それにしても、世に尻ぬぐいの種は尽きまじ、とはいうものの、あんまり問題を起こされると、私も困ってしまうわけです。
初代館長さんの時代から、乱歩関連資料のことでお世話になり、資料の寄贈もしていただき、目録つくるときには親身なお力添えをたまわったうえ、この期におよんでなお、名張市立図書館による乱歩関連資料の収集に期待を寄せてくださってるかたのご勘気をこうむってどうするよ、っつー話なわけですがな。
ほんと、おわびのメール一本、私がお送りして済むような話ならまだいいんですけど、つまり私の尻ぬぐいでことが収まればそれでいいんですけど、いやいや、尻ぬぐいが必要だ、という時点で、名張市という自治体の信用がまたひとつ、確実に失われていってることはたしかなんだからなあ。
乱歩にかかわることで名張市が信用を失ってしまう、なんてことは、できれば避けてほしいわけなんですけど、乱歩にかかわることで名張市の名を高からしめた名張市立図書館が、いまやその公務員体質で、あるいはその無能と怠慢で、かつてお世話になったみなさんからさえ、あきれられ、うんざりされ、見放され、見捨てられようとしているんだからなあ。
なんとかしないといかんなあ。
とかいいつつ、ふと気がつけば、きょうは中井英夫の命日なり。
だったら、さっさとお酒にしなきゃ。
奥田継夫さんが以前、日本経済新聞にお書きになった「不思議なムード漂う『乱歩文献』」の件ですけど、つらつら思い出してみますに、あの記事にはたぶん、乱歩作品を原作とした演劇や映画など二次作品の目録もつくってもらいたい、ということが記されていたのではなかったか。
つまり奥田さんは大の映画ファンでいらっしゃいますから、そんなリクエストが飛び出すのも当然のことで、というか、名張市立図書館の一冊目の目録の解題に、私自身がそんなことを書いてましたから、それを踏まえてのリクエストだったと思われますけど、ちゃんと片づけとかないとな、とは思います。
えらく昔の宿題ですけど、ほったらかしなのがどうも気にかかります。
これもつまり、自分がやったお仕事の尻ぬぐい、ということになるでしょう。
それからまた、二冊目の目録を出したあと、乱歩作品に添えられた挿絵のデータを加えればよかったのに、とアドバイスしてくださったかたがあって、これも気にかかりつづけておりました。
たしかに、たとえば以前、「新青年」に掲載された「二銭銅貨」の挿絵はだれが描いたのか、とのお尋ねをメールでお寄せいただいたことがあって、挿絵画家の名は記されていませんから、ちゃんとお答えすることができなかったのですが、その後、挿絵に添えられた「TON」というサインから、一木弴ではないかと察しをつけることができました、みたいなこともどっかに明示しておくことが望まれます。
あるいは、すでによく知られたところではありますが、「陰獣」の挿絵は竹中英太郎が担当した、なんてことも、やはりデータとして体系化しておくことが必要でしょうし、それもやっぱり、過去のお仕事の尻ぬぐい、ということになるはずです。
ですから、たとえば「陰獣」のデータベースを作成するとして、いまだ作成途中の未完成品をPDFでごらんいただきますと、こんな感じになります。
「陰獣」がはじめて世に出たときのありさま、時代にどう受容されていったかという流れ、そういったものもなんとなくわかりますから、こういったデータベースはどっかが作成して所有しているべきであって、いったいどこが? ということになると、長きにわたって乱歩関連資料を収集してきた名張市立図書館が、ということになるはずです。
ただまあ、名張市立図書館は昔から、手前どもはなにも考えないことにしておりますッ、てとこですから、そんなことはいっさい考えません。
しかしほんと、ちっとは考えろよ。
善良な市民に尻ぬぐい押しつけて喜んでんじゃねーよ。
そういえば、つい先日も、ちょっとした尻ぬぐいをいたしましたっけ。
旧知のかたからメールを頂戴し、名張市立図書館の公務員体質にうんざりした、みたいなことがつづられておりましたので、さっそくこんなご返事をば。
メールありがとうございました。どうも申しわけ
ありません。典型的な公務員です。初代館長はまだ、
乱歩関連資料の収集ということを主体的に考えてい
らっしゃったと思いますが、いまや名張市立図書館
においては主体性が完全に放棄され、乱歩関連資料
の収集なんてまったくのひとごと、自分たちの仕事
ではなく、だれかやりたいやつがいるのならやらせ
てやらんでもない、というスタンスです。さぞやお
腹立ちのことと思いますが、まあご勘弁ください。
お役所というのはほんとに腐ったところです。それ
では。
2012/12/06
ほんっとーに、腐っとるよな。
お役所、っつーとこは、ほんとに腐っとるよな。
どちらさまも、くれぐれも、ご注意あそばせ。
それから、ここで画像をひとつ。
先日、平山雄一さんからこんなコメントをいただきました。
▼(12/1UP) 江口洋介、常盤貴子らがドラマで豪華共演 江戸川乱歩賞受賞作、12年ぶりのドラマ化(2012年12月5日)> 無題(2012年12月6日)
アンソロジーというのは、これのことです。
▼Amazon.co.jp:Noir Nation: International Journal of Crime Fiction No. 2 [Kindle版]
そこで本日、一世代前のキンドルでダウンロードして購入いたしましたところ、やっぱ「断崖」でした。
平山さんのブログにはコメントでお知らせしたのですが、このブログでもとりあえずお伝えしておきます。
しかし、この手の電子書籍がつぎつぎ登場してくるとなると、こりゃもう大変だわ。
しかも、海外だし。
というところで、書き忘れていたことをここに書いときますと、上にPDFファイルへのリンクを掲げた「陰獣」のデータは、海外での出版は現時点では対象外、ということにしてありますから、外国語訳は黒田藩プレスが発行したものしか記載しておりません。
さ、尻ぬぐい尻ぬぐい。
インチキ図書館の尻ぬぐい。
しかしほんとにな、善良な市民に尻ぬぐい押しつけて喜んでんじゃねーぞこら。
まず、お知らせひとつ。
ちょうど十年前のことになりますが、2002年の秋、名張市が江戸川乱歩ふるさと発見五十年記念事業「乱歩再臨」を開催したとき、人形+写真でそのポスターを飾っていただいた石塚公昭さんが、ちなみにポスターってのはこれですけど──
いやー、そういえばこのポスター、当時の名張人外境番犬、ニコライ・フセヴォロドヴィチ・スタヴローギンにデザインさせたのであったなあ。
石塚さんのお仕事のひとつとして、『イラストレーションファイル 2003』という本にも収録していただいて、デザイナーとしてちゃんとスタヴローギンの名前も記載してもらったなあ。
探してみたら、この画像。
下のほうにちゃーんと、犬の名前を書いてもらってあるもんなあ。
いやー、懐かしいなあ。
十年前には、財政的にまだいささかの余裕があった、ということでもあったのか、名張市にもここまで充実した乱歩イベントを実施することができたわけです。
名張市で探偵講談やって、そのあと池袋でも公演して、みたいなことができたんだもんなあ。
ま、企画、構成、渉外、その他、みんな私が仕切ってましたから、そこらのコンサルタントや広告代理店なんかにはいっさい無縁で、ということはごくごく少ない予算で、かなり質の高いイベントができたのも当然っちゃ当然なんですけど、いまじゃもう全然だもんなあ。
十年前の2002年に江戸川乱歩ふるさと発見五十年記念事業「乱歩再臨」があって、2003年には名張市立図書館の目録の三冊目が刊行されて、2004年には三重県と旧伊賀地区七市町村が住民の血税三億円をどぶに捨てた「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業で『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』を出して、といったあたりがここ名張市における乱歩関連事業の頂点だったな、という気がいたします。
いやー、師走の声を聞くとなんだか妙にレトロスペクティブになってしまっていけませんけど、『子不語の夢』といえば岩波書店から出た川西政明さんのこの新刊──
▼岩波書店:大衆文学の巨匠たち
乱歩の章には『子不語の夢』からの引用もあり、というよりは、『子不語の夢』が論述の骨格をなす基本資料として採用されており、じつにうれしく思いました。
ふりかえってみれば、三重県と旧伊賀地区七市町村が住民の血税三億円をどぶに捨てたあの「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業におきましては、ほかの事業はすべて、かす、くず、ごみ、ちりあくた、と称していいものだったんですけど、ひとり『子不語の夢』のみがこうして役に立ちつづけているわけであって、一将功成りて万骨枯る、というのはまさにこのことでしょうか。
ちょっとちがうか。
まあどうだっていいんですけど、2004年が終わって2005年の夏、名張のまちに衝撃が走りました。
これですがな。
いまでも笑えるからたいしたものですけど、名張市における乱歩関連事業の急速な劣化がはじまったのが、まさに2005年のことでした。
2002年から2004年にかけて、全国に存在する乱歩のファンや関係者のあいだで、名張市はその名をそこそこ高からしめたわけだったんですけど、怪人二十面相がなぜか名張エジプト化計画を推進していたこのあほな看板一枚をきっかけに、名張市の名は急転直下、死ぬほど低くなってすっかり笑いものになってしまいました。
ていうか、別の意味で名張市の名を高からしめたのがこの看板であった、といってもいいかもしれません。
そういえば、この看板をずいぶん面白がってくださったかたのおひとりでもあった石塚公昭さんが、という話題に戻りますけど、国立市にあるギャラリーであさって6日木曜から18日火曜まで、ひさかたぶりに乱歩をモチーフにした作品を展示なさいます。
▼ GALLERY BIBLIO(ギャラリー・ビブリオ):Home
▼蕃茄庵日録(ばんかあんにちろく。ギャラリービブリオ店主のブログ):石塚公昭 人形写真展「夜の夢こそまこと、ふたたび 江戸川乱歩2012冬」
乱歩のプリント二十点あまりと、夢野久作像一点、ほかに久作が出入りしていた当時の九州帝大医学部の卒業アルバムも出展されて、そこには正木教授のモデルとなった人物の姿も、とのことです。
どうぞにぎにぎしくお運びのほど。
さて、尻ぬぐいのおはなしです。
名張エジプト化計画の看板が掲げられた旧細川邸は、名張市のまちなか再生事業がみごとなまでの大失敗に終わってしまった結果、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館たるやなせ宿ということになってしまい、とどのつまり、実質的には名張地区まちづくり推進協議会という団体が尻ぬぐいを引き受けるはめになりました。
そういえば、乱歩がらみで活用すればよかったやなせ宿の蔵のひとつも、尻ぬぐい策に地元CATV局がFMラジオのサテライトスタジオとして使用することになったんですけど、こりゃたまらん、ということか、とっとと撤退してしまう結果となりました。
さらにそういえば、この地元CATV局、名張市青少年センターという文化ホールの指定管理者になってたんですけど、今年度いっぱいで降りてしまうことになり、だというのに来年度以降の指定管理者がみつからない、という騒ぎになっているらしく、名張市はあっちこっちぽろぽろになってるみたいです。
それにしても、なんで私のような善良な市民が、名張市立図書館の尻ぬぐいでふうふういわねばならんかったのか、考えれば考えるほど、わけがわかんなくなってきます。
尻ぬぐいなんてほんとに、ちゃららー、ちゃららー、「仁義なき戦い」の広能昌三ふうにいえば、間尺に合わん仕事したのう、ということになりましょうか。
なにしろ尻ぬぐいですからね尻ぬぐい。
落とし前だけはつけてもらうからな。
えー、尻ぬぐいいかがっすかあ尻ぬぐい。
尻ぬぐいのご用はございませんかあ。
お役所仕事の尻ぬぐい、お役人さまの尻ぬぐい、よろずあれこれ承っておりまあす。
えー、尻ぬぐいいかがっすかあ尻ぬぐい。
とかいってるとしまいにゃ張り倒されてしまうだろうな、と思いつつ、とりあえずこちらをごらんいただきましょう。
▼SANSPO.COM:金田一耕助がずらり、倉敷で仮装イベント(2012年11月24日)
▼山陽新聞 WebNews:金田一に扮しゆかりの地巡る 倉敷・真備でイベント(2012年11月24日)
先日のエントリでは、「実は4回目の今年が、市として大掛かりなイベントを行うのは最後になるとのこと」という気がかりな地元情報をお伝えしましたが、共同通信配信のサンスポの記事には、「参加者は年々増えており、市観光課の川原伸次課長は『いつか千人になるまで続けたい』と期待を込めた」とありますから、来年以降もしっかり継続されるみたいです。
山陽新聞の記事には「全国から集まった金田一ファンが、地域住民らと交流を深めた」とあってご同慶のいたりなんですけど、残念ながらここ名張市においては、全国から集まった乱歩ファンが地域住民らと交流を深める、みたいなことはまるで期待できないと思います。
ま、しゃーないっすね。
えー、尻ぬぐいいかがっすかあ尻ぬぐい。
きょうはこれだけ。
ご機嫌よろしゅう。
そんなこんなで、結局のところ、わが乱歩生活二十年はいったいなんだったのか、というと、名張市立図書館の尻ぬぐいであった、という結論に落ち着いた次第です。
ほんと、ふと気がついてみれば、みごとなまでに尻ぬぐいであったな、と思わざるをえません。
とはいえ、私には尻ぬぐいしかできなかった、というのもまた、まぎれもない事実でした。
尻ぬぐいに生きねばならぬさだめであった、みたいな。
そもそも、乱歩関連資料を収集します、と考えたのは私ではありませんし、実際に収集したのも、むろん私ではありません。
私はただ、巻きこまれただけです。
名張市立図書館が乱歩関連資料を収集してほぼ四半世紀を経過したころ、読書会とかでお茶にごしてないでもう少し図書館らしいことやったら? と軽く叱り飛ばしてやっただけなんですけど、その結果として、こんなことになってしまったわけです。
しかし、実際、ほっとくわけにもいかんかったからなあ。
とにかく、軽く叱り飛ばしてやったところ、図書館らしいことといわれても、なにしていいかまったくわかんない、というのが名張市立図書館のいいぶんであって、いやいや、それじゃまずかろーが、乱歩関連資料をただ収集いたしました、ってだけじゃまずかろーが、せめて目録のひとつもつくんないことには、市民にたいする申しわけってやつも立たんだろーが、という話だったわけです。
だから、とりあえず目録をつくろう、とアドバイスして、しかし、目録をつくる、という図書館としてあたりまえのことにさえ思いおよばない図書館に、目録をつくる、なんて芸当ができるわけありませんし、かりにつくれたとしても、なんの役にも立たんおそまつなものしかできないはずだ、と思われましたので、じゃ、つくってあげるから、ってんで作業に着手したわけです。
つまり、名張市立図書館がきわめて場当たり的に収集した資料を体系化する、という尻ぬぐいに巻きこまれてしまったわけで、ですから将来のことはあまり考えず、むしろ過去に眼を向けて、すなわち、名張市立図書館がそれまでに収集した資料に眼を向けて、必死になって目録をつくったわけなんですけど、ほんと、いまごろ気がついたのもおかしな話ですけど、ありゃほんと、尻ぬぐい、と表現するしかないことであったなあ。
なんか、ばっかみたい。
尻ぬぐい二十年のばか騒ぎ。
字足らず。
つづき。
おっぱっぴー、のつづき。
しっかしなーにがおっぱっぴーだふざけやがって、とか思ってると身辺に不測の事態があいついでしまい、いやなんなんだろうなあれこれたてこんじゃってまあ、とか思ってたんですけど、きのう近所のお葬式をお手伝いしたのを最後に、どうやら不測の事態の連鎖にもひとまずピリオドが打たれたみたいです。
さてそれで、データベースの件なんですけど、基本的には春先のエントリでぼんやり思案していたようなことを、まあぼちぼちやっておる、という次第です。
▼2012年2月29日:幻影城プロジェクト始動、か? お試し篇
▼2012年3月7日:幻影城プロジェクト始動、か? 二次作品篇
▼2012年3月8日:幻影城プロジェクト始動、か? 怪人二十面相はどうよ篇
▼ 2012年3月13日:幻影城プロジェクト始動、か? あいやー篇
基本的なことには変わりがないんですけど、モーツァルトでいえばケッヘル番号にあたる整理番号、2月29日のエントリでは、
「乱歩の文業の全容を明らかにするには、やっぱ時系列を基準に作品を整理してくのがよろしかろうから、大正12年、すなわち1923年の4月1日に発表された『二銭銅貨』は『1923-04-01-a』ということにしてみた」
としたんですけど、aだのbだのを使用しているとなんだかややこしくなってしまいますので、作品タイトルをひらがなにした場合の一文字目を使用することにしました。
つまり、大正12年の全作品はこんな感じ。
・1923-04-01-た
・1923-04-01-に
・1923-07-01-い
・1923-11-01-お
これだと長篇も短篇も関係なく、随筆評論のたぐいもこきまぜて、とにかく時系列と五十音順にしたがってすべての作品を配列できますから、とりあえずこれでいいだろう、ということにいたしました。
昔、中井英夫が、三島由紀夫の全集を二部ずつ購入し、うち一部はばらばらに解体してしまって、小説戯曲評論随筆すべてごたまぜにして発表順に並べなおして読んでみたら、なにかがわかってくるのではないか、とか書いてたような記憶があるのですが、ま、そういったようなことも可能になるという寸法です。
それにしても、この手のデータはとってる最中にいろいろ思いつくことが出てきて、あ、ああいうデータも盛りこんだほうがいいな、などということがしばしばありますので、そうなるとすでにデータをとってある作品ももういちどデータをとりなおし、みたいなことになってしまうわけなんですけど、こればっかりはどうにもしかたがありません。
それから、いわゆる二次作品の件ですが、春先の時点では、あとまわしにしよーっと、ということにしておりましたものの、その後、実際にデータをとりはじめてみると、ほんとに難儀なのは「怪人二十面相」の二次作品だけみたいだな、ということがわかってきましたので、やっぱとることにすっか、ということで作業を進めてまいりました。
つまり、「二癈人」は漫画になりました、「双生児」は映画になりました、みたいなこともデータとしてひろってるわけですが、これがまたじつに面倒な作業でございましてな。
朝もまだ暗いうちから毎日毎日、ま、夏のあいだは早く夜が明けますからそんなことはなかったのですが、冬になるとまだまだ暗いうちのお仕事ということになりますから、暗く寒いうちからそんな辛気くさい作業に没頭しておりますってえと、なんでこんなことやってんだろうな、やってなきゃなんないんだろうな、とほとんどふしぎな気がしてきます。
煎じつめていってしまえば、わが乱歩生活二十年、要するに初代館長さんの尻ぬぐいだったわけなんだよな、といまさらながら気がついて、なにやら茫然としてくるわけです。
名張市立図書館の初代館長さんさえ、もう少しまともな館長さんでいらっしゃったら、私はいまごろこんなことでふうふうゆうてはおらんわけです。
なんなんだいったい。
すっとこどっこいがこらなーにが、おきょーはよんでもらんぽはよまぬッ、はらがはってもへはこかぬッ、でもそんなのかんけーねー、そんなのかんけーねー、しりょーしゅーしゅのしのじもしらぬッ、としょかんほーのともしらぬッ、でもそんなのかんけーねー、そんなのかんけーねー、とかふざけたことほざいて喜んでんじゃねーぞこのすっとこどっこい。
いやいや、いやいやいやいや、いまさらなにいったってしかたありませんけど、そこらの高校の図書委員にでもできることがまったくできない、なんて人間を図書館長にしてんじゃねーよこらこの三重県名張市とかいう低能自治体。
おれはなにもなあ、初代館長さんの尻ぬぐいをするために、この世におぎゃあと生まれてきたんじゃねーんだぞこら。
だからといって、これをするために生まれてまいりました、といえるほどのテーマはないわけなんですけど、それにしたって尻ぬぐいはいやじゃろうが尻ぬぐいは。
ただまあ、しかし、そういうことかもしれないな、とは思わぬでもない。
わが人生、尻ぬぐい。
しかしなんか、やっぱやだなあ。
やだけど、やっとくべきことはやっとかないと、しかたないしなあ。
なんなんだよまったく。
ほんと、なーにがおっぱっぴーだばーか。
まずお知らせ。
こんなのが出たそうです。
そうです、というのは、メールでお知らせいただいただけで、いまだ現物には遭遇していないからなのですが、とりあえず、これ。
▼週刊文春WEB:2013年1月4日臨時増刊号
お知らせいただいたメールには、なんと、1986年刊行の文春文庫『東西ミステリーベスト100』との比較まで記していただいてありました。
なにが比較されたのか、というと、むろん乱歩作品のランキングです。
1986年の文春文庫とくらべると、というか、この文庫本に収録されたベスト100の初出は週刊文春の1985年8月29日号と9月5日号だということが、名張市立図書館が発行した目録『乱歩文献データブック』を開けばたちどころに判明するわけなんですが、そんなことはともかく、乱歩作品のランキングはどうよ、というと、こうよ、つか、こうらしいのよ。
・二銭銅貨 13位 → 24位
・陰獣 14位 → 35位
・心理試験 25位 → 番外
・孤島の鬼 37位 → 27位
・押絵と旅する男 49位 → 番外
・パノラマ島奇談 55位 → 87位
うーむ、「孤島の鬼」だけランクをあげてきたか、などなど、なかなか興味深いものをおぼえますけど、それはそれとして、どうして私の部屋のソファに乱歩作品の初出コピーがどーんと放り出されているのか、という話のつづき。
つまり、この写真の件なんですけど。
で、ほんとにもうね、なんでうちのソファがこんなことになってんだよ、てゆーか、なんでおれがこんなことになってんだよ、とばかり、乱歩生活二十年をふりかえると、つくづくふしぎだな、という気がしてきます。
名張市立図書館さえまともであったら、ただの市民である私がここまでしんどい目をみる必要はありませんでした。
なんでなんだ、なんでなんだよ。
どうして名張市立図書館は、私という善良な市民に、ここまでの苦難や煩悶を強いるのか。
いっぺんいてもたろかこら、と思わないでもありません。
むろん、もとをただせば、名張市立図書館の初代館長さんのせいではあります。
なんなんだろうな。
お経は読んでも乱歩は読まぬッ、腹が張っても屁はこかぬッ、とはまたどういうことか、とは思うんですけど、最近、困ったことに、犬と散歩している最中、ふと気がつくと、このフレーズをラップふうに口ずさんでいる自分を発見して、あッ、いかんいかん、と思うことが増えてきました。
しかも、なおわるいことに、いまや旧聞に属することですけど、小島よしおさんのそんなの関係ねえというギャグがぴたりとはまり、田んぼのあぜ道を犬と歩きつつ、なんかもうこんな感じなの。
おきょーはよんでもらんぽはよまぬッ、はらがはってもへはこかぬッ、でもそんなのかんけーねー、そんなのかんけーねー、しりょーしゅーしゅのしのじもしらぬッ、としょかんほーのともしらぬッ、でもそんなのかんけーねー、そんなのかんけーねー。
犬をつれた奥さん、ならぬ、犬をつれた田園ラッパーと化して、きょうもきょうとて近くのあぜ道を歩いていたら、思いがけないところに近所の写真屋さんのおばあちゃんがいらっしゃって、いやもう恥ずかしかったのなんのって。
だからなんでおれがこんな恥ずかしい思いをせにゃならんのよ。
くっそー。
くっそーくっそー。
おぼえとけよな。
絶対に引導わたしちゃるけのう。
坊主やのうても引導くらい、いくらでも渡しちゃれるもんじゃけのう。
おっぱっぴー。
それでデータベースの話なんですけど、乱歩生活二十年、いかにも心残りなのがデータベースというやつのことでした。
二冊目の目録『江戸川乱歩執筆年譜』をつくったとき、乱歩作品の初出を確認する必要がありました。
初出の舞台となるのはおもに雑誌ですから、乱歩作品が掲載された雑誌を調べなければならない。
ところが、乱歩が長篇連載のホームグラウンドとしていた月刊の娯楽雑誌は、じつは図書館業界でかなりネグレクトされていて、国立国会図書館あたりもまったく頼りになりません。
ただし、乱歩が少年ものを連載した子供向けの雑誌は、万博記念公園内にあった大阪府立国際児童文学館にしっかり揃っていましたので、かなり楽に調べることができました。
しかし、あの文学館も大阪府知事時代の橋下徹さんによって強引に廃止され、所蔵資料はすべて大阪府立中央図書館にお引っ越し、ということになってしまいましたっけ。
あれははっきりいって、橋下さんが俗情に媚びるための暴政の一例だったと思われますけど、橋下さん一流の俗情との結託もここへ来て、いったいなにが目的なんだかさっぱりわかんなくなってきました。
みたいなことはどうでもよくて、いまはなき大阪府立国際児童文学館のことを、私は乱歩の目録をつくりはじめてから知ったのですが、へーえ、子供向けの本や雑誌を専門的に収集してる図書館、なんてのがあるのか、といささか驚き、さっそく電話をかけてかくかくしかじか、乱歩に関係のあるこれこれこういった資料のことを調べているのですが、と相談したところ、はいわかりました、ってんで、大阪府立国際児童文学館はこれこれこういった資料の一覧を郵送してきてくれました。
一覧というのは、パソコンのデータから当該資料のタイトルをピックアップしてブリントアウトしたもので、いやー、これは助かるなあ、と思ったことをいまでも記憶しております。
しかし、じつをいうと、こんなこといったら名張市役所あたりのみなさんはびっくりなさるかもしれませんけど、図書館ってのは、そういうものなの。
図書館のサービスってのは、そういうものなの。
だから、名張市立図書館がそうなってなかった、というのがおかしいの。
大阪府立国際児童文学館が日本にたったひとつ、子供の本を専門的に収集していた図書館であるのなら、名張市立図書館は日本でただひとつ、乱歩の本を専門的に収集している図書館なんですから、収集資料にもとづいた名張市立図書館だけに可能なサービスを鋭意展開すべきなんですけど、そんなこと考えようともしなかったんだからなあ。
子供の本のことなら国際児童文学館に訊け、乱歩の本のことなら名張市立図書館に訊け、みたいなことになっててもおかしくない、というか、そうなってないのがおかしいんですけど、そんなことは全然ない。
なぜか、といいますと、名張市立図書館には資料収集ってものがまったく理解できていないから、ということになります。
適当に古書のたぐいを買い集め、本棚に飾っとくことが資料収集なんだと勝手に決めつけているから、ということになります。
それにしてもひどいもので、しつこくもいうけど、図書館法にだって、収集した資料はちゃんと整理して目録もつくりましょー、収集資料にかんする質問や相談にもしっかり答えてさしあげてねー、とか書いてあるやないか。
なんで図書館としてあたりまえのことを、全然しようとせんかったんや。
いやいや、そんなことはいまさらどうでもいいとして、乱歩作品の初出の確認の話ですけど、少年ものの初出は大阪府立国際児童文学館で調べがついたとしても、いわゆる通俗長篇の初出はどこで確認すればいいのか。
結局、講談社と光文社の資料室にごそごそもぐりこませていただいて、なんとか目的を果たすことができました。
そのとき、あー、こりゃコピーを取って帰りたいものだな、と私は思いました。
資料室スタッフのかたからは、必要ならいくらでもコピーをとってもらっていいから、とおっしゃっていただいてはいたのですが、コピーするとなると膨大な量になりますし、そもそも時間がありません。
初出テキストは図書館として、ぜひとも押さえておきたいものなんですけど、初出誌の現物を入手するのは大変です。
不可能だ、といってもいいでしょう。
子供向けの雑誌なら、大阪府立国際児童文学館のコピーサービスを利用できますけど、講談社の雑誌は講談社の資料室にしか揃ってなくて、しかもコピーサービスなんて受け付けてくれません。
ですから資料室にある初出誌のコピー、のどから手が出るほどほしかったんですけど、泣く泣くあきらめるしかありませんでした。
他日を期すか、とか思い、他日の機会なんてないだろうな、とも思わざるをえなかったんですけど、乱歩作品のデータベースをつくるとなれば、たとえコピーであっても、初出の誌面はやっぱ必要なわけです。
ですから、目録つくってるときも、それからそのあとにも、初出のコピーはできるだけ取るように心がけておりました。
たとえば「新青年」なら、現物は無理でも復刻版が出ていますから、三重県立図書館あたりで復刻版のコピーを取ることができました。
あるいは、関係各位のご厚情におすがりしてコピーを入手する、みたいなこともしてまいりました。
先日、ちょっとした必要から、そうしたコピーの一部をちょっと整理したのですが、この手のものはいちどひろげてしまったら収納がまたひと苦労、ってんで、いまだにこんな状態です。
いやー、早く片づけなければならんのやけど、まあ、きょうのところはお酒にしようっと。
きのうと似たような出だしになりますけど、きのうリンクを掲げた「僕の住民監査請求」、じつにひさしぶりで読み返してみたのですが、ほんとに無茶苦茶だったな、とあらためて思い返されました。
むろん、名張市が大展開したまちなか再生事業のことです。
なんだったんだろうな。
名張市新町に、ということは乱歩が生まれた町に、ということなんですけど、そこに細川邸という旧家があって、これが空き家状態。
文化財的価値もあってなかなかいい建物だから、これを整備して名張のまちの活性化にどーたらこーたら、みたいな話は以前から出ていたんですけど、手をつけるきっかけがありませんでした。
そこへ降ってわいたのが、国土交通省のまちづくり交付金というばらまき予算。
名張市はもう、飛びついちゃいました。
まちづくり交付金で細川邸をあれするんだ、絶対にあれするんだ、という話にはなったんですけど、あれってなに? ということが最後まで決められませんでした。
名張市にはもとより深い考えはなく、まちづくり交付金を利用して細川邸を整備し、そこらの癒着結託相手に丸投げしてはいさいなら、という魂胆だけしかありませんでした。
ですから、まちなかの再生がどーたらこーたら、みたいなことは最初から眼中になく、とにかく丸投げ相手をつくんなきゃならない。
そのため、じつにややこしくまた涙ぐましいわるだくみをあれこれと重ねて、とにかくNPOでもつくりゃいいんだろう、みたいな話を進めたわけなんですけど、しかしいくら丸投げされたってどうしようもないじゃん、ということにしかならなかったわけです。
ちなみに、私が提出した住民監査請求というのは、そういったじつにややこしく涙ぐましくそのうえ悲惨なまでに愚かしいわるだくみを重ねた果てに、ついにできあがったんだかなんなんだか、実際のところはよくわかりませんけど、とにかくそのNPOらしきもの、細川邸を特権的に私物化できるようになるはずのNPOらしきもの、名張市とは直接的なつながりのない独立したNPOらしきものが、まったくの独断で三重大学に研究を委託する契約を結んでおりましたので、どこになにを委託していただいてもそのNPOの勝手ではあるんですけど、そこらのNPOが独断で委託契約した研究の対価を名張市民の税金で支払うってのはどういうことよ、ということを主旨としておりました。
ま、それはそれとして、すでに死んだみたいになってる名張のまちに、しかも近鉄名張駅から遠く離れた新町にぽつんと用途不明の施設だけ整備してもらっても、自立した運営なんてできる道理がありません。
しかし、名張市がそういう方針を打ち出し、まちづくり交付金に手を出してしまったんですから、もうあとには引けません。
当初予定していた癒着結託相手がとうとうさじを投げ、名張市の癒着結託構造から離脱してしまいました。
いやいや、こんなこといくらほじくり返してもしかたありませんから、いずれ漫才に書くことはあるかもしれませんけど、いまはやめときましょう。
とはいえ、「僕の住民監査請求」以降のことは漫才にしてませんから、ほんと、いずれ漫才にしてやるべきなのかしら。
いつか書くかもしれない漫才の素材を確認しておく意味において、ここにかいつまんで経緯を記しておきますってえと、名張市はどうしても癒着結託相手がほしかった。
ですから水面下でいろいろあったそのあげく、まちなか運営協議会、という癒着結託相手がでっちあげられました。
それでなんとか体裁が整って、細川邸はやなせ宿として整備され、本来であれば2008年3月末で整備はすべて終了していたんですから、4月にオープンしていなければならなかったところ、癒着結託相手との調整に手間どった、ということであったのか、オープンは6月にずれこんでしまった。
オープンセレモニーの報告がこれ。
▼名張まちなかブログ:やなせ宿オープンを祝福す(2008年6月7日)
そうだったな、そういえば、やなせ宿には開設二年度目から指定管理者制度を導入する、ということになってたんだよな、もちろん大うそだったんだけど、ということをこのエントリのコメントを読んで思い出しましたけど、そんなことはもうどうだってよろしゅうござんす。
ひきつづく流れを確認しておきますってえと、かくいう私が驚くべきことに名張まちなか再生委員会の委員に加えていただきましてですな、さーあ、こんなインチキ委員会、思いっきりぶっ壊してやっから覚悟しろよな、ってんで、いやもう大変な大騒ぎ。
うーむ、あの大騒ぎは死ぬほど面白い漫才にできるであろうな、とは思われますけど、死ぬほど面白かったあれこれはすべて省略し、とどのつまりの帰結だけをば記しますと、やなせ宿の運営主体となったまちなか運営協議会ってのがバッタモンでした。
したがいまして、名張まちなか再生委員会の会合で、まちなか運営協議会なんてバッタモンじゃねーか、ときっちり指摘してさしあげましたところ、名張まちなか再生委員会は一気にがらがらと崩壊しはじめ、最終的には、名張市が委員会から離脱する、という信じられぬ事態に立ちいたってしまいました。
名張まちなか再生委員会は名張市が発足させた組織だったんですけど、自分がつくった組織からすたこらとんずらかましたというんですから、名張市ってのはほんとにばかであったな、といわざるをえません。
いやいや、こんなこといくら記してみてもしかたありません。
名張市立図書館の話にまいりましょう。
それでまあ、データベースの話なわけなんですけど、というところなわけなんですけど、いやー、きょうもそろそろお酒ということにして、またあした、みたいな感じでよろしくお願いいたします。
きのうリンクを掲げた「僕のパブリックコメント」、じつにひさしぶりで読み返してみたのですが、
「ところが行政も住民もええだけ不勉強ですから乱歩を利用するゆうても怪人二十面相の恰好でそこらのひやわいはっしゃり回るぐらいしかようしません」
なんてところがあって大笑い。
ちなみに、ひやわい、というのは、正しくは、ひあわい、なのですが、当地ではひやわいと発音されます。
漢字で書けば、廂間、となって、読んで字のごとく、家が建てこんでひさしとひさしが両側から突き出ているところ、家と家のあいだの狭い道、傘を差したままではとてもすれちがえないような路地、といった意味で、鏡花や荷風なんかの小説にはたまにみかけますけど、私見のかぎりでは山本周五郎あたりを最後に使用する作家がいなくなったようです。
比喩的に、ものとものとのあいだ、という意味でつかわれることもあって、だれあろう乱歩の「パノラマ島奇談」の風景描写にもひあわいということばが出てきます。
えへん。
それでまあ、上に引用したパブリックコメントは、乱歩を利用するといっても怪人二十面相の扮装でそのへんの路地を走りまわる程度のことしかできないではないか、といった意味なのですが、これはまさしく先日の怪人二十面相なりきりコンテストとやらを鋭く予見するものであったな、と大笑いした次第です。
いやいや、実際そんな程度のことしかできないわけですから、予見もなにもないわけですけど。
しかしまあそれはそれとして、名張市のまちなか再生事業はほんとに残念なことをしたな、とあらためて思い返されます。
死児のよわいをカウントしてもせんかたありませんけど、私が提出したパブリックコメントには名張まちなかが秘めていた可能性というやつが示されていたはずであり、それをまあうすらばかがうすらばかとつるんでいったいなんちゅうざまよ。
思いつきと癒着結託で行政まわしてんじゃねーぞこら。
こちとら住民監査請求までぶちかまして思いつきと癒着結託を思いきりおちょくり倒してやったというのに、まーだわかんねーのかこら。
そういえば、住民監査請求にさいして添付した参考資料も、やっぱり漫才でございました。
てめーら挫折した漫才作家なめてんじゃねーぞこら。
ついでですから、というのはおもに、もう一週間以上も前になりますか、近鉄プラザ桔梗が丘にある喫茶店でちょっとおはなししたかたが対象なんですけど、これもご参考までに、ということで、リンクを掲げておくことにいたします。
さて、つづき。
せめて乱歩作品のデータベースだけでも、という話のつづき。
乱歩生活二十年をつらつらつらと振り返りますに、ああいかにも心残りなり、みたいな感じなのがデータベースというやつのことなんですけど、しかしそれはまたあした、ということにして、さ、もう遅いから、お酒飲んでこよっと。
Powered by "Samurai Factory"