あいかわらず寒い、と思いきや、きょうの当地はそんなでもありませんでした。
しかし、いくらそんなでもないといったって、名張のまちはあいかわらず、人影が絶えたような一日だったと思われます。
すでにご案内申しあげましたが、その名張のまちが乱歩がらみで紹介される、ということがつづきました。
まず、三重テレビの番組。
▼ゲンキ3ネット:名張市内の町並みを散策!『江戸川乱歩ゆかりのスポット巡り!』(ハピ3)
こうしてみると、名張のまちを散策する動線から、名張市立図書館が大きくそれている、ということがあらためてわかります。
地図ではわかりませんけど、図書館へ行くにはかなり急な坂道を登らなければならない、というのも痛い。
それから、「リィーガ」というフリーマガジンでは、最新号の巻頭特集にとりあげられていて、次号が発行されるまで公式サイトで読むことができます。
▼名張・伊賀 地域みっちゃく生活情報誌 リィーガ:Home
私のコメントも、載せていただいてあります。
名張市における官民双方の乱歩関連イベントについて、
「残念ながら、乱歩ファンの琴線に触れるような企画が少ない」
と口走ってるわけですけど、こんな批判的なコメント、よくとりあげていただけたものだと思います。
てゆーか、取材では私、ずーっと批判的なことばっかしゃべってましたから、こうなるのも当然の流れか。
てゆーか、もっと過激なことをしゃべってましたから、記者のかたも表現をやわらげるのに苦労なさったかもしれません。
しかしまあ、ここいらの乱歩関連イベントが乱歩ファンの琴線にふれない、というのはたしかなことです。
逆鱗にふれることはあっても、琴線にはまったくふれません。
なぜか、というと、答えはごく簡単。
乱歩のことを知らない人間がやってるからです。
乱歩のことも、乱歩作品のことも、ろくろく知りもせず、ただ、なんとなく、ひとりよがりに、うすっぺらい思いつきでことを進めてしまうから、乱歩ファンの琴線にふれるどころか、だれからも見向きもされないような、あるいは、失笑を買うような、いやいや、ときにはやっぱ逆鱗にふれるようなことしかできないわけです。
その点、わずか十数分の作品とはいえ、影絵「乱歩誕生」は、いまでもこうやって、ローカルメディアで紹介されて、発信されてるわけですから、こういったことを少しずつでも積みあげてゆけば、みたいなことは、まあどうだっていいとして、問題なのは、おなじくテレビや雑誌で紹介されてる名張市立図書館が、もう完全に、乱歩関連資料を展示してるとこです、みたいな印象になってることであって、だったらもう、ほんと、そういうことにしとけばいいと思います。
まともな資料収集なんてできないんですから、展示用資料を収集しました、いっぱい集まりましたから、もうこれ以上は集めません、ということにしても、ほんとにいいと思うんですけど。
もうじゅうぶんじゃね?
ふうふう。
風邪だ風邪だ。
キャッチアコールドだ。
どこでキャッチしたのかというと、もしかしたら今年最後の新年会の会場で、だったかもしれません。
風呂矢早織さんによるコンサートのチケットをゲットしたのみならず、コールドまでキャッチしてきたとは。
おかげさまで、かなり楽にはなりましたが、いまだ本復とはまいりません。
とくに、くしゃみがひどい。
体力が回復していない分を気力でカバーして、病軀にむち打ち、元気に行ってみたいと思います。
こ、こんなおいしいネタ、このままほっといてたまるものか、ってんで。
こんにちはッ。
県民に腐れきんたまを押しつける、ことができなかった男ッ、三重県知事の鈴木えーけーでございますッ。
わはわはわはわはッ。
とか笑ってる場合ではありません。
なんだかえらいことになってしまって、とてもとってもお気の毒じゃな。
震災がれきを雄々しく受け入れ、赫々たる手柄を天下にお示しになるはずのところ、われらがぽてちん知事さん、赤っ恥をおかきになってしもうたんじゃからなあ。
あかっぱじー、ららら、あかっぱじー、ららら、あーかあっぱじー、とハバロフスク小唄のメロディーで歌ってさしあげようかしら。
ま、そもそもの話をいえば、震災がれきを全国に拡散する、などというなんとも不合理でいかにも裏がありそうな話にうかうか乗ってしまったのがよろしくないんですけど、それはそれとして、なんでここまでおそまつなことしかできねーんだろうな。
ぽてちん知事さんが、三重県は震災がれきを受け入れます、とお決めになり、伊賀地域でもがれきを処理してください、ということになった。
ところが、伊賀地域にある処理施設の地元住民は、いやです、と明言した。
これはべつに、感情的な拒絶、ということではなく、冷静で合理的で論理的な判断にもとづく正当な意思表示であり、また、当該地域の一部住民ではなく、圧倒的多数によって示されたNOでもあった。
説得によって地元が翻意する、なんて可能性はゼロだったわけね。
それに、ほら、大きな声ではいえないけれど、ここいらのお役人さまは、説明とか説得とか、そんな芸当は絶対にできないのよ。
わあわあわあわあ、自分たちの身勝手な都合を地域住民に一方的に押しつけるだけで、あとはもう、ご理解くださいご理解くださいご理解くださいご理解ください、とばかみたいに、つか、実際にばかなんやけど、ひたすら連呼することしかできないの。
なんか、面白いひとたちでしょ?
それでまあ、去年の7月、伊賀南部環境衛生組合が地元住民を対象に説明会を開催し、地元の同意や了解は絶対にえられない、ということがはっきりした時点で、結論は出てたわけです。
しかも、当該施設では地域外のごみは処理しない、という協定書も存在してるわけですから、震災がれきの受け入れなんて、もう無理すぎる話でした。
したがって、話は簡単。
説明会の状況にもとづいて判断し、震災がれきは受け入れない、と決定して、それをぽてちん知事さんにお伝えすればよかったはずなんですけど、いったいなんでこんなことになってしまったのだろうなあ。
要するに、結論はとっくに出ているのに、それを認めようとせず、ただずるずるずるずると先送りしてただけ、みたいにしかみえません。
いかんないかんな。
そんなことじゃいかんな。
なにしろ、相手のあることだ。
被災地の復興がかかってることだ。
震災がれきは一日も早く処理しなければならない。
被災地のことを考えたら、一日でも早く結論を出すことが要求される。
だというのに、ずるずるずるずる、のんべんだらりと、まるで主体性を放棄したみたいに、ただ漫然と、とっくに出てる結論にみてみぬふりを決めこんで、知らん顔かまして、それで結局、なに?
とうとう石原伸晃環境大臣あたりがぶちきれておしまいになって、いいから、もういいから、もう役立たずはいいから、もうおまえらみたいな役立たずはいいから、おまえらにはもうなにも頼まないから、おまえらはできるだけ世間さまのじゃまにならないようにおとなしくしてればいいから、とわれらがぼてちん知事さんのもとへ文書による通達がもたらされた、ということなんだけど、このおそまつさはいったいなに?
自分たちで決着つけなければならないことをほったらかしにしておいて、おそれおおくもお大臣さまに決着つけてもらうってのは、あまりにもおそまつじゃね?
お大臣さまに尻ぬぐいしてもらってんじゃねーよ。
日本全国、震災がれきの受け入れをめぐって大もめにもめた自治体は少なからずありますけど、自分たちでは決着がつけられませんでしたので環境大臣に尻ぬぐいしていただきました〜、なんてなさけない事例は、ほかには一件もないと思います。
おなじ三重県の多気町だって、去年の11月、震災がれきの受け入れを正式に断念して、問題にみずから決着をつけておったではないか。
それがあたりまえのことであって、自分たちの問題に自分たちで決着がつけられない、なんてのは、どう考えたって尋常ではありません。
しかしまあ、ここいらあたりでは、尋常ではないことが大手を振ってまかりとおってるわけですから、どうしようもないのかな。
といったような次第で、ご閲覧の諸兄姉お察しのとおり、尻ぬぐいつながりで名張市立図書館の話題に移行したいところなんですけど、なにしろやまいいまだ癒えぬ身、つか、やまいいまだ癒えねーのならこんなこと書いて喜んでんじゃねーよ、とおっしゃる諸兄姉もおいでかもしれませんけど、とにかく大事をとり、本日はここまででとどめることにいたします。
では、気力をふりしぼって、最後にもうひとたび。
こんにちはッ。
県民に腐れきんたまを押しつける、ことができなかった男ッ、三重県知事の鈴木えーけーでございますッ。
わはわはわはわはッ。
だから笑ってる場合じゃないっちゅうに。
こんにちはッ。
県民に腐れきんたまを押しつける男ッ、三重県知事の鈴木えーけーでございますッ。
わはッ。
わはわはッ。
わはわはわはわはッ。
と、一時はえらい勢いでいらっしゃったんやけど、われらがぽてちん知事さん、おとといからの消沈はいかばかりか。
▼YOMIURI ONLINE:県と市町 がれき協議終了(2013年1月26日)
▼伊勢新聞:震災がれき 他県の受け入れが順調 県内処理を取りやめ(2013年1月26日)
▼伊賀タウン情報YOU:震災がれき 三重県内での受け入れなくなる 秋田で処理へ(2013年1月26日)
▼MSN産経ニュース:東日本大震災がれき 県、受け入れ不要に 三重(2013年1月27日)
ま、最初から無理筋な話ではあったんですけど、知事さんは消沈のいっぽうで、伊賀の人間ってのはほんとに役立たずだな、と思っていらっしゃるのではないかしら。
実際、そのとおりなの。
ここらのお役所のみなさんときたら、ほんとにそのとおりなの。
だから知事さんも、伊賀の連中ってのはまったく、くその役にも立たんな、屁のつっぱりにもならんな、と、身をもって実感されたのではないかしら。
なんか、伊賀地域住民のひとりとして、知事さんにたいして申しわけなさを感じます。
あほで、すみません。
そんなことはともかく、本日のお知らせとしては、昨日放送された三重テレビの「ハピ3!」という番組に、乱歩が登場したそうです。
▼ゲンキ3ネット:名張市内の町並みを散策!『江戸川乱歩ゆかりのスポット巡り!』(ハピ3)
動画もあります。
いまや完全に死んだみたいになってる名張のまちですが、こうやってみると、まだ生きてるようにもみえますからふしぎなものです。
動画には名張市立図書館も登場しておりますが、ほんと、乱歩コーナーで展示や陳列をおこなっているだけで、まともな資料収集なんてとてもできません、そもそもやる気がありません、ということがなんとなく伝わってくる印象で、ほんと、それでいいと思うんですけど、そうも行かんのかしら。
あほで、すみません。
またしても、まずお知らせ。
コンサートのお知らせです。
詳細はこちらでどうぞ。
▼伊賀市文化都市協会:伊賀びと奏でコンサート アフタヌーン・ジャズ 風呂矢早織ピアノトリオコンサート
昨夜、名張市のおとなり、伊賀市内某所で催された新年会に顔を出しましたところ、この風呂矢早織さんによるピアノの生演奏が盛りこまれている豪華版でした。
しかも私、3月17日のコンサートのペア入場券、賞品としてゲットしてしまいました。
なんの賞品かというと、さすが芭蕉のお膝もと、生演奏のほかに句会も盛りこまれ、ひとり一句を投句して、俳人の先生に選考していただくという趣向。
私は、短冊の表に、
「けんみんに○○○○○○○おしつける」
と書き、裏に、
「すずきえーけー」
と署名して提出したのですが、披講にさいしてこれがそこそこ受けたそうです。
というのも、この作品が披講されたとき、私はトイレに行っており、それがまた会場となった店のなかではなく、いったん外に出なければならぬトイレとあって、拍手も笑い声もまったく聞こえなかったのですが、なにしろ受けたものですから賞品をゲットする仕儀とはなりました。
ところで、鈴木えーけーさんといえば、例の震災がれきの問題、奇しくもきのう、こんなことになってしまいました。
いやなんとも残念な。
すべてのわるだくみとわるあがきが、むなしく水泡に帰してしまいましたがな。
「けんみんにしんさいがれきおしつける」
とはまいらなかったわけですから、われらがぽてちん知事さん、痛恨の極み、といったところか。
そういえば、きのうの新年会の自己紹介タイムで、
「こんばんはッ。三重県知事の鈴木えーけーでございますッ」
と挨拶したら、これもそこそこ受けたんですけど、その時点では知事さんの傷心をいまだ知りませんでしたから、いまになって、ちょっとわるいことしちゃったかな、と反省しているところです。
それはそれとして、きのうのつづき、明治45年7月1日に発行された「中央少年」第二巻第四号の件ですが、乱歩は第二巻第一号からひきつづいて「笹舟」という筆名を使用し、「凸凹の鉢合せ」という漫画、目次によれば「ポンチ」を発表しています。
これは乱歩の手になる作品とみていいのですが、この号には「平井古龍」という作者による「テイテツ」という作品、目次によれば「オ伽話」も掲載されていて、この平井姓の作者はいったいだれなのか。
文章やストーリーの幼さから判断すると、乱歩の弟の通であったのではないかと思われます。
少なくとも、第二巻第一号に掲載された「怒濤」「かなしき思出」の二篇と同じ作者が書いたとは思えません。
係助詞「は」のつかいかたさえあやしくて、「とても上へわあがれませぬ」などと書いてあります。
乱歩はこの年3月に愛知県立第五中学を卒業していますから、「は」と「わ」のつかいわけができないわけがなく、だとすれば平井古龍は弟の筆名だろうということになります。
乱歩にはふたり、弟があって、明治27年生まれの乱歩の下に、33年生まれの通、さらにその下に、36年生まれの敏男がいました。
『貼雑年譜』には、「中央少年」の発行には「私ノ弟」も携わっていたとあるのですが、敏男は後年、鮎川哲也のインタビューに答えて、「兄が探偵小説の雑誌をつくりまして、わたしは電柱にポスターを貼る役目でした」と回想しています。
いっぽう通は、富岡多恵子さんの『壺中庵異聞』によれば──
小学生のころ、こんにゃく版といわれる寒天を使った複写の版式で、子供らしい本をつくって仲間に配って以来、自家出版造本の欲望は周期的にめぐってきた。
ですから明治45年、満十一歳の通が短いお伽話を書き、それを平井古龍名義で「中央少年」に発表したのではないか、と考えられます。
それに、古龍という筆名のセンスは、あまり乱歩らしくないように思われますし。
そんなこんなで、「中央少年」第二巻第四号からは、「凸凹の鉢合せ」だけをデータベースに拾った次第です。
まずお知らせです。
ひとつ前のエントリでご案内申しあげました世田谷文学館の「帰ってきた寺山修司」ですが、会場のどこかに中井英夫の書斎が再現されるそうです。
中井英夫が黒鳥とともにこの地上から飛翔し去ったのは1993年12月10日のことですから、早いもので今年でもう二十年。
昨年末に出た週刊文春臨時増刊「東西ミステリーベスト100」では「虚無への供物」が不動の二位をキープしてましたから、この作品だけはいまも読み継がれているということでしょうけど、中井英夫なんて知らない、という世代もまた確実に増えつづけているわけです。
ではここで、1月1日のエントリに使用した写真を再使用。
えー、お若いみなさん、乱歩の『赤き死の假面』を覗きこんでいるのが、その中井英夫の生首です。
『赤き死の假面』といえば、これが今年最後、ということになると思われるのですが、年賀状が一通、道草好きな郵便配達夫の手できのう運ばれてきました。
いやいや、こんなこといってたら郵便屋さんに叱られますけど、投函するのをうっかりお忘れだったとかで、それがようようきのう到着ということになり、『赤き死の假面』購入しました! みたいなことをお書きいただいてあって、いやー、ありがたやありがたや、と心のなかで手を合わせたものでした。
しかし、いったい、どれくらい売れているものやら。
さて、きのうのつづき、「中央少年」の件ですが、乱歩が少年時代に友人と発行した「中央少年」は、『貼雑年譜』に第二巻第一号の表紙、目次、奥付あたりがスクラップされていて、乱歩はそこに「コレハ中学三年生ノ正月ニ出シタモノデアルト思フ。即チ、明治四十三年正月号」と書き添えています。
この第二巻第一号、スクラップされた以外に乱歩は現物も保存しており、掲載された乱歩作品「怒濤」と「かなしき思出」は、2008年7月に発行された立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターの「センター通信」第二号で全文が公表されました。
で、この第二巻第一号の発行日はいつなのか、それを確認いたしたく、立教大学関係者のかたにないしょでお手数をおかけして、現物を調べていただきました。
ちなみに昨年11月、立教大学の池袋図書館がオープンしたとのことで、乱歩関連資料はその図書館のたぶん地下書庫なんでしょうけど、銀行の金庫室みたいなとこに厳重に保管されているそうです。
怪人二十面相でも歯が立たないかもしれません。
みたいなことはともかく、ないしょでお願いして調べていただきましたところ、第二巻第一号には発行年月日が記載されていない、ということが判明しました。
それにしても、こんなことばっかやってると、ひとに平気でものを依頼してしまう人間、というより、ひとに平気で迷惑をかけられる人間になってしまいそうで、ぼく、こわい。
みたいなことはほんとにともかく、少し以前のことですが、「中央少年」の第二巻第四号というのが、某図書館で発掘されました。
ですから、またしても依頼、というか、むしろ迷惑、というべきか、その発掘者のかたからコピーのコピーを郵送していただき、さてうちながめてみたならば、表紙に大きく横書きで、「行発日一月七年五十四治明」と書かれているではありませんか。
ならば、第二巻第一号を明治43年正月の発行としたのは乱歩の誤りで、じつは明治45年1月の発行ではないか、そう断じても差し支えないのではないか、と判断されましたゆえ、「怒濤」と「かなしき思出」の二作品は明治45年1月の発行ということにして、モーツァルトでいえばケッヘル番号、こんなことにした次第です。
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月は1月だとしても日がわかりませんから、月日を示す数字の下四桁を「0100」にしたんですけど、これはもう1月1日ということにしてしまって、「0101」でいいかもしれないな、といま思い返したところです。
そこで、「0101」に変更したデータがこれ。
つづいて第二巻第四号ですが、というところで、これが今年最後、ということになると思われるのですが、これからさる新年会の会場に足を運びますので、つづきはあした、ということにいたします。
目的はどうよ目的は、という話になると、じつは私も、考えてみたことがありませんでした。
むろん、名張市立図書館による乱歩関連資料の収集における目的のことなんですけど、目録つくってるときにはそんなこと、まったく考えてもみませんでした。
なにしろ、初代館長さんの時代にしこたま収集された資料がですね、いってみれば所与の事実として、眼前に存在していたわけです。
購入したままリスト化もされず、ただただそこに存在していたわけです。
それにしても、収集資料のリストもつくらない、なんてのは、はっきりいって異常なことです。
それを異常と判断できないんだから、田舎のお役所ってのはほんと、腐ってるとしかいいようがありません。
かりそめにも図書館が、体系性ってやつを徹底的に無視してどうするよ、と思わざるをえないんですけど、とにもかくにも、それが厳然たる事実なんだからしかたありません。
ですからまあ、体系性のたの字も知らない名張市立図書館が収集した乱歩関連資料を前にして、それをしっかり体系化しなくっちゃな、ということで頭も手もいっぱいになってしまって、収集の目的なんて考える余裕はなかったわけなんですけど、やっぱ、目的がなくちゃまずいよね。
なんどもいうけど、市民生活にはいっさいかかわりがなく、市民からはまったく必要とされていないのが乱歩関連資料なわけで、そんなのをあえて集めようというんだから、てゆーか、すでにしこたま集めてしまったわけなんだけど、だったらなおさら、集めた目的をはっきり説明できないことには、かなりまずいと思う。
かなりまずい、といえば、せっかく集めた資料をただただ死蔵してるだけ、ってのもかなりまずいことなんだけど、名張市立図書館には、なにをどうしていいかさっぱりわかんない、というのが現状であって、ほんとにもうなにも考えられないわけです。
だから、現状を素直に認めて、乱歩関連資料は展示品や陳列物として収集したものです、資料になにが書いてあるのかはまるでわかりません、乱歩のことも乱歩作品のことも、手前どもはなにも知りません、とほんとのところをひろく表明したうえで、乱歩コーナーを展示室としてきれいに整理整頓し、展示品陳列物はじゅうぶん集まりましたので、これ以上の収集はいたしません、ということにしてしまえば楽でいいんじゃね? と思うんだけど、つか、そんなふうに提案もしてんだけど、ほんとにどうよ。
そんなことはともかく、問題は、すでに集めてしまった資料ざんす。
名張市立図書館にまかせといたら、いつまでたっても死蔵したまま、ってことになるのは眼にみえてるわけです。
しかし、すでに所有しているものを活かし、新たな価値を生み出してゆく、ということこそ、この衰退と縮小の時代にまじめに考えなくちゃいけないことなんだけど、このあたりの話題になると、名張市役所のみなさんには理解していただけないかもしれない。
ま、いいとしよう。
とにかく、購入したり寄贈されたりした資料に潜在している価値を、ちゃんと引き出してひろく発信する作業、なんてのは、いうまでもないことなれど、名張市立図書館にはとても無理みたいなのね。
だから、それじゃあまりにもまずかろう、ってんで、名張市長からお墨つきを頂戴し、としつこく書きますけど、営々孜々としてデータベースづくりにいそしんでおるわけなんですが、これもまた、要するに体系化なわけです。
目的はどうよ目的は、目的ないとまずいじゃん、ってんで、名張市立図書館が乱歩関連資料を収集する、てゆーか、もはや過去形でいいと思いますけど、てゆーか、むろん結論は市長判断を俟つしかありませんけど、名張市立図書館が乱歩関連資料を収集した目的はなにかというと、乱歩の文業の全容を明らかにし、乱歩作品が時代にどう受容されたかを記録する、みたいなことでいいのではないか、と、ま、いってみりゃいいだけあとづけなわけですけど、とにかくそんな感じで目的を明確にしてみた場合、個々の作品をデータベース化することが必要になるわけであり、そのためにはすべての乱歩作品を体系化する必要がある、みたいなことは難しくってわかんねーか。
とにかくまあ、、モーツァルトでいえばケッヘル番号にあたる整理番号、少し前には大正12年のものをごらんいただきましたけど、またごらんいただくことにして、まず大正12年。
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「indd」という拡張子はDTPソフトを示すものですから、無視してください。
つづいて、大正13年。
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おつぎは大正14年ですが、まだ完全なものではなく、「人間椅子」その他、漏れてる作品もあります。
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こんな調子でやってるわけですけど、ま、気が遠くなるような作業です。
しかし、名張市立図書館も、あるいは、名張市も、やるべきことはちゃんとやんないことには、いつまでもばかだばかだと世間さまの笑いものになってるわけにもいかねーだろーがよーこのすっとこどっこい。
つか、ばーか。
むろん、作家デビュー以前の作品も体系化の対象ではあり、いまんとこもっとも古いのは明治45年の作品です。
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ただ、このひとつめとふたつめ、たぶん明治45年だろうな、といったような感じで、なんだかあやふやなわけなんですけど。
それでつづきなんですけど、きのうは「赤き死の仮面」のデータをごらんいただきましたけど、「赤き死の仮面」と同じ号に掲載された「探偵作家としてのE・A・ポー」のデータはこうなります。
初出から初刊、さらに最新の『赤き死の假面』まで、「探偵作家としてのE・A・ポー」の収録をあとづけることは、これまでに収集した資料を体系化することであると同時に、この作品がどう時代にどう受容されたかを記録する作業でもあります。
ま、なんの方針も基準もなく、もとより目的もなく、意味も意義もないままに収集された資料であっても、ちゃんと体系性を付与してやれば、きわめて有用なものとなるわけです。
しかし、かんじんの名張市立図書館には、そんなことがいっさいできません。
収集した資料を体系化し、それにもとづいてサービスを提供する、という図書館としてあたりまえのことが、なぜか名張市立図書館にはまったくできないわけですが、それをしっかり尻ぬぐいすることによってのみ、過去の収集が意義あるものとなるわけです。
というか、もう過去しかないぞ。
名張市立図書館が明確な方針のもとに乱歩関連資料を収集する、ということはまったく望めないわけですし、収集することに市民の理解や納得を得られるとも思えませんが、すでに集めてある資料は最大限有効に活用することが必要です。
それはまた、名張市立図書館が全国の乱歩ファンその他のみなさんから期待されていることでもあります。
さ、しっかり尻ぬぐいしなくっちゃ。
つづきのつづきったって、とっくの昔に結論は出ているわけなんですけど、これがお役所のつらいところよ、というべきか、世間ではごくふつうに、できごころ、とか、気の迷い、とかで済む話が、お役所ではそうも行かないみたいですから大変です。
ほんのできごころで、乱歩関連資料の収集をはじめてしまいました。
一時の気の迷いで、乱歩関連資料の収集をはじめてしまいました。
でも、よく考えてみたら、そんなことはするべきではありませんでした。
いまは反省してます。
そんな感じで悔い改めれば、いくらでも白紙に戻せるはずなんですけど、お役所ってところでは、過ちてはすなわち改むるにはばかることなかれ、というわけには行かないみたいで、行政の無謬性、ってやつですか、それを死守しなければなりませんから、手前どもがまちがっておりやした、どーもあいすみません、とは口が裂けてもいえません。
過ちて改めざるこれを過ちという、ってことばもあるんですけど、お役所ってとこでは、みずからの非や責任を認めることは、公務員としての死を意味する、みたいな感じなのかしら。
とにかく、なんだか、困っちゃう。
ですから、名張市立図書館の見識と能力の範囲内で、なんとか乱歩関連資料の収集をつづけられないものか、とあれこれ考えてはきたのですが、これはすこぶるつきの難問です。
ただまあ、それを考えるべきなのは名張市立図書館であって、私は私なりに、目録つくって乱歩の自己収集を継承するお手本を示したり、それが無理だとわかったら、名張市立図書館なりの収集方針を考えてみようね、とアドバイスしたりもしたのですが、せんかたなしや、涙のごときものあふれいで、あーちょいなちょいな、とかそんなことはどうだっていいんですが、とにかく、自分のことは自分で考えようね、なわけです。
それはそれでいいとしても、いっぽうには、じゃあ、しこたま集めちゃった資料はどうするよ、という問題が残ってます。
なんの考えもなく、ただただ思いつきで集めはじめて、そこそこ集めてしまった乱歩関連資料、このまま死蔵しっぱなし、というのは、いくらなんでもまずいでがんしょ。
しかし、名張市立図書館には、それを考えることもできません。
どうするよまったく。
そもそも、なんで乱歩関連資料を集めてんだか、その目的がわからない。
というより、最初っから、目的なんてないわけです。
ただの思いつきだもん。
ほんのできごごろだもん。
一時の気の迷いだもん。
市民生活にはまったく関係がなく、市民からいっさい必要とされておらず、集めただけでただ置いとくだけの資料なんて、いちいち税金で買いこんでんじゃねーよばーか、と市民からツッコミを入れられたら、返すことばがありゃしませんやろが。
しかし、買ってしまったものはしかたがない。
収集したことには意味がある、収集資料はちゃんと役に立ってる、という線にもってかないと、税金をどぶに捨ててしまったことになる。
だから、乱歩関連資料の収集にはちゃんと目的がありました、という線を、むろんあとづけということにはなるんだけど、きっちり打ち出しとかないとだめである。
だから、だからこそ、かくいう私は、先のことはどうなるかわかりませんけど、とりあえずこれまでの乱歩関連資料の収集は無意味なものではなかった、という事実をでっちあげるために、いやいや、でっちあげるとか、そういうんじゃなくて、ほんとにだいじで必要なことなんですけど、過去の収集と調査にもとづいて、乱歩作品個々のデータベースをつくるべきであると、このブログでも逐一報告いたしましたが、名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して、名張市長にじかにお願いを申しあげ、ありがたくもゴーサインを頂戴して、営々孜々として作業を進めているわけです。
乱歩作品個々のデータベースってのは、いったいどんなものかというと、手近なところをごらんいただくことにして、ま、こんなんです。
初出だけで埋もれていた作品が六十三年のときをへだててよみがえった、というわけですから、初出と初刊をおさえるだけでよろしく、こういった作品のデータベースなら、ごらんのとおり、ごく簡単につくれます。
つづく。
さて、そろそろまとめ、ということにしましょうか。
しつこくもしつこくもくどくどくどくど、ばかみたいにくどくどくどくどおんなじことばっかくり返し記してまいりましたから、さすがにもう、私のいってることが難しいとか、わかんないとか、理解できないとか、意味不明だとか、そんなことをおっしゃるかたは、名張市役所のみなさんのなかにも、ほぼいらっしゃらないものと判断いたします。
おんなじことをくり返しくり返しいいつづけることには、いったいどんな効果があるのか。
なんと、自分のおつむで考える能力のない人間を、いとも簡単に洗脳できるんだそうです。
ま、2ちゃんねるに書いてあったことですから、真偽のほどは不明ですけど、名張市役所のみなさんにおかれましては、洗脳がかなり進んだのではないかしら。
では、名張市立図書館の乱歩関連資料について、まとめに突入。
まず、乱歩関連資料とはなにか。
名張市立図書館には、それがわかりません。
明確に定義することができません。
そもそも、収集するにあたっての方針とか基準とか、そういったものはいっさいありません。
にもかかわらず、名張市立図書館は、乱歩関連資料の収集をはじめてしまいました。
なんと無謀な。
ですから、収集の実態は、きわめておそまつなものでした。
そこらの古書目録を開いて、てきとーに目星をつけ、乱歩に関係があるらしい古書を購入する。
おおざっぱにいえば、ただそれだけのことです。
そういったことが積み重なって、ちりも積もれば山となる、いやいや、図書館の資料をちりといってはいけませんけど、結構な数の乱歩関連資料とやらが集まりました。
しかし、そんな資料を必要としている人間は、名張市内にはひとりも存在しない、と私には断言できます。
だったら、いったいなんでそんなもの、市民の税金つかって集めてんだよ、ということになります。
この質問に、名張市立図書館は答えることができません。
答えられないのなら、やめてしまってはどうか。
そう提案しても、名張市立図書館からは返答がありません。
だったら、どうすりゃいいのよ。
いつまでも小ずるい先送りかましてんじゃねーぞ。
ということで、やっぱ、市長診断を仰ぐしかないでげしょうな。
ただし、名張市の市長さんだって、図書館における資料収集にかんして、これといった知識はおもちでないと思われます。
それは当然のことで、そんなこといいだしたら、名張市立図書館も含めた名張市内のすべてのお役所をみまわしてみたところで、資料収集のなんたるかを理解できてる人間なんて、ただのひとりも存在しないと思われます。
ですから、資料収集のことがわからないひとにでも、ちゃんと判断がくだせるように、乱歩関連資料収集の現状を、長きにわたってくどくどと確認してきたわけです。
市民生活に無関係で、市民から必要とされておらず、収集の方針さえあいまいで、さらに都合のよろしくないことに、収集してもただ死蔵するだけ。
みたいなことはもうやめといたら? というだけの話です。
乱歩関連資料を収集します、ということにしたのであれば、その時点で考え、決めなければならなかったこと、そこらの高校の図書委員にでも考えられ、決められるようなことを、いっさい等閑視した結果がこのざまです。
べつだん、専門的な知識とか、明晰な頭脳とか、そんなものが必要なわけではありません。
乱歩関連資料を集める、というのであれば、なんのために集めるのか、だれのために集めるのか、そういったことをひとつひとつ、それこそそこらの高校の図書委員みたいに、まじめに考えてゆけばいいわけです。
つか、そっからはじめないことには、まともな資料収集なんて、とてもできないわよ。
げんに、できてないんだけど。
だから、ちゃんとできるように、私は微力を尽くしましたがな。
目録でもつくんないことには、てきとーに集めて並べとくだけってんじゃ、市民にも申し開きができんじゃろーが、ってんで、乱歩の自己収集を継承した目録をつくったわけですけど、名張市立図書館にはそれを増補することができない。
だったら、乱歩の自己収集はもういいから、名張市立図書館なりの収集方針を考えてみてね、ということにしても、それもできない。
結局、まともな資料収集なんて、とてもできない。
だったらやめれば? ということになるしかないわけ。
かりに、やめない、っていうんだったら、その場合には、みたいなことは、年末にも記したから、引いときましょう。
ただし、その場合には、収集の根拠や目的を明確にして、市民にちゃんと説明できるようにしておかなければなりません。
むろん、収集の方針や基準、あるいは対象、さらには収集資料の活用についても、はっきりしたことを決めておく必要があります。
そんなこと、できるかな?
できない、と、ここに断言しておきましょう。
どうじゃ。
これならいいじゃろうが。
図書館や資料収集についてなにも知らないひとだって、こうやって話を進めれば、だれだってちゃんとした判断をくだせるはずでがす。
つまりまあ、これもまた、いつもいつもゆうとることやけど、ものの道理の問題なわけね。
ものの道理さえわかっておれば、乱歩関連資料の収集なんて、しつこくもしつこくも、くどくどくどくどくり返すけど、そこらの高校の図書委員にだって簡単にできることなの。
しかし、名張市役所のみなさんったら、ものの道理とか、ひとの道とか、そういったものはいっさいご存じないんだからなあ。
ここまで理詰めで話を進めても、やっぱ、よくわかんない?
じゃ、べつの線から説明するか。
ふたたびみたびと引用するけれど、この尻ぬぐいメールにも記したことです。
メールありがとうございました。どうも申しわけ
ありません。典型的な公務員です。初代館長はまだ、
乱歩関連資料の収集ということを主体的に考えてい
らっしゃったと思いますが、いまや名張市立図書館
においては主体性が完全に放棄され、乱歩関連資料
の収集なんてまったくのひとごと、自分たちの仕事
ではなく、だれかやりたいやつがいるのならやらせ
てやらんでもない、というスタンスです。さぞやお
腹立ちのことと思いますが、まあご勘弁ください。
お役所というのはほんとに腐ったところです。それ
では。
2012/12/06
初代館長さんの時代から、長きにわたってお世話になってきた筋金入りの乱歩ファンのかたに、名張市立図書館がしでかした不始末をおわびするためにお出ししたメールですけど、なにしろ筋金入りのかたですから、藍峯舎の『赤き死の假面』もさっそくお買い求めいただいた、とお知らせのメールを頂戴いたしました。
この本ね。
▼株式会社藍峯舎:Home
でもって、『赤き死の假面』をお買い求めいただいた乱歩ファンのかたにもお伝えしたとおり、主体性が問題なわけです。
いやいや、主体性を放棄して責任を回避することこそが公務員のみなさんの王道なんですから、主体性がどうのこうのといったって、難しいとか、わかんないとか、理解できないとか、意味不明だとか、名張市役所のみなさんからはそんなおことばを頂戴するだけか。
ただまあ、このブログ、べつに名張市役所のみなさんだけが対象というわけではありませんから、名張市役所のみなさんにはいささか理解していただきにくい話題もつづることにして、要するに主体性が問題なわけです。
乱歩関連資料を収集する、というのは、名張市立図書館の主体的な判断でした。
どうしてそんなことになったのか、それは私にはわかりませんが、とにかく収集する、ということになった。
で、初代館長さんの時代には、乱歩関連資料の収集というのは、収集そのものはじつに無茶苦茶できわめててきとーだったんですけど、名張市立図書館が主体的に進めていたことはたしかです。
ところがあーた、いまやどーよ。
聞かされてとてもびっくりしたけれど、乱歩のことはどうすんのよ、っつーと、やってくれるひとがあればやってもらいます、っつーのが名張市立図書館のいいぐさなの。
なんなんだそりゃ。
乱歩関連資料を収集しまーす、っつったのは名張市立図書館じゃねーか。
それがなんで、ひとごとになってんだよ。
やってくれるひとがあれば、とかじゃなくて、こら、そんなことはこら、どう考えたっておめーらのお仕事じゃねーかこら。
資料収集というのは、図書館業務の根幹じゃねーか。
なにを収集し、それをどう活用するか、それを考えて決めるのは、名張市立図書館のお仕事なわけ。
それをなんで丸投げしてんだよ。
つか、もともと資料収集はTRCという業者に丸投げではあったんだけど、だったら、お役人さまはいったいなにしてはりますのやろなあ、ということになるわよね。
それはともかくとして、いまや名張市立図書館、乱歩関連資料の収集にかんして完全に主体性を放棄してますから、だったらもうやめとけよ、ということにしかなりません。
しっかし、全然まとめになっとらんな。
とにかくな、名張市立図書館がなにも判断せず、もとより名張市教育委員会も同様なんじゃから、最終的にはやっぱ、市長判断を仰ぐ、ということにせにゃしゃーないでげしょうな。
それにしても、全然まとめになってないんですけど。
なんなのよいったい。
七草がゆのきのう、ほんとにおかゆしか食べることができなかったほど、へろへろに弱ってしまった私です。
ちなみに、今夜もおかゆです。
ぼやき倒す馬力なんて、とてもありゃしません。
しかしまあ、しつこくもしつこくも指摘してまいりましたとおり、また、全国の乱歩ファンのうちのごく一部のかたからも注目と期待をいただいておりますとおり、名張市立図書館にはほんとにちゃんとしていただかないと困るわけなんですけど、ちゃんとできないというのであればしかたありませんから、最終的には、これまたたびたび申しておりますとおり、市長判断を仰ぐ、ということにするしかないと思われます。
おらおらおらおら。
なにを収集していいかもわからず、収集した資料をどうしたらいいかもわからず、しかもその資料は市民からまったく必要とされていない、というのが名張市立図書館における乱歩関連資料収集の実態なわけなんですから、このままほっといていいことではないでしょう。
いつまでも小ずるい先送りや身勝手な主体性放棄が通用すると思ってんじゃねーぞこら。
おらおらおらおら。
とかいいたいんだけど、弱っちゃっててとても無理。
さ、おかいさんすすってこよっと。
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