1月1日、火曜、来客。
1月2日、水曜、来客なし。
1月3日、木曜、外出。
1月4日、金曜、来客。
1月5日、土曜、来客。
お正月はこんな感じで、もうへろへろです。
ちなみにきょうも。
1月6日、日曜、来客。
ほんとは来客の予定はなかったんですけど、けさになって急遽、来客あり、と決まりました。
いやー、なんか疲れる。
とかいいながら、お客さんが来るまでに、早い目に犬の散歩を済ませてくるか。
済ませてきました。
さあ、年末にひきつづいてぼやき倒しましょう。
名張市立図書館の尻ぬぐいで、こんなメールをお出ししなければならなかった私って、いったいなに? という話ですが。
メールありがとうございました。どうも申しわけ
ありません。典型的な公務員です。初代館長はまだ、
乱歩関連資料の収集ということを主体的に考えてい
らっしゃったと思いますが、いまや名張市立図書館
においては主体性が完全に放棄され、乱歩関連資料
の収集なんてまったくのひとごと、自分たちの仕事
ではなく、だれかやりたいやつがいるのならやらせ
てやらんでもない、というスタンスです。さぞやお
腹立ちのことと思いますが、まあご勘弁ください。
お役所というのはほんとに腐ったところです。それ
では。
2012/12/06
よりにもよって、初代館長さんの時代からなにかとお世話になっていた筋金入りの乱歩ファンのかたを、めいっぱい激怒させてしまったのだものなあ。
長きにわたってご高誼をたまわっていた乱歩ファンのかたから、とうとう愛想をつかされてしまったのだものなあ。
ただまあ、おんなじことをくどくどくどくどくり返しますけど、このかたも私と同様、名張市立図書館にちゃんとしてもらいたい、乱歩のことをちゃんとしてもらいたい、とお思いのはずなのね。
そういうひとは、名張市内にはただのひとりも存在しない、と思われます。
名張市立図書館が乱歩関連資料を収集している、ということをご存じの市民も、ごく少数だと踏んでまちがいないはずです。
しかし、視野を全国にひろげれば、ちゃんとしてもらいたい、と思ってらっしゃるかたは確実に存在してます。
はっきりいって、そうしたみなさんのニーズにこたえることでしか、名張市立図書館は乱歩関連資料の収集を正当化できません。
しつこく申しておりますとおり、乱歩関連資料なんて、市民生活にはなんのかかわりもないものですし、乱歩関連資料に興味のある市民なんてのも、少なくとも私の知るかぎり、ただのひとりもいないはずです。
ですから、そのあたりを頭に入れたうえで、乱歩関連資料の収集が、はたしてほんとに必要なのかどうか、ここらでいっぺん見直して、じっくり考えてみてくんない? ということになるわけですけど、はっきりいってもう詰んでます。
チェックメイト、たらいうやつです。
たびたび記すのもあほらしいですから、年末に記したところを引いておきますと──
だから見直しが必要だ、と私はゆうておるわけです。
ここへ来て世間じゃ、見直しの嵐、とでもいうべきか、政権の座に返り咲いた自民党が民主党政権時代の政策をえらい勢いで見直しまくっているわけですから、名張市立図書館もちっとは見直したらどうよ、と思うわけ。
見直した結果、名張市民からはまったく必要とされてないけど、乱歩関連資料はやっぱり収集いたしまーす、という結論が出たのであれば、好きなように収集すればいいわけです。
ただし、その場合には、収集の根拠や目的を明確にして、市民にちゃんと説明できるようにしておかなければなりません。
むろん、収集の方針や基準、あるいは対象、さらには収集資料の活用についても、はっきりしたことを決めておく必要があります。
そんなこと、できるかな?
できない、と、ここに断言しておきましょう。
ほんと、できない。
それができないのなら、乱歩関連資料の収集なんて、これ以上つづけたってしかたないじゃん、ということは、これまでずーっと筋道を立てて論理的かつ合理的に述べてきたわけですから、乱歩や図書館にまったく興味のないみなさんにも、よくよくご理解いただけたところだと思います。
ただ、名張市立図書館には、じゃ、やめます、と決定することができない。
なんなんでしょうね。
これまでつづけていたことを、いまやめてしまう、となると、決定には当然、責任というものがともないますから、責任回避を第一義とするお役所では、そんなことはできない、ということか。
あくまでも前例を墨守して先送りする、みたいなことしかできない。
しかし、いまやもうぼろぼろで、どっち向いてんだかさえよくわかんなくなってる橋下徹さんだって、やっぱ腐っても鯛、大阪市役所の年頭挨拶で、「『前例がないからできない』は、口にしない」とか、「民間のサービス業を意識して、前例主義を改めることを徹底したい」とか、そんなことをおっしゃったそうじゃありませんか。
▼朝日新聞デジタル:橋下市長「前例主義改めよ」 職員に年頭のあいさつ(2013年1月4日)
いくらなんでも、もうそろそろ、お役所というところから頑迷固陋な前例主義が払拭されてもいいころじゃね? とは思うけど、まあ無理でしょう。
それはともかく、チェックメイトなのにチェックメイトであることを認めない、というのでは、もうどうしようもありません。
しかし、乱歩が好きだったり、乱歩にリスペクトを捧げていたり、乱歩のことを研究したり、全国のそういったひとたちから、世界でただひとつ乱歩関連資料を収集している図書館である名張市立図書館に、ひそかではあるけれどそこそこ熱い期待が寄せられている、というのはまちがいのない事実なわけです。
尻ぬぐいのメールをお送りした方もそうですし、あるいは、ここにもちょっと書きましたけど──
引用。
乱歩自身の記憶にある名張は、随分と後になって形成されたものであったことがわかる。したがって乱歩文学の原風景のようなものを期待して名張を訪れてもがっかりするだけであろう。とはいえ乱歩生誕の地への訪問は、全く無駄というわけではない。現在の名張市では、まずは名張市立図書館を訪ねてみるべきだろう。館内には、江戸川乱歩コーナーがあり、乱歩の原稿や遺品を見ることができる。本当に狭いコーナーではあるが、乱歩作品の一端に触れることができる。それに加えて図書館からは『乱歩文献データブック』『江戸川乱歩執筆年譜』『江戸川乱歩著書目録』が刊行され、充実した資料の発信地になっているということが重要だろう。
ね。
名張市立図書館ったら、こんなふうにご紹介いただいたりもしてるわけなのね。
乱歩にかんする情報の質の高い発信地、として期待を寄せられているわけであって、まともな資料収集ができていれば、それにもとづいていくらでも情報発信ができるわけですけど、そんなことは逆立ちしたってできない。
収集もできないし、発信もできない。
だったらもう、やめとけば? ということになるんですけど、名張市立図書館にはどうにも決められないみたいですから、これも以前から申しておりますとおり、最終的には、市長判断を仰ぐ、ということにしなければしかたないかな、と思います。
というところで、来客が到来したらしい。
おすし買ってもってくわ、とのことであったが、どうせくるくるまわってる店のすしじゃろな、とかまあ罰当たりな。
昨年11月に開店したマクドナルド桔梗が丘店は、お昼前に入店してもすでに大にぎわい。
テーブルはほぼ満席だったので、窓に面したカウンター席に陣取り、窓の外の駐車場をぼんやりながめていたところ、自動車用のしめ飾りをつけた車が一台もないことに気がつきました。
昔はふつうにみかけたものだという記憶があるのですが、気がつくといつのまにか消えている、みたいな感じです。
そのあと、イオン名張店へ。
人出はさほどでもありませんでしたが、ここでも驚いたことがひとつ。
子供の姿をみかけませんでした。
客層はいうまでもなく中高年が目立ち、中国語で会話する若い女性の三人組にもすれちがいましたが、子供はひとりもいませんでした。
イオン名張店がある名張のまちは、例によって例のごとく、死んだようにしーんと静まり返っておりましたし。
でもって、帰宅してみたら、ことし最初のエントリに掲載した美輪さんのYouTube映像、NHKから著作権侵害の申し立てがあったとかで、いともあっさり削除されておりました。
ウィキペディアによれば、美輪さんの「ヨイトマケの唄」は1965年、昭和でいえば40年、奇しくも乱歩が世を去った年に発表されたとのことですが、平成でいえばことしは25年、いやー、昭和は遠くなりにけり、か、というのが、年のはじめの月並みな感慨。
さて、感慨にふけるいとまもあらばこそ、年末にひきつづいてぼやき倒すぞ、と思っていたのですが、ま、元日くらいはやめとくか、新年第一日目から尻ぬぐいのおはなしでもないだろう、と考え直しました。
そういえば、きょう、愛知県のほうからとどいた賀状に、図書館の件は埒が明かないみたいですね、とお書きいただいたものがあって、ほんと、もう全然なんです、と心のなかでお返事した次第でしたけど、名張市立図書館における乱歩関連資料の収集と活用について、こうやって気にかけてくださってるかたが、名張市内にはまったくのゼロであっても、視野を全国にひろげれば……
いやいや、きょうはやめときましょう。
お正月のお酒がまずくなります。
あとはエントリをあらため、『赤き死の假面』についてちょこっと記して、本日はそれで店じまいといたします。
ではでは、どちらさまもよいお正月をお過ごしください。
さーあ、きょうもぼやくぞー、大みそかにもぼやいてぼやいてぼやき倒すぞー、と思っていたのですが、予定を変更し、ぼやくことなく新年を迎えることにいたしました。
それから、ことしのウェブニュースはことしのうちに「RAMPO Up-To-Date」へ、とも思っていたんですけど、一部、年明けにまわすことにいたしました。
それにしても、乱歩にどっかでかかわりのあるニュースってのは、あいかわらずたくさんあって驚かされますけど、そんなことはともかくとして、読売新聞も朝日新聞につづいてウェブニュースの一部有償化に踏み切ったみたいで、いまやネット上の「編集手帳」は全文をただで読むことができません。
▼YOMIURI PREMIUM:12月30日 編集手帳(2012年12月30日)
美輪明宏さんと乱歩の話題なんですけど、この記事にはちょっとおかしなところがあるようです。
初対面の青い血うんぬんという会話を受けて、こうつづくわけですけど。
◆この会話一つで大作家の心をとらえ、後に戯曲『黒蜥蜴』で主役の座を得る。
三島由紀夫の戯曲「黒蜥蜴」で美輪さんが主役の座を得たのはたしかですけど、それは乱歩の死後の話で、初対面の会話で乱歩の心をとらえたとしても、それが「黒蜥蜴」の主役に結びついたなんてことはまったくありません。
ま、こんなことに目くじら立ててみてもしかたありませんけど、美輪さんは今夜の紅白歌合戦に「ヨイトマケの唄」で初出場する、みたいなことも記されていますので、ちょっとしたおなぐさみ、ネットでは読めない最後の段落を引いておきます。
◆せんえつながら、NHKの演出を予言させていただく。衣装は普段の“妖艶”を封印し、泥土のにおいを漂わせてステージに登場するだろうと。希望も込めて。
興味がおありのかたは紅白歌合戦をどうぞ。
興味のないかたはそれぞれ思い思いに大みそかの夜を過ごしていただくことにして、どちらさまもどうぞよいお年をお迎えください。
いよいよ押し詰まりました。
でもって、さあ、いったいどうすりゃいいんだろうなあ、というおはなしです。
むろん、ちゃんとすりゃいいわけです。
私としては、ちゃんとしてさえもらえれば、なにもいうことはありゃしません。
しかし、名張市立図書館には、ちゃんとする、ということができない。
乱歩関連資料を収集いたします、というのであれば、それなりのことをちゃんとするべきなんですが、いっさいできない。
収集の方針や基準、あるいは対象、そういったものを決めることがまったくできませんし、収集した資料を活用することができません。
乱歩関連資料なんて、市民生活にはなんのかかわりもないものであり、そもそも名張市民のだれひとりとして、そんな資料を必要としていません。
だったら、乱歩関連資料の収集なんて、やめてしまえばいいではないか、と市民からいわれたら、名張市立図書館はどう答えるのかな。
なにも答えられません。
げんに、私がそう提言しても、なんにも答えられないんだもん。
だったら、いきなりやめちゃう、みたいな過激な提言は控えて、見直す、といった感じではどうでしょうか。
名張市立図書館が開館したのは1969年のことで、乱歩関連資料収集の方針や基準、あるいは対象、さらには収集資料の活用、みたいなことは、本来であればその時点で決められてなければならんかったんだけど、ただの思いつきで乱歩関連資料を集めましょう、ということにしてみただけで、あとはなんにも考えなかった。
そこらの高校の図書委員にも考えつけることを、いっさい考えようとしなかった。
なにも考えることなく、ただやみくもにそれらしい古書を買い込んで、あとは死蔵する、それだけのことであった。
だったら、そんなことでいいのかどうか、ここらで見直してもいいんじゃね? とも私は提言しているのですが、それも無理っぽい。
前例墨守はもとよりお役所の金科玉条ではありますけど、そもそもその前例というのが、きわめてあいまいでなんともあやふや、ただの思いつきから生まれたことでしかありませんから、科とも条ともなりえない。
だから見直しが必要だ、と私はゆうておるわけです。
ここへ来て世間じゃ、見直しの嵐、とでもいうべきか、政権の座に返り咲いた自民党が民主党政権時代の政策をえらい勢いで見直しまくっているわけですから、名張市立図書館もちっとは見直したらどうよ、と思うわけ。
見直した結果、名張市民からはまったく必要とされてないけど、乱歩関連資料はやっぱり収集いたしまーす、という結論が出たのであれば、好きなように収集すればいいわけです。
ただし、その場合には、収集の根拠や目的を明確にして、市民にちゃんと説明できるようにしておかなければなりません。
むろん、収集の方針や基準、あるいは対象、さらには収集資料の活用についても、はっきりしたことを決めておく必要があります。
そんなこと、できるかな?
できない、と、ここに断言しておきましょう。
だったら、見直しはどうなるの? というと、先送り、ということになってしまいます。
先送りもまた、お役人さまの常套手段です。
いつかも記しましたけど、お役所仕事ってのは、その場しのぎの際限もないくり返しなわけです。
たったいま解決しなければならない問題を、なにも考えることなく、その場しのぎでとりあえず先送りしてしまう。
先送りをつづけた結果、1969年に開館した名張市立図書館には、乱歩関連資料をいったいどうすりゃいいのか、いまだになにもわからない。
ほんと、なにもわかんないのなら、最初っから手なんか出すなよ。
いやまあ、なにもわかんない、ってことが、わかってなかったんだから、しかたないか。
無知の知、ってやつですね。
自分にはなんにもわかってない、ということが自分でわかってる、ってことが重要なわけです。
なんにもわかってない、ということがわかってたら、わかるためになにを知り、なにを考えればいいか、そこからスタートすることができます。
しかし、わかってない、ということがわかってないわけですから、なにも知ろうとせず、なにも考えようとしない。
そこらの高校の図書委員なら、乱歩関連資料を収集する、となったら、乱歩ってどんな作家なのか、どんな作品を書いたのか、それを知ろうとする。
それを知ったうえで、どんな資料を集めればいいのか、集めた資料をどう活用すればいいのか、それを考える。
しかし、名張市立図書館は、そうはしませんでした。
いまもできていません。
だから、適当な思いつきではじまった乱歩関連資料の収集は、ほんとにここらで見直そうぜ、といってやっても、ただただ先送り。
名張市民からまったく必要とされておらず、収集してもひた隠しにするだけの資料なんて、まるで意味のないものです。
全国に視野をひろげれば、名張市立図書館が収集した乱歩関連資料を必要としているひとは確実に存在するわけですが、なにしろひた隠しですから、だれの役にも立ちません。
ふつうなら、インターネットを利用して、日本にたったひとつ、乱歩関連資料を収集している図書館として、名張市立図書館にしかできないサービスを展開しているべきところなんですが、そんなことしたら収集資料にかんする問い合わせが寄せられるかもしれず、しかしそれに答えることなんてとてもできませんから、ネットを利用したサービス展開みたいなことには逆立ちしたって手が出せません。
ところで、問い合わせといえば、先日、乱歩書簡にかんする問い合わせをいただきました。
むろん、名張市立図書館ではなくて、私がいただいたわけですが、恥ずかしながら満足にお答えすることはできず、それどころか、メールをやりとりしているうち、以前から気になっていたことをこちらからお聞きする、という流れになってしまいました。
1975年に出版された『高等学校芸術科書道指導資料 表現編』という本があります。
高校の書道の先生の指導用参考資料、とでも呼ぶべきもので、書道の教科書に使用された著名人の書が写真で収められているのですが、そこになんと乱歩のはがきが。
しかもこれ、横光利一宛なわけです。
いやまいったな、乱歩と横光はただのいちども会ったことがなく、おたがいの伊賀とのゆかり、つまり、乱歩は伊賀の名張で生まれ、横光は福島県の出身ながら伊賀で成長して伊賀の高校を卒業した、といったそれぞれの伊賀との関係も、まったく知ることなく生涯を終えたのではないか、と私は考えていたのですが、というか、そんな文章を発表したこともあるのですが、それはとんだ誤りであった、ということになります。
そもそもこの『高等学校芸術科書道指導資料 表現編』のことをどこで知ったのか、といいますと、まだ最近のこと、ことしに入ってからのことですけど、必要があって江戸川乱歩推理文庫『乱歩年譜著作目録集成』に眼を通していたときのことです。
乱歩がみずから作成して『探偵小説四十年』に収録し、中島河太郎先生が1979年8月まで増補した「江戸川乱歩著作目録」の1975年、昭和50年の項にこんな記載がありました。
【教科書】
○横光利一宛ペン書きはがき(文部省、高等学校芸術科書道指導書・表現編、一月)
がーん。
完全に見落としておりました。
がーん、がーん。
驚いたのなんのって。
がーん、がーん、がーん。
なんだよ、乱歩と横光にはつきあいがあったのかよ、と泣きそうになりながらネット古書店で『高等学校芸術科書道指導資料 表現編』を購入してみたところ、くだんのはがきの写真が収録されていたという寸法です。
ちなみに、はがきの文面はこんな感じ。
拝啓先日は突然御邪魔
いたし色々御話を伺ひ有難
う存じました、同郷の後輩
として今後ともよろしくお
願ひ申上げます、不取敢御
挨拶のみ申上げます、草々
これはたぶん、乱歩が横光にはじめて会ったときの礼状なんですけど、残念ながら日付が書かれておりません。
もしかしたら、宛名面に書かれているのかもしれません。
それに、この文面だけではだれに宛てたものかもわかりませんから、このはがきが収録された教科書には宛先や発信の日付などのデータが書かれているのかもしれないな、とも思われます。
しかし、『高等学校芸術科書道指導資料 表現編』をいくらひっくり返しても、どこの教科書会社の教科書に乱歩のはがきが採用されていたのか、なんてことはまるでわかりません。
さて、乱歩書簡のことで問い合わせをいただいたのは、じつは高校教育に関係していらっしゃるかたでしたので、教科書に収録された乱歩のはがきのことをお伝えし、かくかくしかじかと事情をお知らせして、もしもおわかりになるようでしたら、と軽い気持ちでお願いしてみましたところ、なんと教育関係の図書館で書道の教科書をお調べいただいたとのことで、けさ届いていたメールでそのご報告を頂戴しました。
いまだ判明せず、調査を継続する、とのおことばとともに、調査していただいた教科書のこんなリストをお知らせいただきました。
・1972~1974年検定の東京書籍のもの
・1956~1973年検定の中教出版のもの
・1962~1973年検定の教育図書のもの
・1956~1975年検定の修文館出版のもの
・1956~1963年の駸々堂のもの
・1962年検定の信濃教育会出版部のもの
・1962年検定の清水書院のもの
・1962~1974年検定の光村図書出版のもの
・1955~1970年検定の教育図書研究会のもの
・1962~1973年検定の東京淡雅会のもの
・1956・1962年検定の春潮社のもの
・1956年検定の一橋学院のもの
・1956・1957年検定の日本文教出版のもの
・1962~1966年検定の高教出版のもの
・1956年検定の自由書院新社のもの
・1957・1962年検定の日本学芸書院のもの
いやー、なんだかとんでもないお手数をおかけしてしまったではないか、とおおいに反省し、平謝りのメールをお出しした次第ですが、ひきつづきよろしくお願いいたします、とのお願いも申しあげておきましたので、いやはや、われながら鬼のような人間だな、と思わないでもありません。
しかし、名張市立図書館の目録つくってたときは、こんなことは日常茶飯事でした。
私は探偵小説のことはあまり知らず、古書のことはまったく知らない人間でしたから、とにかくその道の先達に教えを乞わねばならぬことばかりでした。
つまり、無知の知からスタートした、ということになります。
自分がなにも知らない、ということを、私は知っていたわけです。
名張市立図書館もまた、そこからスタートすべきでした。
そこからスタートして、乱歩や探偵小説や古書にくわしいみなさんに教えを乞い、協力を仰ぎながら乱歩関連資料の収集をつづけてさえいれば、おのずから乱歩関連資料を軸としたネットワークが構築されて、名張市立図書館は乱歩にかんするひとつの拠点になれていたはずなんですけど、全然だもんね。
どころか、先日も記しましたとおり、長きにわたってご支援をたまわってきたかたのご勘気をこうむり、私がその尻ぬぐいでこんなメールをお送りしなければならなかったんだもんなあ。
メールありがとうございました。どうも申しわけ
ありません。典型的な公務員です。初代館長はまだ、
乱歩関連資料の収集ということを主体的に考えてい
らっしゃったと思いますが、いまや名張市立図書館
においては主体性が完全に放棄され、乱歩関連資料
の収集なんてまったくのひとごと、自分たちの仕事
ではなく、だれかやりたいやつがいるのならやらせ
てやらんでもない、というスタンスです。さぞやお
腹立ちのことと思いますが、まあご勘弁ください。
お役所というのはほんとに腐ったところです。それ
では。
2012/12/06
ほんと、いい加減にしとかないと、しまいにゃ怒るぞ。
とかぼやいてたら、届きました。
例のものが届きました。
エントリをあらためてお知らせすることにいたします。
年末進行の合間を縫って、気分転換にちょいとひとくさり。
「生半可ならやめるべき」と三重県知事の鈴木英敬さんが滋賀県知事の嘉田由紀子さん率いる未来政治塾とやらで講演なさったそうです。
▼伊勢新聞:未来政治塾 「生半可ならやめるべき」 政治家目指す塾生に知事(2012年12月23日)
「生半可な気持ちで政治家を目指すならやめた方がいい。他人の人生を左右してしまう。風で通った人は風で沈む」
「重要なことは、選挙に出る大義と、お前のためなら本当に死んでいいという仲間を十人集めること」
うーむ。
知事さんのおっしゃるとおりですなあ。
私もほんと、こういいたい。
なまはんかな気持ちで乱歩関連資料の収集をめざすなら、やめたほうがいい。
尻ぬぐいする人間の人生を左右してしまう。
あたいなんかもう、左右されまくりの尻ぬぐい人生だもんね。
要するに、大義の問題だ大義の。
乱歩関連資料の収集に大義はあるのか大義は。
ないだろうなあ。
ただの思いつきだもんなあ。
大義もなければ意義もなく、方針もなければ目的もない。
ほんと、そんなことならやめたほうがいい。
うわっつらだけとりつくろうのは、もういい加減にしておこう。
乱歩関連資料を収集してまーす、とかいってみたって、そんなものを必要としている人間は、名張市内にはひとりも存在していない。
これは私には、経験と実感にもとづいてきっぱり断言できることです。
乱歩関連資料を必要としている名張市民なんて、まったくのゼロである。
むろん、乱歩作品を読みたい、という市民は存在しているはずですけど、そうしたニーズには開架に並んだ乱歩全集でじゅうぶんお応えできるはずです。
たとえば「二銭銅貨」が読みたいという市民のためには、「二銭銅貨」が収録された本が一冊あれば、ことは足りるわけです。
だというのに、乱歩関連資料と称して、「二銭銅貨」が収録された本をいっぱい買い込んで、ただ飾ってるだけ、みたいなことをする必要があるのかどうか。
必要としてる市民がひとりもいないのに、どうして市民の税金で乱歩関連資料なんか収集してるの? と尋ねられても、名張市立図書館にはなにも答えられない。
ほんとうにな、ほんとうに、なーんにも答えられないんだぞ。
そんなことならやめてしまえよ、といわれても、名張市立図書館にはやっぱり、なにも答えられない。
はい、やめます、ということはできない。
絶対にいわない。
むろん、乱歩関連資料の収集を正当化することはいくらでも可能なんですけど、そのためにはあくまでも、収集した資料を活用することが前提になります。
しかし、名張市立図書館には、そんなことはとてもできない。
収集した資料は、ただ死蔵しつづけるだけ。
寄贈図書もまた同様で、寄贈者の好意を平気で踏みにじる。
なまはんかなことはやめたほうがいい、と三重県の知事さんがおっしゃるとおりなんですけど、名張市立図書館には、なにも考えられず、なにも決められず、なにも答えられない。
となると、いったいどうすりゃいいんだろうなあ。
さ、年末進行年末進行。
まず報告。
12月16日、東京都豊島区は東池袋のあうるすぽっとで催されました乱歩狂言「押絵と旅する男2012」、おかげさまで満員の盛況となったようです。
制作会社のかたからは本日、会場で配布されたパンフレットを一部、お送りいただきました。
お運びいただいたみなさんにも、公演関係者のみなさんにも、謝意を表する次第です。
ちょっと検索してみたところ、ご観劇いただいたかたのこんなエントリが。
▼Kazooの感激記:12/12/16 創作乱歩狂言「押絵と旅する男2012」 #狂言 #kyougen(2012年12月17日)
▼落語の見たまま聴いたまま:12月16日 創作乱歩狂言 押絵と旅する男 @あうるすぽっと(2012年12月18日)
▼日々落語、時々狂言、たまに旅。:2012.12.16 押絵と旅する男2012@あうるすぽっと(2012年12月19日)
結構好評だったみたいで、なによりに思います。
ところで、「乱歩狂言」の検索で、乱歩の名前と泉鏡花の「照葉狂言」が同居したブログがひっかかってきて、乱歩の名がみえるこのエントリにびっくり。
▼漁書日誌 ver.β:投票日の新宿展(2012年12月16日)
一読してびっくり。
「それはそうと、今度出るという乱歩関連の限定本はどういうものだろうか、実際に手にとって見てみたい」と記されていましたので、とてもびっくり。
「美しい本」を追い求める藍峯舎が満を持して世に問う第一弾、2012年12月下旬刊、豪華愛蔵版『赤き死の假面』は、本好きなみなさんのあいだでひそかに話題になっているのでしょうか。
私のもとには、当ブログへのコメントで一件、けさ届いていたメールで一件、合計二件の予約のご報告をいただいておりますが、これは多いとみるべきか、少ないとみるべきか、それすら判然といたしません。
「漁書日誌 ver.β」のプロガーのかたは「実際に手にとって見てみたい」とお書きですけど、これはまったくそのとおりで、実物を確認してからでないとなあ、みたいな感じで予約にためらいをおぼえるひとが大半だと思われます。
といったところで幻影城プロジェクトのつづきですが、納得をえられるかどうか、ということになると、市民の納得がえられるかどうか、という問題も考えてみる必要があるでしょう。
名張市立図書館による乱歩関連資料の収集は、はたして名張市民の納得をえられる事業なのかどうか。
換言すれば、名張市民の税金で乱歩関連資料を収集してきたことの正当性を、名張市立図書館はちゃーんと主張できるのかどうか。
べつの角度からいえば、市民の税金つかって乱歩関連資料を集めることの目的を、名張市立図書館はきっちり説明できるのかどうか。
たぶん、無理だと思うんですけど。
さて、本日も紀伊半島からお送りいたしましょう。
とはいうものの、三重県、とか、名張市、とか、そういう地名は絶対つかわない、と決意してみても、世の中なかなか思いどおりにはまいりません。
こんな文庫本が出たんですけど。
▼新人物往来社:三重県謎解き散歩
とはいうものの、さっき近所の本屋さんをのぞいてきたところ、どこにもみあたりませんでしたし、三重県以外でもあまりみかけないだろうなとも思われますけど、とにかくこの本に乱歩のことをちょこっと書きました。
三重県がどうこう、という本ですから、あれこれ地名を出さないわけにはまいりません。
書き出しはこんな感じになってしまいました。
日本に探偵小説の基礎を築いた小説家・江戸川乱歩は三重県にゆかりが深い。乱歩の本名は平井太郎。明治二十七年(一八九四)に名張で生まれ、翌年、亀山に転居、三十年には名古屋へ引っ越したから、県内で育ったのは生後三年に満たない期間だったが、平井家は七代にわたって津藩に勤めた家系だった。
なんかもう、県内地名の椀飯振舞となっております。
といったところで、尻ぬぐいの話に移行するわけですが、それにしても悩ましい。
自分のことならどうにだってなりますけど、名張市立図書館の問題、乱歩関連資料の収集をどうするかという問題であり、名張市立図書館にいろいろ真剣に考えてもらわなければならない問題でもあるんですけど、なんにも考えてくれませんから悩ましい。
どうして、なにも考えてくれないのか。
これもまた悩ましい問題なんですけど、結論としては、そういうものである、とあきらめてしまうしかないようです。
つまり、お役人というのは、そういうものである。
お役所というのは、そういうところである。
これがまあ、乱歩生活二十年、そのあいだには三重県や名張市の乱歩にかかわりのある事業にも首をつっこんできた人間が、最後にたどりついた結論です。
結局のところ、今後のことはどうすればいいのか、みたいなことは、名張市立図書館が考えるべきことであって、なにも考えない、というのであれば、それはそれでしかたがないことでしょう。
むろん、乱歩関連資料の収集にかんして、私なりの考え、というのはむろんあって、それは名張市立図書館が発行した三冊の目録に示されているわけなんですけど、そうした考えには立たない、と名張市立図書館が判断したのであれば、私にはもうなにもいえないわけです。
そもそも、乱歩関連資料を収集する、というのであれば、乱歩という作家とその作品について知ることが必要になる、というのが私の考えであり、それはたとえば図書館法に照らしても、いやいや、そんなものをわざわざもちださなくたって、ごくあたりまえでまっとうな考えであるわけですが、お役人やお役所には、一般的な常識というやつは通用しません。
巷間、お役所の常識は世間の非常識、などとささやかれていることは、ほかならぬお役所のみなさんもよくご存じのところでしょう。
しかし、だからといって、それで納得をえられるものかどうか、というのはまたべつの問題です。
私自身は、お役所ってのはそういうとこだから、とあきらめてしまっても、名張市立図書館が乱歩関連資料を収集している、ということをご存じのかたは、もとより少数ではありますけれど、全国に確実に存在していますから、そういうみなさんは、名張市立図書館が乱歩にかんしてなぜなにもしないのか、お役所ってのはそういうとこだから、といわれたって、とても納得できない、ということになるはずです。
げんに、まあ最近では、年に一、二回、といったところですが、なんらかのかたちで、私のほうにそうした疑問や不審が伝えられてきて、いやー、なんとかしないとな、という気にはなるものの、私にはなんの権限もありませんから、結局、名張市立図書館にはなんの動きもない、という状態が持続しているわけです。
しかし、いくらお叱りをいただいても、私にはたとえば、先日も記しましたけど、おわびのメールを送信する程度のことしかできません。
いやー、なんとかしないとなあ、とか思いつつ、無力感にまみれてしまうなあ、とも思いつつ、幻影城プロジェクト、どうなるのかなあ。
きょうも憂鬱だなあまったく。
寒いとどうしても、考えることがちぢこまってしまうからなあ。
しかし、寒さのせいだけじゃないだろうなあ。
2ちゃんねるの例のスレ、そこそこ盛りあがって二スレ目に突入しております。
▼芸能・音楽・スポーツ ニュース速報+@2ch掲示板:【文芸】四半世紀ぶり東西ミステリーベスト!国内編1位は横溝正史『獄門島』 海外編1位アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』★2
乱歩の出てくるレス。
──江戸川乱歩の「孤島の鬼」は泣いた
──乱歩はおもろないの?
──乱歩の「孤島の鬼」とか面白いけど、ほとんど冒険小説だもんな
──乱歩の「何者」という短編を立ち読みしたけど、
ボーンコレクター張りに病床から一歩も動かずに
犯人を推理する探偵小説ファンの青年と、
明智小五郎との推理合戦、最後のどんでん返し、
現代の日本人には思いもつかない動機など
非常におもしろかった。
今でも十分通用する。
まったくもってそのとおり。
乱歩はいまでもじゅうぶん通用するんですけど、どうやって通用させたらいいのかさっぱりわかんない、というのが、ここ名張市あたりのおまぬけな情報発信の実態です。
怪人二十面相のかっこうでそのへんぐるぐる走り回っても、そんなの情報発信でもなんでもありません。
大丈夫か実際。
とかいってるあいだに、こんなニュースが発信されてました。
▼47NEWS:AKBのサイン偽造容疑で逮捕 三重の男性が6万円で落札(2012年12月14日)
うーむ。
伊賀の文化を発信、とはまさしくこのことか。
いや、ちょっとちがうか。
それにしても、三重県伊賀市の六十二歳の男性がAKBがらみのバッタモンを六万円で落札した、というんですから、ふところの温かいひともいるものです。
しかし、この記事のおかげで、伊賀という地名をひろく発信できたことになり、しかも、伊賀市では六十代が元気です、という力強いイメージまで発信されたんですから、もう万々歳、あっぱれみごとな情報発信だ、というしかなく、伊賀市のみなさんはさぞやお喜びのことでしょう。
ことほどさように、世にいう情報発信ってのは、要するに、売名のことなわけです。
発信に値する情報なんてなんにもないくせに、それでも情報発信に妙に執着していらっしゃるみなさんは、とどのつまり売名に必死なみなさんである、ということでしょう。
私なんて、なんつったって伊賀の忍びの末裔として、できるだけ気配を消して生きていたいと思ってるわけですけど、世の中にゃ小つまらぬ自己顕示欲にふりまわされる人間が結構いるもんです。
だからもうね、売名の片棒なんて担いでやんねーからな、みたいな気にもなり、最近の私ったら、乱歩の生地を紹介するにあたってもこんなありさま。
エドガー・アラン・ポーは一八〇九年、和暦でいえば文化六年、大西洋に開かれたアメリカの港湾都市で生まれた。八十五年後の明治二十七年、紀伊半島の小さな盆地に誕生した江戸川乱歩は、成長してポーを発見し、心酔のあかしにその名を継承した。ポーを始祖と仰ぐ探偵作家として、ポーが「ベレニス」に垣間見せた夜の夢のリアルを求めながら、しかし乱歩は危うく踏み迷う。ポーの明晰と冷徹から遠ざかり、探偵小説は二重身のような奇怪な相貌を帯びて乱歩の前に立ち現れる。
三重、とか、名張、とか、そんな地名はいっさい使用せず、紀伊半島ですからね紀伊半島。
こーいもーゆめものぞみもすーててー。
いーのちーかけるひじょーのおーきてー。
ばーか。
そーりゃキイハンターじゃろうがばーか。
とにかくな、三重県、とか、名張市、とか、もううんざりじゃ、みたいなことでな、情報発信という名の売名の片棒なんて、ぜーったい担いでやんねーからな、みたいな。
しかしまあ、それはそれとして、さ、尻ぬぐい尻ぬぐい。
先日発行された週刊文春の増刊「東西ミステリーベスト100」、2ちゃんねるで話題になってました。
▼芸能・音楽・スポーツ ニュース速報+@2ch掲示板:【文芸】四半世紀ぶり東西ミステリーベスト!国内編1位は横溝正史『獄門島』 海外編1位はアガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』
乱歩関連のレスを検索してみると。
──江戸川乱歩がないのはおかしい。
──戦前の作家では乱歩は別格だね。
読んで面白いもの
古典にならない不思議
──同意。宮部みゆきや綾辻行人入れるなら乱歩先に入れて欲しかったわ。
──乱歩みたいなパクリ作家を持ち上げるなよ
──江戸川乱歩の最高傑作「孤島の鬼」
──乱歩は本格に憧れていたけど、本格を書く力はなかったんだよな
三角館もエンジェル家の丸パクリだしね
──獄門島もYの悲劇を日本に置き換えただけかもしれないね
キチガイ→マンドリン
犯人の設定も同じだし
でも横溝は抜群に巧いんだよなぁ。なんていうか乱歩は翻訳小説読んでるよう感覚
──怖すぎて続きが読めない
乱歩ってほかも同じ感じなの?
──江戸川乱歩の「三角館の恐怖」と「緑衣の鬼」は翻案だよ
翻案っていう言葉知らない?
──Yの悲劇は乱歩のせいで過大評価されすぎ
あの犯人は反則だろ。Xの悲劇と入れ換えろ
──かなりテイスト違うと思う
乱歩は「人間椅子」とか「鏡地獄」みたいな短編が上手いんだが
大抵怪奇描写だけでぐいぐい読ませる手法を取ってる
孤島の鬼のようにあんなに登場人物をしつこく描写した作品はあまりない
後半凄いから続きオススメだよ
──孤島の鬼は最後可哀想なんだよね・・
──小説で読むなら俺の中では乱歩の方が横溝より上だな
ドラマや映画だと横溝原作のほうがいいんだが
──横溝が入ってて乱歩がないのかよ
──江戸川乱歩シリーズ
──江戸川乱歩ないんだなー
金田一も大好きだが、孤島の鬼は超傑作だった。
──子供のころ、ポプラ社の少年探偵団シリーズが好きでよく読んでた
大人になって海外の古典て言われるもの読み出したんだけど、
かつて読んだことあるトリックが、出てきたときは
正直がっかりしたな
それこそ「赤毛のレドメイン家」→「緑衣の鬼」とか
確か「黄色い部屋の謎」もそうだけど、
こっちは乱歩作品を思い出せないw
──孤島の鬼がない(´・ω・`)
なんか、ミステリーが好きなひとは、ミステリーの話をしてると、とても愉しいみたいです。
いやまあ、そんなのはあたりまえのことですけど。
しかし、ベストテンにまったく顔を出してないのに、乱歩の名がこれだけ出てくるってのは、やはりすごいことだと思われます。
その乱歩をテーマに、伊賀の文化を発信、という話なわけなんですけど、どうも画像がないとアクチュアリティに欠けてしまいますから、公選法にふれてもいいんだ、手がうしろにまわってもいいんだ、このあいだ新聞に折り込まれていた川崎二郎先生の選挙用チラシ、「伊賀の文化を発信」ってとこだけ、ちょっと拡大してごらんいただきましょう。
いかがっすか。
伊賀上野城、俳聖殿、江戸川乱歩。
みっつのコンテンツが、写真入りで紹介されてます。
念のために申し添えますと、この乱歩の写真、たぶんウィキペディアの乱歩の項からダウンロードしたもので、著作権の保護期間は終了してます。
ただし、肖像権、あるいは、パブリシティ権、みたいなものの問題は、つきつめて考えると、ちょっとややこしいことになるのかもしれませんが、ま、つきつめるのはやめときましょう。
さて、乱歩をテーマに、伊賀の文化を発信する、ということが、川崎先生の公約として掲げられているわけです。
もっとも、もともと乱歩は、あるいは、乱歩の作品は、伊賀の文化、と呼べるものではまったくありません。
しかし、たとえば、乱歩の本を専門的に収集する、となれば、それはまちがいなく文化的営為だ、ということになります。
そうした営為が伊賀地域で継続され、その成果が体系化されて、それが多くのひとに共有される、ということになったとしたら、そのときはじめて、乱歩をテーマに伊賀の文化を発信した、ということになるわけです。
むろん、乱歩をテーマにした伊賀からの文化の発信は、ほかにもさまざまに考えられるはずですけど、いちばん手っ取り早く、また、一部の乱歩関係者から期待されているのが、ほかならぬ名張市立図書館による発信だ、ということにはなりますものの、これはもう絶望的である、ということにもなっております。
いやー、川崎二郎先生からお叱りを受けてしまうかもしれないなあ。
情報は腐るほどあるのに、それをまったく発信できず、というか、それ以前に理解できず、わけのわかんないご町内イベントが情報発信だ、みたいなこといってるのが名張市だもんなあ。
なんか、ばかみたいだもんなあ。
寒いのに、というか、師走なのに、なんだかよくわけのわかんない衆院選が展開されておりますが、私が住まいします三重一区は川崎二郎先生の圧勝になるものと思われます。
川崎二郎先生は、乱歩が生涯にただひとり先生と呼び、恩人として慕いつづけた川崎克の令孫でいらっしゃいますが、当地の新聞に、けさ、その二郎さんの選挙用チラシが折り込まれてました。
チラシのスキャン画像をプログに掲載すると、やっぱ公選法にふれることになるのかしら、とも思われますからやめときますけど、「伊賀の文化を発信」とタイトルを掲げて、伊賀上野城、俳聖殿、江戸川乱歩、というみっつのコンテンツが写真入りで紹介されているのが眼につきました。
伊賀上野城と俳聖殿はどちらも川崎克が私財を投じて建設したものですし、乱歩もまた若き日に克と会うことがなかったら、たぶん名張とは無縁なままで生涯を終えていたものと思われますから、これら三コンテンツはいずれも川崎克の遺産だといっていいかもしれません。
ただし、伊賀上野城と俳聖殿は克の遺産として地域社会で活用されてますけど、乱歩とのゆかりという遺産がはたして「伊賀の文化を発信」ってことにつながってるのかどうか、というと、思いつきのご町内イベントをぶちかますのがせいぜいで、とても文化だの発信だのと呼べるものにはかかわりがありません。
乱歩を素材に「文化を発信」、なんてことを進めるのであれば、日本でただひとつ、長きにわたって乱歩関連資料の収集をつづけてきた名張市立図書館がその第一線に立つべきであり、私はそのように進言もしてきたのですが、私にはなんの権限もありませんから、おめーの考えてるとおりになんかなんねーんだよばーか、とかそこらの教育次長さんからいわれてしまったらそれでおしまい。
名張市立図書館も現在ただいま、乱歩関連資料を収集している、あるいは、所蔵している、なんてことはひた隠しにしている感じですから、文化を発信、なんてことはとても望めません。
川崎二郎先生は、もしかしたら歯がゆい思いをしていらっしゃるのかもしれないな、とぞ思います。
なにしろ、まったく、発信できてないんだもの。
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