なんなんだなんなんだ、鈴木えーけーさんだか、びーけーさんだか、しーけーさんだか、みたいなことは、きょうはいわない。
素直に祝意を表する。
われらが三重県知事、お父さんにおなりになった。
写真入りのウェブニュースをどうぞ。
▼朝日新聞デジタル:育休宣言の三重知事に長男誕生 6月下旬に数日間取得へ(2012年6月5日)
めでたい。
じつにおめでたいことである。
この新しい生命が、三重県の美しく豊かな自然のなかで、すくすくすこやかに育つことを心から祈る次第である。
さて、三重県における震災がれきの受け入れ問題であるが、話はこんなところまで来た。
▼中日新聞 CHUNICHI Web:県の放射線基準「妥当」 がれき処理で検討委(2012年6月6日)
受け入れ準備は着々と進み、きのう開かれた検討委員会では、安全である、との太鼓判もどーんとおされたようである。
さーあ、震災がれきがんがん受け入れて、及ばずながら被災地の復興を手助けするぞーっ、と思っていらっしゃる県民もあろうけれども、この中日の記事によれば、三重県が募ったパブリックコメント、「賛否を集計すると、賛成は六人、反対は二百七人、不明五十七人だった」とのことで、七五%以上が受け入れに反対、ということになるわけだ。
どうなるのであろうな。
どうなるのであろうな、といえば、武雄市図書館のツタヤ丸投げプロジェクト、どうなるのであろうな。
武雄市の6月定例会は、4日月曜に開会したあと、今週はずーっとおやすみで、11日月曜から14日木曜までが一般質問。
▼武雄市:平成24年6月定例会一般質問通告一覧
一般質問には十五議員が登壇し、うち十一議員が図書館問題を俎上に載せるらしい。
6月議会開会日の市長さんによる提案理由説明では、きのうも記したとおり、三百六十五日開館するとか、開館時間を延長するとか、みたいなあたりが主眼になっていて、先日来おおいに問題になっていた貸し出しカードをめぐる新機軸はあっさりトーンダウンしていた印象があったんだけど、市長さんのブログにもそうした点にツッコミを入れるコメントが寄せられている。
▼武雄市長物語:6月市議会が始まりました(2012年6月5日)
コメントには、「公務員のスキルが足りないならそのスキルアップよりは専門家だからこそできる管理・サービスを買った方が安いし万全だということも、理があると思います」とあるんだけど、それはどうだろうな。
そもそもこれ、スキルの問題かよ。
▼武雄市:市長提案事項説明要旨
このコメントは、提案事項説明要旨にある市長さんのことばを引くと、
「私は、公務員の諸君にTSUTAYAのようになれということ自体が間違い、それはすなわち、キリスト教の人をイスラム教に改宗させるようなものであります」
「逆にいうと、TSUTAYAの諸君を公務員のようになってくれというのは、それは無理な話です」
といったあたりを踏まえてのものなんだけど、ぶっちゃけていってしまうと、スキルの問題なんかではまったくない、と思われる。
スキルにかこつけることは可能であっても、結局のところ、人件費の問題だろうよ。
図書館を三百六十五日開館したり、午前9時から午後9時まで開館したり、そういったことは、もちろん、全然、不可能ではない。
不可能ではないけれど、そのために公務員に働いてもらうとなると、人件費が膨れあがってしまう。
だから、そんなことは、とてもできない。
しかし、ツタヤの諸君になら、できる。
ツタヤという企業になら、若い労働力を安く買い叩くことができる。
だったら、ツタヤの諸君に図書館で働いてもらえばいいじゃん、というだけの話だと思うぞ。
市長さんみずからおっしゃってたけど、これはそもそも、図書館をツタヤみたいにしたい、休みなしにして、開館時間も延長したい、という幼稚な思いつきから出発した話である。
しかし、公務員がやるとしたら、人件費がネックになって、とても実現できない。
だったら、げんに実現させてるツタヤに委託すりゃいいじゃん、というごくごく単純な話であったと思う。
武雄市の市長さんが、公務員の諸君はツタヤの諸君になれないし、ツタヤの諸君は公務員の諸君になれない、とおっしゃったことばの真意は、というか、裏側にあった意味は、そういうことであったはずで、スキルがどうのこうの、とかそんなことはまったく関係がないのではないか。
そもそも、ツタヤの諸君のスキルというのは、ひとつのシステムのなかでマニュアルどおりに動くためのもので、それは図書館における資料収集などの業務とは縁もゆかりもないスキルである。
いやまあ、実際のところは、図書館で働いている公務員のみなさんだって、そのあたりのスキルはきわめておそまつだ、といわざるをえないであろう。
だいたいがだな、日本全国津々浦々、どちらの自治体におじゃましても、図書館なんてのは出世コースとは関係のない離れ小島みたいなところであって、どころか、へたすりゃ箸にも棒にもかからんような役立たず職員の島流し先なのである、みたいな確固たる認識が、庁舎の内外を問わずひろまっているといっていいのではないかしら。
よく知られた漢詩にも、左遷せられて図書館にいたり、長崎から船に乗って神戸についた、というのがあるくらいじゃ。
したがって、日本全国、図書館に勤務する公務員のなかには、ずいぶんひどいのがごろごろしてたりしてるはずだから、そんなのを一人前扱いして税金で無駄飯食わせるよりは、労働力を安く買い叩くことができる民間企業に丸投げしたほうがコストカットになっていいんじゃね? というのが、図書館における指定管理者制度導入の根幹にある認識であると思われる。
サービスがどうのこうの、なんていうのは、ただのおためごかしにすぎない。
例によって例のごとく、お役所のみなさんが自分たちの勝手な都合を地域住民に押しつけているだけの話にすぎない。
サービスのことなんかどうだっていい、コストカットできればそれでいい、というのがお役所の本音なのよ。
でもって、あれこれの懸念はいっさい無視して、指定管理者制度にえいやっと飛びついてしまった図書館が、全国の図書館のほぼ一割を占めているらしいんだけど、そうした試みをさらに先鋭化し、いってみれば図書館のコンビニ化を一挙に進めたい、というのが、武雄市図書館ツタヤ丸投げプロジェクトの本質である、ということになるのではないか。
いずれにせよ、武雄市の市長さんには、深い考えなどなにもなくて、ただの思いつきを強引に、軽くきじるし? と思わしめるほどの突破力で推し進めてきた、というだけの話なんだとあたいはみる。
しかし、ただの思いつきを出発点として、ここまでの展開を実現できるというのは、いくら市長としての権能を有しているからといっても、その発想力と実行力と発信力には端倪すべからざるものがあるわけであって、ここに思わず敬意を表しておきたい。
むろん、図書館をツタヤに丸投げなんかしてんじゃねーよばーか、とあたいは思ってるわけなんだけどね。
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