歩号というものを出してくれたのは、初めてのことなので、この号は私を大いに喜ばせたものである[探偵小説四十年──「探偵文学」江戸川乱歩号/昭和29年9月]
 
五月三日(金曜)
新潮社「新作探偵小説全集」第一巻『蠢く触手』の奥付発行日。
 
五月
蓄膿症手術で入院する少し前、来訪した大下宇陀児にヴァン・ダイン『世界探偵小説傑作集』とセイヤーズ『探偵、怪奇、恐怖小説集』を示して「日本にもこんな傑作集が出てもいい頃じゃないかなあ」といったことがきっかけとなり、宇陀児の仲介で春秋社から乱歩の編纂による日本人作家のアンソロジーを出版する企画がまとまった。まず十五人の収録作家を決め、各自三作ほど自選してもらったなかから一篇を選んだ。[探偵小説十五年──「鬼の言葉」前後(その三)/昭和14年5月]
 
五月二十一日(火曜
神田駿河台の小野耳鼻科病院に入院し、左右上顎の蓄膿症手術を受けた。昭和三年に扁桃腺を摘出、昭和八年に鼻茸を切除したが、蓄膿症の手術を受けていなかったため鼻茸が成長して鼻で呼吸することができなくなった。春、ある会合で会った奥村五十嵐と平野嶺夫に鼻の不快を訴えたところ、名医として小野医師を教えられた。その後、両人に同行してもらって診察を受け、手術を勧められたため意を決して入院、左右とも一時間ずつの手術だった。[探偵小説四十年──蓄膿症を手術/昭和29年12月]
 
六月十五日(土曜)
小野耳鼻科病院を退院。患部の洗滌のために通院した。[探偵小説四十年──蓄膿症を手術/昭和29年12月]
退院後一か月ほどは春秋社『日本探偵小説傑作集』に収める評論のための読書と執筆に費やした。[探偵小説十五年──「鬼の言葉」前後(その三)/昭和14年5月]
 
海野十三と連れ立って木々高太郎が初めて来訪。土蔵のなかで話したが、木々は前年の「石榴」を「あれは非常に面白く読みました」と褒めてくれた。このころから「石榴」が《少くとも一部の読者には、そんなに不評でもなかったことが少しずつ私に分って来たのである》。[探偵小説十五年──「石榴」回顧/昭和14年1月]
 
七月二十一日(日曜)
隆太郎が小野耳鼻科病院に入院し、父親と同じ蓄膿症手術を受けた。八月十一日に退院。[中島河太郎:江戸川乱歩年譜/平成元年5月]
 
七、八月
須藤憲三によれば、講談社の野間清治社長を囲む有力寄稿家の懇親会、交談会が東京会館で開かれ、その席で初めて会った乱歩に須藤は「少年倶楽部」への執筆を依頼した。乱歩は驚きながらも興味を抱いた様子だった。「少年倶楽部」新年号のプランは六月に原案がまとめられ、七月の中会議、八月下旬から九月初旬にかけての大会議を経て決定されることになっていたが、須藤は中会議で了解をとりつけて交談会に臨んでいた。数日後に訪問すると乱歩はすでに書く気になっていて、編集部との話し合いも支障なく進んだ。[須藤憲三:乱歩先生の「少年もの」/昭和44年11月]
 
八月二十五日(日曜)
隆子の母親の葬儀に列席するため、夫婦で三重県志摩郡坂手村の村山家を訪れた。[貼雑年譜]
 
九月一日(日曜)
「ぷろふいる」九月号(第三巻第九号)の奥付発行日。「鬼の言葉」の連載を開始し、翌年五月号まで七回執筆。『赤毛のレドメイン一家』を一読して湧き起こった本格探偵小説への情熱が書かせた。[探偵小説十五年──「鬼の言葉」前後(その三)/昭和14年5月]
 
九月二十二日(日曜)
春秋社『日本探偵小説傑作集』の奥付発行日。横溝正史「面影双紙」、水谷準「司馬家崩壊」、甲賀三郎「体温計殺人事件」、大下宇陀児「情獄」、小酒井不木「恋愛曲線」、城昌幸「シャンプオオル氏事件の顛末」、夢野久作「押絵の奇蹟」、渡辺温「可哀相な姉」、葛山二郎「赤いペンキを買った女」、海野十三「振動魔」、浜尾四郎「彼が殺したか」、渡辺啓助「愛慾埃及学」、小栗虫太郎「完全犯罪」、木々高太郎「網膜脈視症」、江戸川乱歩「心理試験」を収録し、探偵小説と作家とを論じた「日本の探偵小説」を書き下ろした。
 
十月五日(土曜)
春秋社『闘争 小酒井不木傑作集』の奥付発行日。出版社の勧めによって編纂した。[探偵小説十五年──「鬼の言葉」前後(その三)/昭和14年5月]
 
十月二十日(日曜)
森下雨村と共同監修した柳香書院「世界探偵名作全集」第一巻『赤毛のレドメイン一家』の奥付発行日。イードン・フィルポッツ作、井上良夫訳。柳香書院の主人から勧めを受け、《大戦後の目ぼしい長篇探偵小説を、出来るだけ厳選し、優秀な訳者を選んで、権威ある飜訳叢書を出版したいと考えた。その為には私自身も随分原本を読みあさったし、又井上良夫君などの助力をも乞うて、結局三十巻の優秀作品を選び出すことが出来た》が、翌年にかけて五巻を出しただけで中絶した。[探偵小説十五年──「鬼の言葉」前後(その三)/昭和14年5月]
第一巻につづいて刊行されたのは、第三巻『赤色館の秘密』A・A・ミルン作、妹尾アキ夫訳、十一月三十日、第二巻『十二の刺傷』アガサ・クリスティ作、延原謙訳、十二月三十日、第五巻『矢の家』A・E・W・メースン作、妹尾アキ夫訳、昭和十一年(?)、第四巻『陸橋殺人事件』ロナルド・ノックス作、井上良夫訳、昭和十一年三月十日。[森下祐行:ミスダス
 
十月二十五日(金曜)
柳香書院『石榴』の奥付発行日。「石榴」「陰獣」「心理試験」を収めた。《この三つが私の純探偵小説の代表的なものと考えたからである》[探偵小説四十年──中央公論の「石榴」/昭和29年7月]
 
十二月一日(日曜)
黒白書房「月刊探偵」創刊号の奥付発行日。
 
十二月八日(日曜
午後七時三十分からNHKラジオ第二放送の探偵作家座談会に出席。ほかに甲賀三郎、大下宇陀児、森下雨村、海野十三、水谷準、夢野久作、木々高太郎、延原謙が出演。[貼雑年譜]
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