おかげさまで、名張市内の中学校を舞台にした体罰がらみの一件をめぐる2ちゃんねるのスレ、めでたくdat落ちとなりました。
と思っていたら、今度はおとなりの伊賀市を舞台にしたスレが、と思っていたら、あっというまにdat落ちしてしまいました。
▼ニュース速報+:【三重・伊賀】「一回死んでみるか」歯科医脅した容疑の61歳(2013年2月19日)
いやはや。
モンスターペアレントのあとはモンスターペイシェント。
先生と呼ばれる稼業もなかなか大変みたいです。
しかし、「一回死んでみるか」というのは、そこはかとなくおかしい。
いやいや、喜んでる場合ではありません。
伊賀市とか、名張市とか、いったいどうなっておるのでしょうか。
こんな土地柄じゃ、とてもとても、まともなことは望めません。
よその土地でなら、ごくふつうにできてることも、ここらじゃ夢のまた夢、ということにもなりかねません。
よその土地でなら、そこらの高校の図書委員にでも……
いやいやいやいや、そんなことはまあいいとして、平井通がもう大変、という話なんですけど、藍峯舎の第一弾『赤き死の假面』につきましては、伊賀の忍びの末裔として、秘密は身命を賭して固く守り、藍峯舎のサイトが開設されるまでいっさい口外はしなかったわけですけど、第二弾『屋根裏の散歩者』のことはすでに予告されてますから、伊賀の忍びの末裔として、一回死んでみるか、とばかり、あることないこと書き殴って前宣伝にこれ努めたいと思います。
平井通という人物が世のミステリマニアの前に姿を現したのは、たぶん鮎川哲也の名アンソロジー『怪奇探偵小説集(III)』と名著『幻の探偵作家を求めて』によってではなかったかと思われます。
前者は1984年の刊行で、平井蒼太名義の短篇「嫋指」を収め、後者は翌85年に出版されたんですけど、この本に収録された「乱歩の陰に咲いた異端の人・平井蒼太」という鮎川哲也の文章が、じつはかなりの無茶苦茶で、大丈夫かおい、という内容になっています。
間違いが少なからず眼につくわけです。
一例だけあげておくと、鮎川哲也は乱歩の弟で母親の実家を継いだ本堂敏男にインタビューしてるんですけど、敏男がこんなことをしゃべった、ということになってます。
「団子坂で三人書房をやっていたときに兄は《D坂の殺人事件》を書き上げたのですが、『新青年』に送ったのに編集部からは何ともいってこない。そこで取り返して名古屋の小酒井不木さんに読んで貰い、それがきっかけで世に出られたのですから、小酒井さんの恩を忘れたことはなかったですね」
でたらめじゃねーかこんなもん。
鮎川哲也はこのインタビュー記事を書いたとき、『探偵小説四十年』にあたってみることをしなかったようです。
編集部もチェック入れなかったのかよ。
さらに鮎川哲也は、こんなことも記しています。
われわれの仲間で蒼太を知る者といえば、甥の松村喜雄氏、それに実兄の江戸川氏ぐらいのものでしかない。中島河太郎氏が「推理文学」に書かれた一文を読むと、乱歩氏死去の際、通夜に集った推理作家たちから離れた片隅に、独り坐っている老人の姿を見かけたが、いまにして思えばそれが平井蒼太だったという回想がある。氏を知る推理作家というとその程度のものでしかない。なおこの中島氏の文章は、推理小説のサイドから蒼太を取り上げ、その正体に迫った唯一のものとされている。
これも結構でたらめです。
「推理文学」に掲載された中島河太郎先生の「平井蒼太のこと」には、乱歩のお通夜のことはむろん記されていますけれど、実際はこんなです。
乱歩の亡くなった晩、私などが死亡広告の文案を練っていた傍らで、つくねんとしていた姿が眼前に髣髴としている。
わずかこれだけです。
だいたいが、これは天下の脚注王、村上裕徳さんに手紙を出して教えていただいたのですが、中島先生は乱歩のお通夜以前から平井通と面識がおありだったみたいですから、「いまにして思えば」もくそもありゃしませんがな。
鮎川哲也はいったいどうしてこんないいかげんな文章を書いたのか、私にはとんと合点が行きません。
鮎川哲也は大丈夫?
と思ってしまうゆえんですが、大丈夫じゃない人間なんてそこらじゅうにごろっちゃらしてるみたいで、知己友人が平井通の思い出を綴った文章をつきあわせてみると、なんかもう笑っちゃうくらい証言がまちまちです。
「D坂の殺人事件」で障子の格子越しに見えた着物が黒かったり白かったりしたみたいな感じで、「彼らの陳述はこの事件をますます不可解にするような性質のものだったのである」というしかありません。
とくに平井通の結婚にかんする証言は、証言者によってびっくりするほどの食い違いをみせていて、こーりゃ漫才にしたら絶対面白いな、と断言できるほど無茶苦茶なんですけど、それにしてもこーりゃ大変だあ。
さすがに勢いは落ちましたけど、というか、そろそろdat落ちでしょうけど、まだ生きてることは生きてます。
▼ニュース速報+:【社会】 女子中学生、授業中に携帯電話さわり先生に注意されるも無視→授業終了後、先生が平手で頭叩く→問題に…三重★6(2013年2月16日)
なかにゃこんなレスも。
▼ニュース速報+:【社会】 女子中学生、授業中に携帯電話さわり先生に注意されるも無視→授業終了後、先生が平手で頭叩く→問題に…三重★6 > 474(2013年2月17日)
笑った笑った。
dat落ちする前に転載しときましょう。
474 :名無しさん@13周年:2013/02/17(日) 11:55:05.15 ID:KZi0T+A+O
名張だもん。
要するに、土地柄でんねん、ゆうことやね。
まったく困ったものです。
ほんとに名張市って、いったいどうよ。
しかし、おなじ三重県の尾鷲市よりは、まだましか。
▼ニュース速報+:【裁判】前尾鷲市長に有罪判決 当時15歳の少女にわいせつ 名古屋地裁(2013年2月18日)
それにしても、ちっとはまともなニュースがねーのかよまともなニュースが、とか思っていたら、これは平山雄一さんのブログで教えていただいたことなんですけど、いやグローバルグローバル、『赤き死の假面』の記事が英語で発信されていたではありませんか。
▼DAILY YOMIURI ONLINE:Rampo Edogawa's Poe translation published as book(2013年1月28日)
ぎゃーッ。
ぎゃーッ、ぎゃーッ。
英語ですから当然、私のコメントも英文なわけ。
ぎゃーッ、ぎゃーッ、ぎゃーッ。
Edogawa researcher Shosaku Naka praised the translation, saying, "You can really feel the pure pleasure of Edogawa penning a work he had adored since his youth in his own words."
かっけー。
かっけーかっけー。
おれ、もしかしたら、英語でコメントしてね?
かっけーなーほんとにおい。
「You can really feel the pure pleasure of Edogawa penning a work he had adored since his youth in his own words」って、どんな意味なんだかもうひとつよくわかりませんけど、とにかく私、英語でコメントしてるみたいです。
こうなるともう、こんにちはッ、県民に腐れきんたまを押しつける男ッ、三重県知事の鈴木えーけーでございますッ、とかあほな受け狙いに走ってる場合じゃねーぞ実際。
ぼおくのぱんつはびいかびかッ、とかいってらんねーんだよばーか。
つか、名張市がどうよ、とかそういう問題はどうでもよくなって、第二弾はどうよ、という話になるわけです。
▼株式会社藍峯舎:Home
藍峯舎のサイトで告知されておりますとおり、『赤き死の假面』につづく第二弾は──
巨人亂步と若き池田満寿夫のただ一度のコラボレーション!
「幻の豆本」が新編集で甦る!
要するにまあ『屋根裏の散歩者』なわけで、乱歩ファンなら先刻ご承知、乱歩の実弟、平井通が出版した本なんですけど、藍峯舎版には私の書き下ろし評伝「真珠社と平井蒼太(仮題)」がもれなくおまけでついてるわけです。
まだ書けてませんけど。
つか、書きつつあるんですけど、これがなかなか大変なの。
しかも、いろいろ大変で、いったいどこが大変かっつーと、たとえば墓所がわかんない。
さまになりませんねまったく。
なにしろ評伝なんですから、平井通の墓所はどこどこにある、とか書いて締めくくると、結構かっけー、みたいな感じになると思うんですけど。
でも、わかんない。
平井通のお墓って、どこ?
どこなの? とかいってると、手ェ抜いてないでちゃんと調べろよおら、みたいなお叱りを受けてしまうと思います。
ですから先日、三重県津市にある岡本総本店という家具屋さんをちょっとのぞきに行ったときにも、とかこんなこといってたら三島由紀夫に思いきり張っ倒されるか、いやまあいいけど、とにかくそのついでに津市乙部というところにある平井家の菩提寺、浄明院に足を運び、名張名物二銭銅貨煎餅を手みやげに、お寺のかたに無理難題をお願いして、ちょっと調べていただいたんですけど、どうもこのお寺には通の菩提が弔われていない、ということが判明した次第でした。
じゃ、どこよ、どこにあるのよ、ということになるわけですけど、しっかしよく考えてみたらよそさまのドメスティックなエリアに土足で踏みこんでるおれってなに? という反省も抱きながら、浄明院のかたからお許しをいただいて撮影したのがこの写真。
どちらも平井家のお墓ですけど、左が昭和26年、乱歩が新たに建立した平井家代々のお墓です。
とか、こんなプライベートな画像を公表していいのかよ、とも思い悩みつつ、あすにつづきますが、最後に念のために申しあげておきますと、藍峯舎の『赤き死の假面』は完売となっております。
第二弾の『屋根裏の散歩者』に、どうぞご期待ください。
それにしても、お墓どこよ。
お墓どこなのよ。
やだ。
まだやってる。
▼ニュース速報+:【社会】 女子中学生、授業中に携帯電話さわり先生に注意されるも無視→授業終了後、先生が平手で頭叩く→問題に…三重★6(2013年2月16日)
ここまで注目を集めるようなネタでもないと思われるのですが、どっか2ちゃんねらーのみなさんの琴線にふれるものがあったのかもしれません。
投じられているレスはおおむね、もはや名張市や三重県といった限定された地域を離れ、一般性や普遍性を帯びたものとなっているようですけど、それでもやっぱ、三重県のことが話題になって、われらがぽてちん知事さんはさぞやお喜びではないかしら。
知事さんといえば、震災がれきを受け入れて焼却をはじめたところでは、案の定もめごとが起きてるみたいです。
▼YOMIURI ONLINE:知事、怒り爆発「殺人に近い」…震災がれき焼却(2013年2月15日)
おーこわ。
殺人ですって。
新潟県がここまでもめてこじれてるとなると、われらが三重県の場合、石原伸晃環境大臣に尻ぬぐいしていただいて、ほんとによかった、ということになります。
もしも震災がれきを受け入れ、焼却なんかはじめてしまった日には、おおいにもめてこじれるのは火をみるよりも明らかで、へたすりゃわれらがぽてちん知事さん、新潟県の知事さんから殺人知事の異名をたてまつられてしまう可能性すらあったわけです。
おーこわ。
殺人ですって。
三重県民のひとりとして思うんですけど、ここ三重県において、殺人知事と名のつくかたは北川正恭さんおひとりでじゅうぶんじゃね?
おひとりでじゅうぶん、つか、そもそもゼロが望ましいんですけど、あれはほんとにまずかったざんす。
死者を出した、なんてことじゃ、そもそも洒落になりません。
こんにちはッ。
桑名の消防士ふたりを殉職に追いやった男ッ、元三重県知事の北川正恭ですッ。
これではギャグになりませんがな。
ギャグってのはやっぱ、こんにちはッ、県民に腐れきんたまを押しつける男ッ、改め、県民に腐れきんたまを押しつける、ことができなかった男ッ、三重県知事の鈴木えーけーでございますッ、みたいにひとの心を明るくするものでなければ、多くのひとに共感してもらうことはできません。
気をつけたいものです。
それにしても、名張市教育委員会もなかなか大変みたいです。
名張市教育委員会といえば、当ブログ的には、世に著作権なるものが存在することをいっさい知らず、まだ著作権が生きている窪田空穂の文章を名張市の公式サイトに勝手に掲載したあの委員会だ、ということになります。
ほんと、レベル低いんだぞ。
ですから、乱歩狂言やりまーす、とか名張市教育委員会がぶちあげたとなると、一般市民からすかさず、おいおい大丈夫かよ、あいつらちゃんと権利関係のことクリアできてんのかよ、と心配の声があがるほどのあの委員会です。
とはいえ、どうしようもありません。
土地柄でんねん。
しっかしまあ、ひどい土地柄ではある。
そもそも、お役所内部にチェック機能が存在してない、というのが問題ではないか。
土地柄でんねん。
いやまあそれはわかりますけど、市民から指摘されるまで、著作権法違反に気がつかなかった、著作権のことを知らなかった、なんてのはかなりまずいぞ。
土地柄でんねん。
名張市立図書館だって、市民から指摘されるまで、資料収集のなんたるかがわかってなかった、図書館法を知らなかった、目録つくることなんか考えもしなかった、つか、そもそもなにも考えない、というわけなんですから、どこもかしこもレベル低いぞ。
しかしまあ、先のことはさっぱりわかんないにしても、最低限のこととして、すでに収集した資料を価値のないものとして眠らせておくのだけは避けたい。
とか思ってたら、こんなニュースがありました。
▼MSN産経ニュース:仲代達矢 熱演 映画「約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯」(2013年2月15日)
でもほんと、殺人もまずいけど、冤罪もまずいよね。
土地柄でんねん。
予想外の伸びです。
一夜明けたら、なんと四スレ目。
▼ニュース速報+:【社会】 女子中学生、授業中に携帯電話さわり先生に注意されるも無視→授業終了後、先生が平手で頭叩く→問題に…三重★4(2013年2月15日)
現今の日本社会におけるかなり普遍的な問題をはらんだ事案である、ということでしょうか。
まったくかなわんね。
さてそれで、あのねおっさん、ある座談会で乱歩が「まったくかなわんね」と、あのねおっさん、まるで高勢実乗みたいな本音を吐露していた、というところできのうはおしまいになりましたが、そんなこんなで、乱歩の対談や座談会のたぐいを調査して体系化することが重要な作業であることはいうまでもありません。
とくに、きのうも記しましたけど、雑誌や新聞に掲載されただけで本にはならない、というのが圧倒的に多いわけです。
むろん、ごくまれに、なにかの拍子に、ひょっこり本になる、という例もないではなく、つらつら思い返してみますに、たとえば最近ではこんなところでしょうか。
手つかずのままほったらかしておいたものを尻ぬぐいする、ということのほかに、昔はちょっと考えが足りなかった、というケースもあって、それを改めるのも尻ぬぐいの一環です。
たとえば、以前にも悩んだことがあるのですが、「E氏との一夕」をいったいどうすべきか。
これは稲垣足穂の作品ですが、もとになったのは足穂と乱歩の対談です。
対談ですから、名張市立図書館の三冊の目録の守備範囲外、ということになります。
ただし、この対談におまけでついてた乱歩の「同性愛文献虎の巻」は守備範囲内であって、しかしこの文章はちょっとややこしい変遷をたどることになり、そういった変遷も三冊の目録ではたどりつらい。
それと、そもそもこの対談のタイトル、これまでは「そのみちを語る 同性愛の」としていたのですが、これも改めることにいたしました。
足穂の書誌なんかでも「そのみちを語る 同性愛の」とするのが一般的なんですけど、対談が掲載された誌面をよくみてみると、見開きの右のページには「そのみちを語る」と横で、それから「同性愛の」と縦で見出しが立てられ、左のページには「理想と現実」という縦見出しがありますので、タイトルは「そのみちを語る」、サブタイトルが「同性愛の理想と現実」とすべきかと判断いたしました。
さてそれで、「そのみちを語る」をもとにした「E氏との一夕」ですが、これは足穂作品だから、ということで乱歩の著書目録の対象外としたのですが、内容は足穂と乱歩の対談ですから、やはり収録を跡づけておくべきかと結論した次第です。
そうすると、かなりややこしいことになって、いったいどうややこしいのか、現物をごらんいただきたいと思います。
さすがその道を語らせたら半端ない「薔薇族」、ちゃんと「同性愛の理想と現実」というサブタイトルを採用しています、みたいなことはいいとして、対談「そのみちを語る」と足穂作品「E氏との一夕」双方の収録を跡づけなければならない、ということになります。
ついでですから、「同性愛文献虎の巻」のほうもお目にかけましょう。
なんだかひたすらややこしい。
しかしまあ、こういう作業をしっかりこつこつやることで、市民生活にはなんの関係もなく、市民からまるで必要とされていない乱歩関連資料の収集が、じつはきわめて有意義で乱歩関係者から望まれている事業であり、回りまわって名張市という自治体に裨益するところもおおいに大である、ということは、おわかりいただけるかたにはいちいち説明するまでもなくおわかりいただけるはずなんですけど、おわかりいただけないみなさんにはやっぱおわかりいただけないのかもしれません。
度しがたいなまったく。
ですからまあ、乱歩にかんしてなにを期待していただきましても、なにしろここ名張市は……
とか思っていたら、わが名張市、結構流行に敏感じゃん。
2ちゃんねるでも大人気。
▼ニュース速報+:【社会】 女子中学生、授業中に携帯電話さわり先生に注意されるも無視→授業終了後、先生が頭叩く→問題に…三重(2013年2月14日)
うーむ。
名張市の土地柄が浮き彫りにされた事案、といえるかもしれません。
どうじゃ。
いろんな意味であれな土地柄じゃろう。
頭を平手で一発叩くくらいじゃ、いっこうにどうしようもない土地柄なんだぞ。
ですからまあ、名張市立図書館もですね、とてもご期待に応えられそうにないわけです。
なにも考えようとしないんですから、なにもできるわけがありません。
乱歩関連資料を収集するといったって、なにを集めていいんだかわかんない。
集めたものをどうすればいいのかもわかんない。
そもそも、市民生活にまったく関係がなく、市民から求められてもいない乱歩関連資料なんてのを、いったいまたどうして集めなきゃなんないのか、そのあたりのこともわかんない。
いくらお手本を示しても、側面からアドバイスしてみても、なにも考えようとしないばかりか、主体性をあっさり放棄して知らん顔を決めこんでしまう。
日本という国が衰退と縮小の時代に入ってるんだから、そのあたりのことも踏まえて乱歩関連資料の収集そのものを見直すべきなんじゃね? というのはもはや自明のことだと思われるんですが、それもできない。
これまでに収集した資料を死蔵するだけではなく、それがどれだけの価値をもっているかを確認し、価値あるものとして正当に活用してゆく、みたいなこともできない。
とにもかくにも、主体性を弊履のごとくあっさり放棄し、乱歩のことはやってくれるひとがあったらやってもらいます、なんてことじゃどうしようもないわけです。
この先いったい、どうなるんでしょうか。
どうなるもこうなるもないとは思いますけど、それはまあそれとして、名張市長からお墨つきを頂戴して手前が鋭意進めておりますデータベースづくりというのは、いまさらここにいうまでもなく、名張市立図書館がこれまでに収集した乱歩関連資料にどれだけの価値があるか、つまりそんな資料は全国で名張市立図書館しか所蔵していないわけですから、名張市民には無縁であっても、全国に視野をひろげ、価値ある情報として発信してゆけばおおいに有用で名張市の株もうなぎ登り、ということになるはずのプロジェクトの第一歩なんですけど、いっぽうでこれは、私にとって自分の尻ぬぐいでもあるわけです。
つまり、名張市立図書館の三冊の目録ではカバーできなかった範囲を、ちゃんとカバーして尻ぬぐいする、という作業でもあるわけです。
たとえば、乱歩の対談や座談会のたぐいがそうです。
光文社文庫版乱歩全集の『探偵小説四十年』上下には、もちろん巻末の目録も収録されていて、すなわちこの目録こそ、名張市立図書館が乱歩関連資料を収集しようと思いついたとき、とりあえず眼を通すべきだった目録なんですけど、元版にあったそのままを収録したのではなくて、綿密な訂正が加えられています。
そのあたりの事情は上下それぞれの「解題」で説明されていますが、下巻ではこんなぐあい。
元版の目録には非常に誤脱が多いが、この目録からの孫引によると思われる誤った書誌的データもよく見かけるので、誤謬の源流を示す意味でもあえてほぼ原文のままとし、下段に必要最小限の訂正を註記してある。これらの訂正は、ほとんど全面的に、江戸川乱歩リファレンスブック2『江戸川乱歩執筆年譜』(平成十)、同3『江戸川乱歩著書目録』(平成十五、ともに名張市立図書館発行)を典拠とした。
いやほんと、名張市立図書館も、というか、名張市も、この当時は乱歩関係者のみなさんからそこそこ高い評価を頂戴していたんですけど、いまじゃ旅寝の三度笠、人生裏街道の枯れ落葉か。
そんなことはともかくとして「解題」に戻りますと、さらにつづけてこうあります。
「講演」「座談会・対談会」「ラジオ」「テレビ」の確認は不充分である。
ま、流れからいえば、そのあたりの確認も名張市立図書館がやってよね、みたいなことになるわけであって、じゃ、そのあたりも尻ぬぐいとしてやっとかないとな、と私は思ってるわけです。
とくに対談や座談会では、出席者のうちつけな本音が語られるケースが少なからずあって、こうした肉声はただ面白いというにとどまらず、乱歩のことを研究しようというひとにとっては得がたい素材ということになります。
名張市がらみのことでいいますと、昭和31年に発表された「二銭銅貨」という随筆があって、乱歩生誕地碑が建立されたとき、発起人筆頭だったひとが「同地の菓子屋さんに名張名物、乱歩せんべい『二銭銅貨』というものを製造販売させ、除幕式の参列者にこれをお土産として出したし、駅の売店でも売らせることにした。私は昔とちがってそういうことをいやがらぬ性格に変っている」と乱歩は記しています。
しかし、やはり昭和31年のまったくおなじ時期、「酒」という雑誌に掲載された座談会では、「こんど故郷の三重県にぼくの碑を建ててくれたんだが、そこで『乱歩せんべい』を売出してるんだよ。しかもぼくの作品の「一(ママ)銭銅貨」というのからとったんだろうが、せんべいの大きさもその大きさでね。まったくかなわんね」と乱歩は述べています。
つまり、「まったくかなわんね」というのが、座談会だからこそ口をついて出た乱歩の本音だったわけで、ささいなものではありますけれど、乱歩の人物像に一歩近づく手がかりといっていいのではないかと思われますが、この手の対談や座談会は多くが初出だけで埋もれてしまい、本のかたちで出版されることがめったにありません。
だからこそ、たとえば名張市立図書館なら名張市立図書館が、乱歩の目録をもとにして丹念な調査や確認を進めるべきなんですけど、というところで本日のお客さんがご到着のようです。
あとはまたあした。
やれやれ。
みんな死ねって思っていました、と二階堂ふみちゃんがぼそっとつぶやいたウェブニュースまで、ようようたどりつきました。
「脳男」の常軌を逸したパブリシティの嵐も、ようやく峠を越えたみたいです。
そのウェブニュースの波に呑まれてどっかへ行ってしまった先日のこのエントリ。
▼2013年2月8日:乱歩生誕百年記念イベントの真実
やや補足しておきますと、乱歩生誕百年記念イベントのミステリーウォーク、参加者は約八百人とのことで、これはすごい数字だと思います。
私はミステリーウォークに参加しませんでしたので、八百人もの人間が名張のまちにいっせいに解き放たれたらどんな光景が現出するのか、まのあたりにはできませんでしたけど、かなりの壮観だっただろうなと思います。
もっとも、二十年ほど前といえば、名張のまちもいまほどさびれてはおらず、ふだんでもまちのひとがふつうにそこらを歩いていたはずですから、死の町がいきなりよみがえった、みたいな感じではなかったはずですけど、それでも八百人というのはやはりすごい。
ちなみに先日、2月7日と8日は名張のまちに春を呼ぶといわれる八日戎が営まれて、まあポスターはこんな感じでした。
私は出かけなかったんですけど、足を運んだひとから聞いたところでは、びっくりするくらい人出が少なかったそうです。
まちBBSでもちょっとだけ話題になってましたけど。
▼○名張市について書き込んでみましょうPART13○:922-923
いやー、名張のまちもいよいよおしまいかあ。
それはそれとして、ミステリーウォークの件ですけど、あとで知ったところによれば、このイベントにあわせてSRの会というミステリファンサークルの全国大会が名張市を会場に催されたらしく、そのせいもあって人出が多かったのだと思われます。
ついでですから、乱歩生誕百年につづいて乱歩生誕百十年のことを記しておきますと、名張市ではとくにこれといって記念事業はありませんでしたけど、たまたま三重県と伊賀地域旧七市町村が血税三億円を気前よくどぶに捨ててしまった「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」がおこなわれましたので、三億円から五百万円がとこほどかすめとって『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』を世に送りました。
「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」は文字どおり血税をどぶに捨てるだけに終始した事業で、三重県と伊賀地域の黒歴史としてすっかり闇に葬られてしまっていますけど、ただひとつの救いとなった『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』はたしか乱歩生誕百十年記念出版ということになっていたと思います。
あのときから、来年でもう十年か。
先日も記しましたけど、この十年ほどでこの名張市、乱歩にかんして秘めていたなけなしの可能性をことごとくつぶされてしまった、という印象です。
生誕百年から百十年までの十年間も、はっきりいってろくなものではなかったんですけど、おそまつさはまだお役所のなかにとどまっていました。
ところが、まさに2004年の「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」あたりから民間のうすらばかがしゃしゃり出てくることが一般化し、官民双方のうすらばか同士がつるんでしまうともうだめ、うすらばかがそこらじゅうに解き放たれ、野放し状態になってしまってもうだめ、もう収拾がつかないわけ。
その象徴が2005年の夏、癒着結託の金城湯池となった名張のまちに忽然として現れたこれでした。
つづいて訪れたのが、みごとなまでの大失敗に終わってしまった名張市のまちなか再生事業であって、こうやってみると地域社会がうすらばかどものせいでどんどんどんどん可能性を失っていったことがよくわかりますけど、とにかくもういろんなことが終わっちゃったよね、みたいな感じですから、乱歩生誕百二十年だからってとくになんにもないとは思いますけど、多少なりとも期待をかけてくださっているかたは名張市に電凸、いやいや電凸はまずいですけど、名張市にメールかなにかでその旨をお伝えいただけると、意外な展開が待っているかもしれません。
しかしなあ、それにしてもなあ、ほんと、どいつもこいつもみんな死ねよ、とかいっぺん心からいってみたいな、と思います。
こんなコメントを頂戴しました。
▼2013年2月7日:気が早いけど来年の話です > 無題
コメント欄でお答えしようかと思ったのですが、このエントリにいささかを記すことにしました。
本題に入る前に、倉敷市版横溝正史イベントのニュースがありましたので。
▼山陽新聞ニュース:金田一は「和魂洋才の名探偵」 倉敷で有栖川有栖さんら講演(2013年1月26日)
ではでは、正史はいいけど乱歩はどうよ、とさっそくまいります。
頂戴したコメントから順次、引用してゆくことにして。
1994年・乱歩生誕100年の名張の実績
①ミステリートーク「江戸川乱歩の人物像」→山村正夫氏の講演
ありましたありました。
こんな講演会、たしかにありました。
私は当時、名張市立図書館で乱歩作品の読書会の講師を務めておりましたので、その延長みたいなかたちで、この山村正夫さんの講演があった日の午前中、「江戸川乱歩は三度死ぬ」とかふざけた演題の講演をおこなったことをおぼえております。
午後の山村さんの講演、ぜひとも拝聴しなくっちゃな、とは思いつつ、うちでお昼ごはん食べたあと、ついついテレビで巨人対西武の日本シリーズを観戦しつづけてしまったことも思い出しました。
山村さんの講演会は、名張市が日本推理作家協会の協力を得て毎年開催していたミステリ講演会の1994年度版で、たしか通算四回目であったか、と思いながら名張市の公式サイトを確認してみたら、驚くべし。
▼名張市:なぞがたりなばり
「なぞがたりなばりについて」のページには「平成21年度より「なぞがたりなばり」は市民活動団体等へ委託し事業を実施します」とあるだけで、これではいまだに事業が継続されてるみたいですし、第十三回から第二十回までの紹介ページのうち、以前にも指摘したことですが、なぜか芦辺拓さんによる第十八回だけが抜けている、という不備もそのままになってます。
芦辺さんといえば、芦辺さんのパスティーシュがテレビドラマ化されるそうです。
▼スポーツ報知:山Pが金田一耕助!伊藤英明の明智小五郎と推理対決(2013年2月8日)
正史ファンも乱歩ファンも、ともに必見、というべきでしょう。
そんなことはともかく、名張市のミステリ講演会は日本推理作家協会に丸投げしていたイベントで、二十周年を機にあっさり打ち止めとなってしまいました。
あの講演会は、当時の市長さんの方針の一環で、つまり、当時の名張市はいまだ右肩あがりの自治体で、その前の市長さんの時代には、市役所が新しくなり、当時の市長さんの時代には、病院を建て、大学を誘致し、となかなか勢いがよかったわけです。
その勢いに乗って、なんか一流ブランドでかっこつけたいよなあ、ということになって、名張市になにがあるかというと、乱歩と観阿弥でした。
観阿弥のことはさておき、乱歩のことでいいますと、一流どころつかってなんかできねーかよ、ってんで、日本推理作家協会に話をもってゆき、みごと丸投げ講演会が実現したんですけど、この講演会、じつは乱歩ファンの琴線にふれるものではなかったかもしれません。
つまり、その年の入場者は、その年の講師先生のファンが多くを占めていて、そうしたひとたちは、次の年にはもう名張市へは足を運んでくれないからです。
講師がどなたであれ、乱歩のことをテーマにした講演がおこなわれていたのであれば、乱歩ファンが必ず足を運んでくれる催しになったかもしれませんが、ちゃんと乱歩のことを話してくださったのは、私の知るかぎりでは芦辺拓さんただおひとりでした。
山村正夫さんの講演は「江戸川乱歩の人物像」だったとのことですから、山村さんもずっと乱歩のことをおはなしになったのかな、と判断されますが、私は日本シリーズみてましたからよくわかりません。
それでまあ、日本推理作家協会から、もうおしまい、と通告された時点で、乱歩をテーマにした講演会に切り替えて講演会をつづける、という手もあったのですが、名張市はそうしませんでした。
ミステリ講演会を見直し、本来の趣旨に沿った事業に軌道修正するチャンスだったはずなんですけど、名張市役所のみなさんには、残念ながらそんな芸当はできなかったのだろうと思われます。
ですからまあ、二十年も講演会をやってきたというのに、それでなにかがどうなった、ということもなく、しかも、講演会がおしまいになったということを正式に公表しないままこんにちにいたってるわけですから、ま、どうしようもありません。
②乱歩賞作家・石井敏弘氏の書き下ろし小説『北斗七星の迷宮』を出題とするミステリーウォーク。参加者約800人で、犯人と殺人動機の正解者には、漏れなく名探偵認定証をくれました。また、正解者のなかから抽選で、名張のお土産セットが贈られ、日本最北(と言っても福島ですが)から参加した私もいただきました。小説の解答編を演劇で上演したのも画期的でした。
これもまた、丸投げ、というか、丸買いのイベントでした。
石井敏弘さんは当時、どっかの企画会社かなんかと組んでのことだったのか、ご当地ミステリを書き下ろして、それを材料にしたイベントを売る、というビジネスを手がけていらっしゃいましたので、名張市はそれを買っただけの話にすぎません。
よその土地でも、石井さんの書き下ろし作品によるおんなじようなイベントが開催されているのを、雑誌の広告かなんかでみかけたこともありました。
③白石加代子氏の「百物語」シリーズの一環として、「押絵と旅する男」「人間椅子」が上演されました。
これも丸投げならぬ丸買いで、もちこんだのは旧上野市の某つけもの屋の老舗の若旦那、いまは社長さんで、たしか「百物語」を手がけていた制作会社のかたとおともだちだった縁で、この名張公演が実現にいたったのではなかったかと記憶いたします。
この社長さん、この手のことがお好きなのか、現在は伊賀市でフィルムコミッションを主宰して、綾辻行人さん原作の「アナザー」とか、現在撮影中だかクランクアップしたんだか、「蠢動」という時代劇なんかにもかかわっていらっしゃるはずです。
④名張市立図書館の「大乱歩展」が開催されました。→『貼雑年譜』の実物を初めて、観ました。 中さん演出の『盲獣』の演劇は、観れな勝ったのは、残念でしたが。
私はこの「大乱歩展」、足を運んだ記憶がありません。
たぶん行かなかったはずです。
『貼雑年譜』が展示されている、ということを知っていたのかどうか、よくおぼえておりませんし、展示されていたとしても、行く気になったかどうか。
当時の私は、乱歩にあまり興味がなかったのかもしれません。
この展示会は、ほかのイベントとちがって名張市立図書館オリジナルの企画で、平井隆太郎先生のもとにも『貼雑年譜』の貸与のことなんかでお願いにあがったはずですけど、私には舞台裏のことはまったくわかりません。
それから、「盲獣」はお芝居ではなくて、「江戸川乱歩は三度死ぬ」と題した講演で披露したものです。
つまり、講演なんて疲れるから、できるだけしゃべらないようにしようと考え、地元で劇団やってた女の子数人に声をかけて、乱歩作品の朗読を盛り込んでもらったわけなんですけど、そのうちの一篇が「盲獣」だったという寸法です。
たぶん、乱歩が後年、このエログロはなんなんだ、と削除してしまったところを、削除なしで流通している春陽文庫版で読んでもらったのではなかったでしょうか。
なんと悪趣味な。
それでまあ、結局、この程度だったわけです。
いやいや、名張市の乱歩生誕百年記念イベントに携わってくれたみなさんの労を多とするにやぶさかではありませんが、だれかがどっかでなにかをしっかり考えたのかよ、ということになると、ただのありものの寄せ集め、例によって例のごとく、乱歩のことをろくに知らず、乱歩作品なんかまともに読んだことがなく、ただのうすっぺらい思いつきで、恥ずかしくなるほどのご町内感覚で……
いやいやいやいや、まあいいですけど、それでこのイベントが催された年の翌年、私は激怒することになるわけです。
名張市立図書館を叱り飛ばすことになったわけです。
前にも記しましたけど、二年で終わる約束だった読書会の講師が三年目以降も継続ということになっていましたので、私は思わずかっと来て、こんなの知らねーぞ、と話を蹴り、だいたいがおまえら市民を都合よくつかおうとしてんじゃねーよ、市民は行政の手駒じゃねーんだぞこら、と口角泡を飛ばし、そもそも図書館として当然しなきゃならんことをなにもせず、なんで読書会みたいなことでお茶ばっか濁してんだよこのすっとこどっこいが、とそれはもう怒った怒った。
それでけりをつけたつもりでいたら、乱歩にかんしてなにをすればまったくわかりません、なんとかしてくれませんか、と図書館側から申し出がありましたので、なんでも好きなことをすればいいんだけど、とりあえず目録のひとつもつくんないとまずいぞおい、とアドバイスして、以下、ご存じのとおりのゆくたてとなりました。
それでまあ、前の市長さんが乱歩という一流ブランドを利用して自治体のグレードアップを図ろうとした戦略は、いったいどうなったのか。
結局、どうにもならなかった、というべきでしょう。
ミステリ講演会以外にも、乱歩にちなんだ文学賞、とか、一本ネタの乱歩記念館、とか、いくつかプランはあったみたいですが、みんなぽしゃってしまいました。
失敗とさえ呼べません。
ただの戦略倒れ。
ただまあ、どんな稚拙なものであれ、戦略があったことはあったわけです。
すごいなおい。
いまやもう、戦略なんてどこにもないぞ。
ビジョンもなく、プランもなく、アイデアもなく、タクティクスもない。
そんな名張市ですから、乱歩生誕百二十年はどうよ、ということになると、たぶんなんにもないのではないでしょうか。
He is not what he was.
まさしくそのとおりです。
なにがちがうのかというと、二十年前にくらべると、日本全国津々浦々、ほとんどの自治体がそうだと思いますけど、財政的な余裕がまったくなくなってるわけです、
二十年前なら余裕で捻出できた予算が、いまは逆さにしてふりまわしても出てきません。
ですから名張市にも、乱歩生誕百二十年記念事業を手がける余裕はないのではないか。
ま、余裕があったって、どうせばかみたいな事業しかできなくて、私からいいだけおちょくられるのが関の山ですし、逆に余裕がなくたって、知恵さえあればそれなりのことはできるはずなんですけど、なにしろここ名張市、なにかをしっかり考える、ということをしない土地柄です。
ほんと、この二十年ほどのあいだ、ちゃんと考えて、ちゃんと決めて、ちゃんとやった、というのは、名張市立図書館の目録発行くらいなものであって、あとの乱歩関連事業なんてひとえに風の前のちりにおなじ、例によって例のごとく、乱歩のことをろくに知らず、乱歩作品なんかまともに読んだことがなく……
さ、くどくどいってないで、お酒にしよっと。
気の早いかたがいらっしゃるもので、来年は乱歩生誕百二十年だから、名張市で大規模な乱歩イベントを開催してもらいたいものだ、とメールでご期待をお寄せいただきました。
無理です。
とても無理です。
いやいや、そんな決めつけてしまってはいけませんけど、ま、望み薄です、と申しあげておきましょう。
いっぽう、岡山県倉敷市の横溝正史イベントは、2012年が正史生誕百十年だったとのことで、去年の11月から今年1月にかけて、あれこれのイベントが盛りあがりをみせたみたいです。
▼倉敷観光WEB:平成24年11月24日(土)“1000人の金田一耕助”
▼倉敷観光WEB:平成24年11月24日(土)“紙芝居「楽しかりし桜の日々」”
▼倉敷観光WEB:平成24年11月24日(土)~25年1月27日(日)“横溝正史旧蔵資料展”
▼倉敷観光WEB:平成25年1月26日(土)~27日(日)“「巡・金田一耕助の小径」大学”
このイベントは、名張市の乱歩関連イベントとは異なり、正史ファンの琴線にふれるものになっているようです。
というのも、正史ファンの協力を仰ぎ、知恵を借り、といったことを主催者サイドが心がけているからで、行政側が正史のことや正史作品のことをあまり知らなくても、結果としてイベントはファンの琴線にふれているわけです。
しかし、名張市はちがいます。
これも土地柄、というしかないんでしょうけど、とにかく、ひとの意見に耳を傾ける、ということがまるでありません。
官であれ、民であれ、乱歩のことをろくに知らず、乱歩作品なんかまともに読んだことがない、などという不届きな連中が、ただのうすっぺらい思いつきで、恥ずかしくなるほどのご町内感覚にもとづいて、ひとりよがりに小つまらぬ自己顕示欲を満足させてるだけ、というのがここいらの乱歩関連事業の実態です。
なんでなんだろうなあ。
やっぱ、土地柄でんねん、というしかないんだろうな。
しかし、土地柄にも負けず、最後のとりでだけは死守したいと思いますし、そのために名張市長のお墨つきも頂戴している、ということはくり返しお伝えしてきたとおりです。
それでまあ、きのうも引用したこれ。
慶応大学教授(図書館情報学)の話 コスト削減の名の下に指定管理者制度を導入してから10年ほどたつが、依然として「貸出冊数」などの数字が評価される傾向にある。しかし重要なのは、地域の歴史や各種課題の資料を集め、次代に残すという図書館本来の目的が果たされているかという点。民間委託がいいか、自治体直営がいいかという議論の前に、問われるべきは、首長が図書館のあり方を中長期的に考えているかどうかだ。
コストカットのために指定管理者制度を導入したら、図書館本来の目的がないがしろにされてしまうのではないか、ということなんですけど、少なくとも名張市立図書館の乱歩関連資料収集についていえば、開館当初から一貫してずーっと無茶苦茶でしたから、いまさらないがしろもくそもないわけです。
しかし、ここまでないがしろで、しかもかんじんの図書館が主体性を完全に放棄してなんにも考えようとしないとなると、首長はどう考えているのか、首長判断はいったいどうよ、という問題にまで発展してしまいかねません。
逆にいえば、名張市立図書館の乱歩関連資料収集がここまで無茶苦茶なのは、あるいは、長きにわたって収集した乱歩関連資料をここまで秘匿隠蔽してしまってるのは、もはや首長責任を問われてしかるべきことなんじゃね? ということになってしまうんじゃね?
ただまあ、ラッキーなことに、そんなことを問う名張市民なんてひとりもいないはずですから、名張市立図書館は大船に乗ったつもりでいていいと思います。
しかし、全国の乱歩ファンのみなさんは、そのかぎりではないからなあ。
げんに、名張市の乱歩生誕百二十年記念イベントに期待してくださってるかたもあるんだからなあ。
しかし、土地柄とはいえ、ひどいとこじゃ。
ほんと、あらためてびっくりしてしまうわ。
知らねーぞもう、というしかない。
つまりこれ、「リィーガ」2月号に寄せたコメントからはじまった話題なんですけど。
▼2013年2月2日:乱歩とふるさと 随筆に書き残された生まれ故郷、名張のこと
ここ名張市における官民双方の乱歩関連事業は、正直なところ、「残念なががら、乱歩ファンの琴線に触れるような企画が少ない」というしかないわけです。
乱歩というのは、名張市にかかわりのあるさまざまなコンテンツのなかでは、いってみればキラーコンテンツなわけです。
だから、活用法によっては、名張市におおいに役立ってくれるはずなんですけど、先日も記しましたとおり、乱歩のことをろくに知らず、乱歩作品なんかまともに読んだことがない、なんて連中が、ただのうすっぺらい思いつきで、恥ずかしくなるほどのご町内感覚にもとづいて、ひとりよがりに小つまらぬ自己顕示欲を満足させてるだけ、ってんじゃ、せっかくのキラーコンテンツが泣いてるぞ。
ただまあ、もう手遅れ、というか、時期を逸してしまった、というか、これまた先日も記したとおり、ここ十年ほどのあいだで、名張市が秘めていた乱歩にかんするなけなしの可能性が、ことごとくつぶされてしまったわけなのね。
たったひとつ残ってるのは、名張市立図書館がわけもわからずやみくもに収集して、ひたすら死蔵しつづけてる乱歩関連資料であって、これが最後のとりでというやつです。
これを活用する以外、名張市には乱歩にかんして、もうまともなことはなにもできません。
ただし、残念ながら、名張市立図書館には、活用なんてまるでできないわけね。
ご閲覧の諸兄姉にも、そのあたりの事情はよくご理解いただいているはずです。
なにしろ、資料収集のしの字も、図書館法のとの字も、なんにもご存じないかたが館長をしていらっしゃったり、コンビニのコピー機をつかいこなせなくて、ただ茫然とたたずむばかりのかたが副館長をしていらっしゃったり、そんなお茶目な図書館なんですから、活用なんて無理無理、とても無理。
じゃ、どうすりゃいいのか、というと、以前に引用した朝日新聞の記事をまたお読みいただきましょう。
慶応大学教授(図書館情報学)の話 コスト削減の名の下に指定管理者制度を導入してから10年ほどたつが、依然として「貸出冊数」などの数字が評価される傾向にある。しかし重要なのは、地域の歴史や各種課題の資料を集め、次代に残すという図書館本来の目的が果たされているかという点。民間委託がいいか、自治体直営がいいかという議論の前に、問われるべきは、首長が図書館のあり方を中長期的に考えているかどうかだ。
これは、図書館の民間委託っていったいどうよ、という記事に掲載されたコメントですけど、ポイントはやっぱ、結局は首長の判断だ、というところです。
そりゃもうほんと、そのとおりっすなあ。
ですから、まあ、そういったことでいいのではないか、と思います。
要するに、土地柄である、ということです。
名張って、おかしくね? とお思いのみなさんはたくさんいらっしゃるでしょうけど、それがここらの土地柄なのである、とお考えください。
本日は土地柄もよろしく、みたいな感じで、軽く流していただければと思います。
どうして官民双方、なにも考えることなく、ただただ思いつきだけでことを進めるの?
土地柄でんねん。
これが個人のことであれば、田辺聖子さんみたいに、性分でんねん、という手もあるわけですけど、地域全体のことですから、土地柄と表現するのがいいでしょう。
名張市立図書館が、どうしてここまで、乱歩関連資料の収集において無茶苦茶なのか、無茶苦茶になってしまったのか、という問題も、ま、土地柄でんねん、といってしまうしかありません。
私のようにまともでまっとうな人間は、どうしてちゃんとした資料収集をしないのか、と疑問に思い、叱り飛ばしもしたわけですけど、こういうまともさやまっとうさは、ここいらの土地柄になじまない、ということでしょう。
むろん、本来は、どうして無茶苦茶なのか、原因をつきとめて、現状をあらためる、みたいなことをめざすべきなんでしょうけど、ここいらの土地柄じゃ、だれもそんなことは望みません。
そんなことでは図書館としてちゃんとしたサービスができないではないか、と私などは思うわけですが、そんなサービスなんてまったくやる気がない。
なぜか。
土地柄でんねん。
原因だの、責任だの、あるいは改善だの、そんなことゆうとったら、いつのまにか村八分にされてしまいます。
インビジブルマンになってしまうんだぞ。
なぜか。
土地柄でんねん。
それに、だれが悪い、だれが無能だ、なんていってみたって、それでなにかがどうにかなる、ってことなんかまったくありません。
名張市立図書館の開館以来の関係者が、丸刈りになって、ときどき、ひっく、ひっく、ひっく、としゃくりあげながら、涙目で詫びを入れてる動画、なんてのをYouTubeにアップしたりなんかしても、それでなにかがどうにかなる、とか思う?
なるわけねーだろ。
だからもう、土地柄でんねん、ということでいいと思います。
土地柄がとってもあれなものですから、まともなことを期待してもずっこけさせられるだけである、とおぼえておいてください。
なにを期待していただいても、なんのお役にも立てません。
しかしそれは、特定の個人がわるいとか、ばかだとか、のーたりんだとか、そういったことではなくて、土地柄がそうなのであると、土地柄のしからしめるところなのであると、そのようにご理解ください。
土地を笑って、ひとを笑わず。
そういえば、去年の年末、12月30日か31日のことですけど、親戚の子供が遊びにきましたので、その子をつれて近所のコンビニにお菓子を買いにまいりました。
で、店から出ようとしたとき、そのコンビニは入ってすぐ右にコピー機が設置されているのですが、そのコピーコーナーになんと、このブログではすっかり人気者、とくにその憎めなさが特筆ものなかたなんですけど、名張市立図書館の往年の副館長さんが思案顔でたたずんでいらっしゃるではありませんか。
挨拶もそこそこに、どうしたんですか、とお聞きしたところ、コピー機が動かない、とのことです。
みると、コピー機にはエラーの表示が。
そこで、リセットボタンを押しました。
コピー機は動きはじめます。
と、その往年の副館長さん、
「あ。動きましたわ。中さん動きましたわ。動きましたわ」
と大きな声をお出しになり、それはもう大喜びしていらっしゃいました。
念のために申し添えますけど、このかたは、名張市立図書館のナンバーツーにまで昇りつめられたかたです。
土地柄でんねん。
土地を笑って、ひとを笑わず。
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