寒いわ雨だわよう降っとるわ、犬の散歩はどないしょう、とか思いつつ、そういえば、と思い出されるのは、やや間が空いてしまった話題となりますが、二日目は寒いわ雨だわたたたたたッ、いやいや、たたられたわだった名張まちなかのご町内イベント、怪人二十面相のなりきりコンテストは2ちゃんねるでも話題にしていただきました。
▼ニュース速報+@2ch掲示板:【社会】江戸川乱歩の生誕地に怪人二十面相がたくさん現れる - 三重
間が空いたせいですでにdat落ちとなってますけど、ご心配なく、きのうの朝、魚拓を取っときました。
▼ウェブ魚拓:【社会】江戸川乱歩の生誕地に怪人二十面相がたくさん現れる - 三重
関係各位は末永くご参考に。
というところで、犬の散歩、ちょっと行ってきました。
寒いわ雨だわでもう大変です。
それにしても、と2ちゃんねるの話題に戻りますけど、乱歩はやっぱよく読まれてるな、と思わされるレスもあって、なかなか感慨深かったりもいたします。
なかにゃこんなんもありましたけど。
48 :名無しさん@13周年:2012/11/14(水) 12:57:10.17 ID:fJny/PbT0
やっぱり名張の話か。
その割には、あまり普段は江戸川乱歩をプッシュしているというわけでもないだよね。
ほんと、プッシュしてません。
あるいは、ご町内だけでプッシュしてる、はたまた、身内だけでプッシュしてる、でなければ、乱歩を利用して小つまらぬ自己顕示欲を満足させることが乱歩をプッシュすることだとかんちがいしてる、というよりも、なにをどうプッシュすればいいのかさっぱりわかんないからとりあえずうわっつらだけとりつくろってる、てゆーか、もしかしたら天国の乱歩が苦りきったような顔してんじゃね? みたいな感じでしょうか。
ま、どうだっていいや。
いっぽう、この時期恒例となった倉敷市のコスプレイベントのほうはどうか、といいますと、今年は11月24日の開催だそうです。
▼倉敷観光WEB:コスプレイベント 1000人の金田一耕助 – 巡・金田一耕助の小怪
2009年にはじまったイベントですが、あっちこっち検索していたところ、イベントの歩みを記録したブログ記事がありました。
▼まいにち勉強:巡・金田一耕助の小径「1000人の金田一耕助 2012」
一年目には、「扮装までしてと言ったらコアなファンしか集まらないのでは?と地元の人間としても思っていたものです」だったそうですが、それでもおよそ三十人が参加して、「まあ成功とのこと」。
二年目は、ドレスコードをゆるくして、「金田一以外の横溝作品の登場人物でもOKという条件があったので、女性も参加しやすくなったようで2009年を上回る参加者になり」、参加者からはこんな声も聞かれたそうです。
「真備町はファンにとって聖地みたいなものなので、そこでこういうイベントが行われるなら必ず来なくては!」
名張だって、乱歩ファンの聖地、ということになる可能性は有しているはずなんですけど、いやもう全然。
倉敷市のコスプレイベントは、「横溝ファンの年一回のオフ会も兼ねているようです」とのことですから、名張市だって年に一度、乱歩ファンの聖地としてオフ会も兼ねられるイベントをやればいいようなものなんですけど、いやもう全然。
そして三年目は、さらに参加者が増え、しかも「ほとんどが県外からの参加者」、なかにゃ北海道や韓国から足を運んだひともあったとのことで、なおかつ「参加者と共に増え続けているのが取材陣の数」という人気ぶり。
でもって今年が四年目なんですが、「実は4回目の今年が、市として大掛かりなイベントを行うのは最後になるとのこと」という気がかりな地元情報も記されていて、こうしたイベントを継続するにはいろいろ難しいこともあるんでしょうけど、なんとか来年以降につながることを期待したいと思います。
さて、来年も開催されるんだかどうなんだかまったくわかんない怪人二十面相なりきりコンテストはいいとしても、名張市立図書館における乱歩関連資料の収集にかんしては、天国の乱歩はまずまちがいなく、思いっきり苦虫をかみつぶしたような顔をしているものと思われます。
しとらいでかそんなもん。
しかしまあ、いたしかたありません。
天国の乱歩がどんな顔していようが、名張市立図書館にはまともなことがなにひとつできないんですから、乱歩にはずーっと苦虫をかみつぶしていてもらうしかありません。
で、つづきですけど、本来であれば、というのはむろん、私個人の考えでしかないわけですけど、名張市立図書館は乱歩の自己収集を継承するべきです。
しかし、現実的な問題として、そんなことはできない。
そもそも、乱歩の自己収集、ということが理解できない。
だったら、乱歩の自己収集は無視してしまい、名張市立図書館が身のたけ身のほどの範囲内で乱歩関連資料を収集することにして、そのための基準や方針を考えてみようね、とアドバイスしても、考えられない。
名張ってのは、ま、そんなとこだっちゃ。
目録つくるという当然のことさえ思いつけずに、乱歩の読書会でもどうじゃろか、とうわっつらとりつくろうだけのことしか思いつけない。
乱歩関連資料を収集する、とぶちあげたにもかかわらず、それ以上のことはなにも考えられない。
そこらの高校の図書委員でも考えつけることを、いっさい考えようとしない。
お経は読んでも乱歩は読まぬッ、腹が張っても屁はこかぬッ、ぷう、とかばかなことばっかいってるからこんなことになるんじゃねーか、とは思いますけど、とにかくもうどうしようもない感じです。
で、先日のつづきですけど、いくらどうしようもないったって、すでに所蔵している乱歩関連資料はどうするよ、ということになります。
これもせめて、少なくとも、最低でも、体系性とか全体性とかはとりあえず横に置いといて、その書誌データをネット上で公開する、ついでですから、あちこちから寄贈していただいたミステリ関連図書の書誌データもネット上で公開する、ということにするだけで、名張市民にも図書寄贈者にもなんとか顔向けができるわけなんですけど、そんなことしたら大変です。
名張市立図書館は乱歩や探偵小説に関係のある資料を専門的に収集していて、そうした資料のこともよく知っている、と世間から思われてしまいますから、そんなことだけは避けたい。
なにしろもう、お経は読んでも乱歩は読まぬッ、腹が張っても屁はこかぬッ、ぷう、なわけなんですから、乱歩のことも探偵小説のこともなんにも知りません。
そのあたり、なんとかならんのか、とお思いのかたもおありでしょうけど、つまりまあ、いまとなっては、というべきか、あるいは、最初っからそうだった、というべきか、ともあれいまや、手のほどこしようというやつがなくなっていて、しつこくも死児のよわいを数えつづけますと、やっぱ名張市のまちなか再生事業が起死回生、乾坤一擲のあれだったわけでした。
そういえば、もう一週間以上前になりますか、会いたいとおっしゃるかたがあって、近鉄プラザ桔梗が丘にある喫茶店で乱歩のことその他、ちょっとおはなししたんですけど、話の流れとして、名張まちなか再生プランに提出したパブリックコメント、ほぼすべてをしゃべりまくる仕儀となってしまいました。
パブリックコメントに盛りこんだアイデアは面白がっていただけたんですけど、ま、念のため、というかなんというか、まったく意味のないことではありますけど、ここにリンクを掲げておくことにいたします。
さてそれで、乱歩関連資料もミステリ関連寄贈図書もいっさい活用できないとなると、ほんとにもうどうよ、ということになって、そしたらまあ、結局のところ、アドバイザーとして名張市立図書館に提言したものの、だめだこりゃ、ということになってしまった乱歩作品のデータベースだけでもなんとかしたいなと、それがつまり、先日記した名張市立図書館の目録三冊でカバーできていないことなんですけど、とりあえずそっちのほうだけでもちゃんとしとかなきゃな、というなりゆきとなりました。
なんか、えらいことになっちゃいました。
多気町が、震災がれきNO、ということになってしまいました。
▼中日新聞 CHUNICHI Web:震災がれき受け入れ問題に波紋 多気町断念で(2012年11月13日)
多気町議会の全員協議会で、反対十二、賛成一、だったというんですから、町長さんも、NO、というしかありません。
しかも、なおかつ、かてて加えて、伊賀市の市長選挙がこんな結果に。
▼MSN産経ニュース:伊賀市長に岡本氏初当選 「納得いく市民主体の市政を」 三重(2012年11月13日)
新しい市長さんが「反対姿勢を明確にした」ってんですから、大変じゃありませんか。
われらがぼてちん知事さん、大変ですがな。
わはッ。
わはわはッ。
こんにちはッ、県民に腐れきんたまを押しつける男ッ、三重県知事の鈴木えーけーでございますッ。
てなことおっしゃっとる場合じゃありゃせんぞなもし。
あやつり人形でーす、とみずから公表して出馬したかたが当選なさったのなら、既定路線がめでたく無理なく踏襲されていたはずなんですけど、この選挙結果だったら既定路線はあっさりご破算。
伊賀市と名張市が手に手をとって、ぼくの名前はきん坊、ぼくの名前はたま坊、ふたりあわせてきんたまだー、きーみとぼくとできんたまだー、ちーさなものからおーきなものまで震災がれきはがんがん燃やすぞー、と大声で歌いながらぽてちん知事さんの腐れきんたまをお支えする、という既定路線は、すっかりぱーになってしもうた。
いかんなあ。
いかんいかん。
こんなことではいかんぞ。
しかし、鍵をにぎっておるのは、伊賀南部環境衛生組合じゃからなあ。
とはいうものの、伊賀南部環境衛生組合も、なんか、手詰まり?
いわゆるごみステーション問題に際しては、あれだけ鮮やかに市民をだまくらかしたというのに、今回はなんだか、手際がわるくね?
多気町断念を報じる中日新聞の記事によれば、
「焼却灰について県は伊賀市の廃棄物処理会社『三重中央開発』に受け入れを要請しているが久保町長は『県が要請した七月以降、話は進んでいない』と否定的な見方を示している」
とのことやから、伊賀南部環境衛生組合としても、打つ手がない、ということなのかもしれません。
いやいや、しかし、名張市にはやッ、やッ、やッ、やぎゅーせんせッ、柳生大輔大先生がいらっしゃるではないか。
なんつったって、アドバルーンなんだからな。
それはもちろん、名張市議会の先生がたにおかれましては、福田博行先生も、永岡禎先生も、吉住美智子先生も、それぞれ震災がれきの受け入れに積極的な姿勢をお示しなんですけど、なんつったって柳生先生はアドバルーンなんだぞ。
なにがアドバルーンなんだか、もうひとつようわかりませんけど、とにかくアドバルーンなんですから、やッ、やッ、やぎゅーせんせッ、腐れきんたまをよろしくお願いねー。
さて、つづき。
やっぱ無理ではないのか、のつづき。
名張市立図書館が乱歩関連資料を収集する、といったって、乱歩という作家について知ることなく、乱歩作品を読むことなく、収集資料にも眼を通すことなく、なおかつ、収集資料にかんする情報をインターネットで受発信することもしない、という限定のもとで収集するなんて、不可能ではないのか。
そうした制約のもとで収集できるのは、せいぜいが、乱歩の単著くらいなものでしょう。
しかし、乱歩の単著っていったって、たとえば今年度、すなわち今年の4月1日以降、ただの一冊も出版されてないわけですし、かりに出版されてたとしても、ただ購入して所蔵してるだけ、というのではなくて、こんなん出ましたけど、とインターネットを利用して情報発信するべきだと思われるんですけど、それはいたしません、ということなんですから、そういうのはまともな資料収集とはとても呼べないと思われます。
まともな資料収集、というのは、そこらの高校の図書委員にでもできることなんですけど、とにかくできない、する気がない、というのですから、それが名張市立図書館の伝統だ、ということで納得するしかありません。
伝統、というか、運命、ってやつでしょうか。
日本でただひとつ、名張市立図書館だけが収集してきた乱歩関連資料も、乱歩生誕地の図書館だから、ということで寄せられた寄贈図書も、陽の目をみることなく、ずーっと死蔵されたまま。
それが運命です。
なんか、しょーもない運命ですけど、それこそ既定路線で、いまから修正することは不可能です。
とにかく、名張市立図書館に動く気がないんですから、いくら横からぎゃあぎゃあいったって、まったくの無駄です。
だったらもう、これ以上の資料収集なんか必要ないじゃん、ということにはなるでしょう。
だいたい、まあTPPがらみの問題ではあるんですけど、乱歩の著作権保護期間もそろそろおしまいになるわけですし、未発表作品が発見される、みたいな可能性はあるかもしれませんけど、乱歩の新作が発表されるなんてことはもうないわけです。
それにだいいち、乱歩関連資料を収集するにしても、名張市立図書館には収集方針を決めることさえできません。
私はやっぱ、乱歩の自己収集を継承するのが望ましいな、と考えるわけですけど、乱歩の自己収集ってのがどんなものなんだか、名張市立図書館にはまったくわかんない。
名張市立図書館が発行した三冊の目録が、じつは乱歩の自己収集を明確にかたちにしたものだ、ということも、まったく理解できない。
だからもう、できもしない資料収集なんて、きっぱりやめてしまったらいいではないか。
どうせならいっそ、お経は読んでも乱歩は読まぬッ、腹が張っても屁はこかぬッ、というのを名張市立図書館の合言葉にして、収集した資料はあくまでも展示品、乱歩のことなんかなんにも知りません、ということをむしろ売りにしてしまい、公立図書館として独自の路線を進むのもいいのではないか。
お経は読んでも乱歩は読まぬッ、腹が張っても屁はこかぬッ、と宣言したあと、間髪を入れずに一発、切れ味鋭く放屁できるくらいの芸を身につければ、さらに喜ばれるものとぞ思う。
お経は読んでも乱歩は読まぬッ、腹が張っても屁はこかぬッ。
ぶう。
きゃはは。
受ける受ける。
きっと受ける。
とか、そういうことはどうだっていいんだけど、資料収集にピリオドを打つとしても、すでに収集した資料、このまま死蔵しとくだけでいいのか、という問題は残るわけ。
それは、ほんとに、もったいないことです。
むろん、名張市立図書館としては、乱歩関連資料を集めてまーす、なんてことを大々的に公言してしまったら、いろいろ問い合わせがあったりして困るな、ということになります。
乱歩のことで煩わされるのは、いやだな、ということになります。
しかし、それは、お役人さまの身勝手な都合、というやつであって、いやいや、お役所のお仕事というのは、お役人さまの身勝手な都合をひとに平気で押しつけることではあるんですけど、しかし、初代館長さんが、お経は読んでも乱歩は読まぬッ、腹が張っても屁はこかぬッ、ぶう、とばかりにお集めになった資料のあれこれ、なかったことにしてしまうっていうのは、お役人さまの仁義にももとることではないのかしらん。
もちろん、名張市立図書館は収集資料にもとづいて目録を三冊つくってますから、最低限のことはできてるということにはなるんですけど、しかしあの目録でカバーできてないこともあるわけです。
それはもう、目録つくった本人がいってんですから、まちがいのないことです。
つづく。
つづき。
つづきではありますけれど、新、ということにいたしました。
それでまあとにかく、それこそ無理難題なわけです。
乱歩という作家について知ることなく、乱歩作品を読むことなく、収集資料にも眼を通すことなく、なおかつ、収集資料にかんする情報をインターネットで受発信することもしない、という限定のもとで、乱歩関連資料を収集する。
こんな無理難題って、ちょっとないとは思いますけど、そういうことになってんですから、そういった制約のもとにどういった資料収集が可能か、というテーマを追求してみると、いったいどういうことになるのか。
しかも、それは、この衰退と縮小の時代にあって、なお持続可能な行為でなければならない。
いやー、どうすりゃいいんだろうね。
いちばんいいのは、完全にリセットしてしまうことでしょう。
名張市立図書館が、お経は読んでも乱歩は読まぬッ、腹が張っても屁はこかぬッ、とかそういうことじゃなくて、そこらの高校の図書委員のレベルでいいわけなんですから、さあ、乱歩関連資料を集めましょうね、そのためには、乱歩のことを知る必要があるし、乱歩作品を読む必要もあるし、ねッ、ねッ、ねッ? みたいなさわやかな再スタートを切れればいいんですけど、そんなことはまったく無理みたいです。
ほんと、初代館長さんが多少あれだった、というだけの話なんですから、路線変更なんていくらでも可能だろう、とは思うんですけど、つか、ちょっと前まで私はそう思ってたんですけど、いやー、全然無理みたい。
ところで、どうしてそんな、お経は読んでも乱歩は読まぬッ、腹が張っても屁はこかぬッ、みたいなかたが、それも二十年以上の長きにわたって、名張市立図書館の初代館長さんをお勤めになっていたのか、とふしぎに思ってらっしゃるかたもあるかもしれませんし、じつは私も疑問に思ってるんですけど、要するにまあ、初代館長さん、いちばんましだった、ということではなかったかと思われます。
つまり、ほかがひどいの。
ひどすぎんの。
ばかばっかなの。
それに、初代館長さんは、たぶん司書の資格をおもちだったのではないかしら。
なんなんだよいったい、司書資格もっててそれかよ、司書なのにお経は読んでもなんとやらなのかよ、とお驚きの諸兄姉もいらっしゃるかもしれませんけど、司書の資格をもちながら、本は読むものだということがわかってない、なんてひともこの世には存在するわけです。
ですから、司書の資格をおもちであっても、お経は読んでも乱歩は読まぬッ、腹が張っても屁はこかぬッ、とか、資料収集のしの字も知らぬッ、図書館法のとも知らぬッ、てなことになってしまって、結局、無辜の市民であった私が、こうして思い悩み、苦悩し、煩悶し、なんかもう、もしかしたら鬱病じゃね? みたいなことになってしまうわけなんです。
ほんと、なんでこんなことになってんだよ。
なんでおれがこんな目に遭わなきゃなんねーんだよ。
くっそー。
てめーこら初代館長呼んでこいよこら。
なーにがお経は読んでも乱歩は読まぬだ。
なーにが腹が張っても屁はこかぬだ。
屁くらい好きなだけたれてりゃいーじゃねーかばーか。
だいたいがあれだ。
なんで朝から晩まで屁ェ屁ェ屁ェ屁ェ屁ェ屁ェ屁ェ屁ェ屁ェ屁ェって、そんな話になってんだよ。
問題は、屁じゃない。
屁じゃないんだぞ。
わかっとるのか。
なに?
へェ?
よーし。
わかってりゃいいんだよこの低能。
いやいや、そんな話じゃなくて、名張市立図書館はいったいどうすりゃいいのかしらん、ということで、結局、こういうことにしてみました。
つづく。
つづき。
涙で振り返る乱歩生活二十年、のつづき。
名張市立図書館とはおさらばしたんですけど、やっぱ、とっても気になる、のつづき。
私だけじゃなくて、ほかにも、気になる、というひとは少なからずいらっしゃって、たとえば当時、たまに上京してそういうみなさんにお会いすると、名張市や名張市立図書館のことで、あれはどうなる、これはどうなった、といろいろな話題が出てくるわけです。
なにしろ名張市立図書館は、乱歩が生まれたまちにある公立図書館として、開館当初から乱歩関連資料を専門的に収集し、質の高い目録を発行したりもしてますから、どうしても乱歩に関心のあるみなさんから期待を集めてしまいます。
ですから私も、そういう声を耳にいたしますと、名張市の乱歩関連事業はともかくとしても、名張市立図書館の乱歩関連資料の収集だけは、もう少ししっかりしてもらわないとな、という気になってきます。
とはいえ、なんかもう、いろいろ無理めじゃね? という気はしていたわけ。
そもそもの最初から、名張市立図書館には資料収集ってことがどんなことなのか、全然わかってなかった。
あるいは、場当たり的に古書を買って飾っとくことが資料収集だ、と思いこんでいた。
だから、いくらなんでもそりゃまずいぞ、せめて目録でもつくんなきゃ話にならんぞ、ってんで目録つくったって、やっぱどうということはないわけです。
最近のエントリに記しましたとおり、やっぱ、開館当初のスタート時点でまちがってた、というのは致命的なことだったわけです。
そこらの高校の図書委員にだってすいすいできることを、名張市立図書館はまったくできなかった、というただそれだけのことで、いまから考えれば、いきなり終わっとったわけなんです。
お経は読んでも乱歩は読まぬッ、腹が張っても屁はこかぬッ。
なんなんだそりゃ。
資料収集のしの字も知らぬッ、図書館法のとも知らぬッ。
大丈夫かおい。
ですからまあ、乱歩の自己収集を継承する、みたいなことは、そこらの高校の図書委員にはできても、名張市立図書館にはまったくできんわけです。
本来であれば、ごくふつうに乱歩の自己収集を継承し、きょうびのことですから、情報の受発信にインターネットを活用する、というあたりまえのことが、まったくできんわけです。
しかし、名張市立図書館に期待が寄せられてることは、私には実感として理解できるわけなの。
だから私は、先日も記しましたとおり、板挟みになってとっても悩ましい日々を過ごすことになるわけですし、私としてもむろん、名張市立図書館がどうするのか、とっても気になる。
というか、名張市立図書館がなんにもしないことが、とっても気になる。
ほっといたらなんにもしないぜ、ということは火をみるよりも明らかですから、なんとかそれだけは阻止したい。
ですから、乱歩の自己収集を継承することはできなくたって、可能な範囲内で収集と活用はつづけてもらいたい。
もらいたい、とかいうことじゃなくて、それは当然そうするべきことではあるんですけど、なにしろ名張市立図書館、そんなことすら理解できません。
まいったなあ、と、もうちょっとなんとかできんものか、と、まあしつこいっちゃしつこいんですけど、いまのままだと名張市にとっても損失だといわざるをえませんから、アドバイザーということにしていただいて、いろはのいから、つまり、名張市立図書館は乱歩関連資料としてどんな資料を集めればいいのか、そのあたりをまずはっきりさせようね、みたいなことからはじめてみたんですが、話がどうにも噛みあいません。
それでもう、やっばだめか、もうしゃあないか、と思っていたところへ、一年ほど前のできごとがあったわけです。
ちょうど一年ほど前、名張市立図書館が所蔵してるはずの探偵雑誌のことで電話で問い合わせてみたんだけど、まったく話が通じなかったぞ、とか、名張市立図書館にミステリ関連書着をご寄贈いただいてきたみなさんから、寄贈図書をいつまで死蔵しているつもりなのか、とか、そういったお叱りを頂戴して、私はほんと、あちゃー、と頭を抱えてしまったわけです。
たしかにまあ、このままでは、収集資料であれ、寄贈図書であれ、宝の持ち腐れ、というやつであって、名張市にとってもほんとに損失なわけなんです。
名張市役所のみなさんにはご理解いただけないことかもしれませんけど、ほんとにね、名張市立図書館はどうしてなんにもしないの? 目録つくったとこまではいいけど、そのあといったいどうしてんの? と、お叱りとまではいかなくても、疑問を抱いていらっしゃるひとは全国に存在しているわけなのね。
ですから、こーりゃなんとかしないといけないなと、このブログでも逐一お知らせしましたとおり、最終的には名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して、名張市長におすがりし、なんとか首の皮一枚で名張市立図書館にひっかかりをつくっていただいたわけなんですが、しかし、あれこれを考えると、これはほんとに難しい問題です。
つづく。
つづき。
名張市のまちなか再生事業をめぐるてんやわんやにゃ大笑い、のつづき。
いやいや、大笑いしてる場合じゃなかったんですけど、とにかくもう無茶苦茶でした。
きのうも記したとおり、事業における意思決定プロセスというやつがまるででたらめだったんですけど、のみならず、ちゃんと考えて、ちゃんと決める、ということが関係者にはできませんでした。
たとえば、桝田医院第二病棟の跡地に乱歩記念館をつくる、などとあほなことを思いつくまでは行っても、そこから先には一歩も進めない。
あるいは、細川邸を歴史資料館として整備する、というプランをご破算にしてはみたものの、そこから先には一歩も進めない。
うすらばかがうすらばか集めていくら大騒ぎしてみても、しょせんその程度のことでしかないわけです。
とにかくてんやわんや、ぴっ、ぴっ、ぴーよこちゃんじゃ、あひるじゃがあがあ、みたいなわけで、名張市立図書館のこともどっか行った感じになってしまいました。
つまり、過去の資料収集を体系化することはできたから、これから先はどうしますか、ちゃんとつづけるのか、きっちりおしまいにするのか、それを決めるのはあなたがたです、と名張市立図書館と名張市教育委員会におうかがいを立ててみたんですけど、先方さまはなにも考えられず、なにも決められない状態だった、というおはなしが、どっか行ってしまった感じになったわけです。
と申しますか、お役人さまなんかあてにならんから、ということもあって、私は名張まちなか再生プランの素案にパブリックコメントを提出したわけです。
プランそのものは問題だらけで、あらゆる点で死ぬほどおそまつだったわけなんですけど、乱歩にかんすることのみにしぼって提言しよう、と思って、本町の桝田医院第二病棟には乱歩の生家を復元し、新町の細川邸には名張市立図書館ミステリ分室を開設する、という構想をパブリックコメントにまとめました。
これはなかなかすぐれた構想だったんですけど、ここ名張市においては思いつきと癒着結託を両輪としてものごとが進められることになっており、さらに始末のわるいことには、関係者のだれひとりとしてこの構想を理解することができませんでしたので、うすらばかってのはほんと、困ったもんだよなあ、ということになってしまいました。
しかも、うすらばかったら、市民の眼が届かない水面下で、役立たずなコンサルタントにまちなか再生事業がらみでいいだけぼったくられていて、その金額はたしか、母さん、名張市民の三千十万七千七百円、どうしたでせうね? といったことでした。
ほんと、どうしたでせうね?
それでまあ、うすらばかがうすらばか集めた名張まちなか再生委員会には、桝田医院第二病棟の活用策を決めることができませんでしたので、名張市がまったくの独断で、乱歩生誕地碑広場にしてしまいまーす、てなことになり、あやしげな神社みたいなスポットがいっちょあがり。
いっぽうで、細川邸の活用策は、いつまでたっても決まりませんでした。
無駄に立派な公衆便所も、なんともご丁寧な血税による二重投資をひそかに前提として完成したというのに、細川邸をどうすんの? ということがいつになってもはっきりしません。
ですから私は、そもそも乱歩が生まれた新町に公共施設を整備する、という話なんですから、多少なりとも乱歩に関係づけなきゃうそだろう、なんとかできんもんか、と思い、名張市立図書館ミステリ分室は無理だったけど、乱歩と名張のまちをテーマにしたNPOをつくって細川邸運営の一翼をになう、なんてことはかろうじて可能なのではないか、と考え、その場合にはNPOと名張市立図書館の連携が不可欠となりますから、名張市にたいして、そのへんどうよ、と文書を提出して水を向けてみたのですが、なんの音沙汰もありませんでした。
だからもう、どうだっていいか、ということにして、名張市立図書館ともおさらばしたわけなんですけど、やっぱ、とっても気になるわけです。
つづく。
つづき。
熱いエールのコメントを頂戴しつつ、乱歩生活二十年を寒々と振り返る、みたいなののつづき。
それでまあ、なにいってやったって理解することができず、ただただ思いつきと癒着結託で世の中まわそうとするすっとこどっこいなみなさんがいいように跳梁跋扈していたせいで、名張市のまちなか再生事業はみごとなまでの大失敗に終わってしまいました。
なんなんでしょうねまったく。
なにもあそこまでみごとに失敗しなくたっていいと思うんですけど、ほんと、うすらばかはー、うすらばかはー、いつつのひらがなー、とか歌ってる場合じゃなくてですね、事業における意思決定プロセスがでたらめだったせいで、乱歩のために活用してください、と寄贈していただいた桝田医院第二病棟はあやしげな神社みたいな広場に変じ、歴史資料館として整備されるはずだった細川邸は無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館に化け、といった結果に終わってしまいました。
うーむ。
こうやって思い出すだけで、はらわたが煮えくり返ってくるではないか。
やけ酒飲んで寝よっと。
つづき。
ど、ち、ら、に、し、よ、う、か、な、のつづき。
どちらにするかを考えるのは、むろん私ではなく、名張市立図書館であったり、名張市教育委員会であったり、もしかしたら名張市であったり、そういった方面のみなさんのお仕事です。
順序立てて申しますと、名張市立図書館は、初代館長さんの時代に、なんの方針も基準もなく、ただやみくもに乱歩関連資料を収集していたわけです。
で、せめて目録つくんなきゃまずいぞ、そんなこともわからんのか、いったいなにやってんだばーか、ということで、目録を三冊、つくりました。
目録は、長きにわたって乱歩関連資料を収集してきた、というのであれば、どうしたってつくんなきゃならないものでした。
で、それが無事、できました。
さあ、これからどうするよ、ということになります。
ただやみくもに収集しただけの資料に、乱歩の自己収集を継承するかたちで、体系性を付与することができたわけですから、新たなスタート地点に立った、ということになります。
このまま乱歩の自己収集を継承して、さらに乱歩関連資料を収集する、というのであれば、三冊の目録をとりあえず増補してゆき、いっぽうでインターネットも活用して情報の受発信を進めるのが望ましい。
逆に、目録をつくって過去の収集資料を体系化できたのだから、それでけりをつけたことにする、という考えかたもあるでしょう。
もしもいつまでも体系化に着手しなかったら、過去の資料収集はただの税金の無駄、ということになってしまいます。
まったく無目的に、もとより方針も基準もなく、ただ適当に買い込んで死蔵してるだけ、というのでは困ったものですけど、所蔵資料にもとづいて目録を発行できたのですから、過去の資料収集を意義あるものにできた、ということになります。
名張市民にも顔向けができる、ということにもなったわけですから、そこでピリオドを打つことも可能でした。
つまりは、ここらでいちど、見直してみようね、ということになります。
私個人の考えはどうであったか、というと、ごくあたりまえの意見なんですけど、オンリーワンの図書館として、乱歩関連資料の収集と活用を、むろんインターネットも利用しながら進めるべきだ、とは考えていたのですが、しかし、現実的な問題として考えた場合、名張市立図書館にはそんなあたりまえのことがとてもできないみたいだな、なにしろ、長きにわたって乱歩関連資料を収集しておきながら、目録をつくる、という当然のことさえ思いつかず、乱歩作品の読書会みたいなことでお茶をにごすのが関の山なんだからな、とも思わざるをえませんでした。
しかし、決めるのは、私ではありません。
名張市立図書館や名張市教育委員会はどう考えるのか、ということを私から質問する、ということしかできません。
ところが、そうこうしてるうちに、というのは、三重県と伊賀地域旧七市町村が血税三億円をどぶに捨てた「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の一環として『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』を刊行した年、すなわち2004年のことでしたけど、中庭に乱歩生誕地碑がある桝田医院第二病棟を名張市に寄贈したい、という話がもちあがりました。
ある日のこと、桝田敏明先生のご遺族から拙宅にお電話をいただいて、かくかくしかじか、とのことでしたから、名張市にそのまま、かくかくしかじか、と申し送って、結局、ご寄贈いただくことになりました。
私は名張市にたいし、桝田医院第二病棟をどう活用するか、ひろく全国から意見を募ってじっくり考えればいいのであるが、名張市としても腹案を用意しておく必要があるから、とりあえず乱歩の生家を復元する、というアイデアを提供しておきました。
ところで、その当時、私はまったく知らなかったわけなんですけど、じつはここ名張市において、名張まちなか再生プラン、とかいうやつの策定が進められておりました。
年が明けて2005年、プランの素案が公表されて、パブリックコメントの募集がはじまったのですが、素案に眼を通してみたところ、乱歩が生まれた新町に残る細川邸を歴史資料館として整備し、乱歩関連資料などを展示する、などとあほなことが書いてある。
だというのに、前年に寄贈を受けた桝田医院第二病棟の活用については、なぜかひとこともふれられていない。
こりゃまずかろう、と思い、プランにたいしてパブリックコメントを提出したのですが、それからというもの、なんだかばかみたいなてんやわんやがくりひろげられることになりました。
てんやわんや、というのは、べつに乱歩がどうのこうの、ということではまったくなくて、要するに意思決定プロセスの問題です。
ほんと、ちゃんと考えて、ちゃんと決める、ということが、名張市のお役人さまにも、お役人さまと癒着結託しているとってもあれな市民のみなさんにも、まったくできないわけです。
そういった人間のことを、ここ名張では古くから、ひらがなふたつで、あほ、と表現しているわけなんですけど、ほんま、あほ、としかいいようがない。
むろん、うすらばか、でも結構です。
うすらばかがうすらばか集めてなんの騒ぎだ、でおなじみの、あのうすらばかです。
名張まちなか再生プランというのは死ぬほどおそまつな内容で、げんにプランに記されたことはなにひとつ実現されなかったわけなんですけど、乱歩がらみでとくに問題だったのは、新町の細川邸には蔵がふたつもあるんだから、そのうちのひとつくらい乱歩がらみで活用することを考えなきゃだめじゃん、なんでその程度のことも考えつけないのか、ということでしたので、むろんパブリックコメントでもその点を指摘したのですが、名張まちなか再生プランの関係者にはまったく理解できなかったようでした。
さーすが、あほ、あるいは、うすらばか。
いっぽう、名張市立図書館はどうであったか。
ちゃんとやる、というのであれば、ネットも利用しながらちゃんとしよう。
ちゃんとできない、というのであれば、乱歩関連資料の収集はおしまいにしよう。
さて、ど、ち、ら、に、し、よ、う、か、な?
しかし、結局のところ、名張市立図書館や名張市教育委員会には、判断もできなければ、決定もできなかったようでした。
判断や決定の以前に、まず理解ができない。
乱歩関連資料の収集、というのがどんなことなんだか、それが理解できない。
それどころか、三冊の目録の内容が理解できない。
だから、まともな答えなど、出てくるわけがありませんでした。
さーすが、以下略。
つづく。
11月3日です。
まず、お知らせです。
春陽文庫版乱歩作品のカバーでおなじみ、多賀新さんの作品展がきょう、千葉県市川市の芳澤ガーデンギャラリーで開幕いたしました。
▼てこな 市川市文化振興財団:多賀 新-線描の魔術師-
てこな、というのは、やっぱ、真間の手児奈のてこなでしょうね。
ギャラリーコンサート、ギャラリートークもお見逃し、お聴き逃しのありませんよう。
ややくわしいことは、またあすにでも。
いっぽう三重県では、けさほどのエントリでもお知らせいたしましたが、こんなニュースが。
▼毎日jp:宮瀬規矩:謎多き生涯を資料で解く 鳥羽郷土史会が特集号 清白らとの写真、エピソード掲載 /三重(2012年10月31日)
この記事に出てまいります特集号、鳥羽歴史文化ガイドセンターに本日、電話で問い合わせましたところ、残部僅少、つか、ゼロ、みたいな感じだったのですが、センター関係者のかたから特段のご高配を頂戴して、なんとか一部だけゲットすることができました。
ありがたやありがたや。
三重県といえば、こんなニュースも。
▼YOMIURI ONLINE:(三重)自治体と学生 タッグ 現地おもむき意見交換(2012年11月1日)
鳥羽市と立教大学がタッグを組む、というニュースです。
いやー、鳥羽は結構がんばってんじゃね? という印象です。
で、名張はどうよ、と申しますと、やっぱ、とりあえず、こうよ。
▼朝日新聞デジタル:怪人二十面相 なりきって競おう(2012年10月24日)
いやー、名張って、ほんと……。
じつは本日、乱歩生誕地碑の建立記念日なわけなんですけど、とくになんにもなかったみたいです。
いやー、名張って、ほんとにね、ほんっとーにね……。
つづき。
ほとんど泣きながら、つづき。
目録の三冊目、乱歩の著書目録は、私の過労死を未然に防ぐため、刊行をやや先送りした、という話のつづき。
では、いつに先送りしたのか、というと、乱歩がはじめて名張の生家跡に立ち、ふるさと発見をはたした年から五十年が経過した年に、ふるさと発見五十年記念事業として刊行しよう、とかあんまりわけのわかんないことにいたしました。
ところがまあ、目録つくる以外にも、いろいろお仕事はありました。
乱歩のふるさと発見五十年がらみでいえば、旭堂南湖さんによる乱歩原作の探偵講談をプロデュースする、というのがありました。
乱歩が住んでた池袋でも探偵講談のステージを、ってんで、豊島区の区長さんはじめ関係職員のみなさんには、会場のことやなんかでずいぶん無理なこともお聞き届けいただきました。
いっぽうで、池袋の乱歩邸をめぐる大きな動きもありました。
まず、豊島区が旧乱歩邸を乱歩記念館として整備する構想を打ち出したのですが、残念ながら財政難で断念するにいたりました。
ついで、立教大学が名乗りをあげました。
これはとんとん拍子に話が進み、乱歩の遺産は立教大学に譲渡されることが決まりました。
正式に譲渡される直前、なんかもうどさくさまぎれ、みたいな感じでしたけど、乱歩邸の土蔵にほとんど無理やり入れていただいて、著書目録のための調査を進めることもできました。
ほかに、小酒井不木と乱歩の書簡集をつくる、なんて話もありました。
不木宛乱歩書簡が千葉県の成田山書道美術館に展示されている、と聞きおよびましたので、いつもお世話になっていた関東地方のみなさんと美術館にのたくりこんだわけです。
するってえと、当然、こーりゃ往復書簡集つくんなきゃな、ということにはなったんですけど、名張市が財政非常事態宣言なんてのをぶちかましていたころのおはなしですから、書簡集つくる予算なんてとてもありません。
いやー、まいったな。
とか思っていたら、三重県と伊賀地域旧七市町村が「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」などというあほな事業を展開することになり、結果としては、なにしろばかのやることなんですからろくなものではなく、血税三億円をきれいにどぶに捨ててしまうだけに終わって、ばかってのはほんとにどうしようもないんですけど、これもまたどさくさまぎれ、事業費三億円のうちごくごく一部を活用して、『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』を無事に発行することができました。
それでまあ、名張市立図書館の三冊目の目録のほうも、いよいよ完成、ということになったわけですけど、先日も記しましたとおり、目録づくりに着手した当座は、ほかのこと、というか、先のことを考える余裕なんて、まったくありませんでした。
しかし、目録の三冊目が完成、というころになると、いやー、この先どうすりゃいいのかな、といろいろ悩ましいことになってしまったわけです。
つまり、いっぽうでは、これはそれ以前から提案していたことですけど、いわゆるネット展開はどうよ、という話にならざるをえません。
紙媒体の目録つくったあとには、乱歩関連資料にかんする情報をインターネット上で受発信すべきだ、というのはごくあたりまえのことで、以前からそういったお叱りもあちこちから頂戴していましたので、ごく当然の提言として、ネット展開はどうよ、ということを当時の教育長や図書館長に提案いたしました。
しかし、そのいっぽう、名張市立図書館による乱歩関連資料の収集という事業、ここらでいちど考え直したらどうよ、つか、もうやめちゃったらどうよ、という進言も、やはり当時の教育長と図書館長に伝えました。
だってそりゃ、はっきりいって、無理だもん。
名張市立図書館には、乱歩関連資料の収集なんて、とても無理なんだもん。
どうして無理か、ということは、いまさらいちいち指摘しませんけど、というか、いままでさんざっぱら記してきたことですから、いまさらいちいち指摘する必要もないと思われますけど、とにかく無理なことはまちがいありません。
だったら、ちょうどいいや、乱歩の遺産が立教大学に継承されました、おあとの用意がよろしいようで、みたいなことを口実にして乱歩関連資料の収集から手を引いたらどうよ、みたいなことにかんしても、やはり判断を仰いだというわけです。
なんとも矛盾した話ですけど、一般的な図書館であれば、そりゃもうためらうことなくネット展開に進むはずではあるものの、しかし名張市立図書館の場合には、そんなふつうのことはとてもできない、まともな資料収集なんてとてもできねーんだよ、という驚くべき現実に立脚して判断いたしますならば、もうやめたらどうよ、というのはごく自然に導かれてくる結論だったわけです。
さあ、どうすればいいのかな。
ど、ち、ら、に、し、よ、う、か、な、みたいなとこで、つづく。
つづき。
えんえんとつづき。
いやー、乱歩生活二十年か、という話のつづき。
ですからまあ、すべてのはじまりは、名張市立図書館から乱歩作品の読書会で講師をやってくれ、と頼まれたことでした。
勘弁してくださいよ、と最初は逃げたわけですけど、ま、しかたないか、と次の年にはお引き受けしました。
だいたい私は、いまでもじつはそうなんですけど、人前でしゃべる、などということは、できれば避けたい。
最近ではかなり慣れっこになってきましたけど、とにかく人前でしゃべる、なんてことはしたくない。
伊賀の忍びの末裔として、できるだけ気配を消して生きていたい、と念願しているわけなんです。
それはそれとして、なんやかんやあって、乱歩のことでなにやっていいかわかんない、という名張市立図書館の悲痛な声を聞いて、そりゃまあこっちが思いきり叱り飛ばしたわけですから、悲痛な声のひとつやふたつ、ふつうに出てくるわけなんですけど、叱り飛ばした手前、知らん顔もできんな、というか、みてらんねーな、というか、あるいは、もったいない話だな、とでもいうべきか、そういった気にもなり、じゃあなんとかしてあげるから、ということで名張市立図書館の嘱託ということにしていただいたわけざんす。
名張市立図書館による乱歩関連資料の収集に欠けていたのは、なんといっても体系性への顧慮というやつでした。
資料した収集を体系化することが必要だな、ってんで、目録をつくることにしたわけです。
それからというものは、なんかもう、ものぐるいの日々であったな、と思い返されます。
なにしろ乱歩です。
相手は乱歩です。
なんつったって、平井隆太郎先生によれば、「資料整理へのマニア的な執念」のもちぬしであった乱歩の目録を、ほかならぬ乱歩の自己収集を継承するかたちでつくっちゃう、と決めたわけですから、そりゃもう死ぬほど大変。
しかしまあ、乱歩の自己収集というお手本があったわけですから、そういう意味ではとても楽ちん。
とにかく必死になって、狂気と妄執のとりことなって、目録つくったわけなんよ。
目録ったっていろいろありますけど、図書館がつくるとすればとりあえず、乱歩の著書目録だろうがよ、ということにはなります。
乱歩の著書がいちばんたくさんあるのはどーこだ? ということになると、むろん池袋の乱歩邸でした。
乱歩邸の土蔵に入ることをお許しいただければ、名張市立図書館が所蔵していない乱歩の著作もちゃんと調べることができる、ということはわかっていたのですが、しかし当時の名張市立図書館は、乱歩のご遺族からそれほど親しくしていただいている感じではありませんでした。
だから著書目録は後回しにして、とりあえず関連文献の目録からはじめよう、ということで作業を進めました。
名張市立図書館が開館当初から、ほんとにもうそこらの高校の図書委員にでもできることをふつうにやってれば、ごくあたりまえにできていたはずのことを、まったくゼロの状態から単年度事業としてやっつける、ということになったわけですから、そりゃもう大変よ。
しかも本業のかたわらでやるわけですから、とにかく時間をつくんないと、ってんで朝の4時には起きることにして、日常生活のリズムも一変してしまいました。
ようもあんなことができたな、といまは思います。
当初、とりあえず嘱託は三年、お願いいたします、と名張市立図書館から依頼されて、それでなんとか、一冊目と二冊目の目録は二年で完成させたわけですけど、もうだめ、このまま三冊目にはとても突入できない、と思って、本命だった著書目録の発行はちょいと先送り、ということにしてもらいました。
しかし、それにしても、いろんなことがあったなあ、と遠い眼になりつつ、つづく。
きょうは肌寒い朝となりました。
きのうの朝はよく晴れて、おとといがこんなお天気だったらよかったのに、と思わされました。
というのも、おとといの28日は名張のまちで秋祭りが営まれていたのですが、あいにくの雨。
まちの氏神さまの祭礼が日曜に重なる、というラッキーな年だったのに、残念な結果となりました。
それにしても、去年もおととしも、名張のまちの秋祭りは雨にたたられてなかったっけ?
これはもしかしたら、秋祭りが雨にたたられてる、というようなレベルの話じゃなくて、名張のまちがなにものかにたたられている、ということなのではないかしら。
おっそろしい話だなあおい。
そんなことはともかく、おとといのその前の日、つまり27日の夜は客人があって盛りあがったのですが、いやー、鬱だ、鬱だ、と思い悩みながらめいっぱい盛りあがると、その翌日は二日酔いがひどくてよけい鬱になる、ということがわかりました。
たまりませんなまったく。
それはそれとして、つづき。
なんでここまで、あれこれ思い悩んで鬱にならなきゃならんのか、という問題のつづき。
名張市立図書館が乱歩のことをどうするか、というのは、いうまでもなく名張市立図書館の問題であって、私にとってはひとごとです。
そんなことで、どうしてここまで思い悩まねばならぬのか、とかいじいじ考えておりますと、腹立たしい、とか、あほらしい、とか、あるいは、むなしい、とか、そういったことはもちろん感じますけど、きのうの朝なんてあなた、前日とはうってかわってきれいに晴れた空の下、犬と散歩をしながらそんなことを考えておりますってえと、不意に、むしょうに悲しいような気分になってまいりました。
かなしみは明るさゆえにきたりけり、みたいなことででもあったのか、とにかくもう、かなーしくーてーかなしくてー、とてーもやーりーきれーない、みたいな。
なおかつ、どうして自分は、ここまでしつこくやってんだろ、という疑問も抱いてしまいましたし。
それで、みずからを省みますに、要するに、知らん顔もできんな、というか、みてらんねーな、というか、あるいは、もったいない話だな、とでもいうべきか、そういった理由で、名張市立図書館の乱歩関連資料の収集にかんして、ここまでしつこくぎゃあぎゃあいってるのではないかしら。
それはそうなんでしょうけど、しかし、知らん顔もできんな、みてらんねーな、もったいない話だな、みたいなことは、名張市立図書館の嘱託を拝命する時点で思っていたことでもあった、と思い返されます。
読書会なんかでお茶をにごしてないで、収集した資料にもとづいて図書館本来のことをすればいいのに、というのは、当時から思っていたことなんですけど、ここへきてなんとも悩ましくなってきたのは、板挟み状態に立ちいたってしまった、みたいなことのせいなのかもしれません。
つまり、名張市立図書館はどうしてなにもせんのか、という声を、以前はよく頂戴していたわけです。
とくに、いったいなぜ名張市立図書館の公式サイトは乱歩関連資料に関してノータッチなのか、というお叱りをよくいただきました。
むろん近年は、そんな声が寄せられることも絶えてなくなっていたのですが、先日も記しましたとおり、ちょうど一年ほど前、たてつづけに二件、お叱りをいただいて、私は頭を抱えました。
要するに、図書館としてなすべきことをちゃんとやれ、とおっしゃるかたがたと、なすべきことをしようとしない図書館のあいだで、板挟み状態になってしまって、それで私は鬱々としていた、という寸法です。
それで、なんでこんなことになってんだろうな、とか思いながら犬と散歩をしておりましたきのうの朝、空を振り仰いで、ふと頭に浮かんだのは、乱歩生活二十年、ということばでした。
もちろん、探偵小説四十年のむこうを張った、といってはおこがましいですけど、探偵小説四十年ということばから意識することなく不意に連想されたフレーズではあったと思うのですが、乱歩生活二十年、つまり、名張市立図書館の初代館長さんから依頼されて、いったんは逃げた読書会の講師を引き受けてから、かれこれ二十年になるんじゃね? と思いあたって、いやー、おれは二十年もいったいなにやってたんだろう、と夢から醒めたような気になりました。
読書会の講師を引き受け、そのあと、読書会なんかでお茶をにごしてないで、図書館らしいことをちゃんとやれよこら、と名張市立図書館を叱り飛ばし、みたいな過去のできごとをずーっと、散歩しながら思い返していたわけなんですけど、ほんとにいったい、なんだったんだろうな。
以下、えんえんと書き連ねる予定だったのですが、都合により、つづきます。
さ、きょうもお酒だ。
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