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Nabari Ningaikyo Blog
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Posted by 中 相作 - 2012.05.26,Sat

 一夜明けて。

 

 ▼Google ニュース:名張毒ぶどう酒事件 のニュース検索結果

 

 2ちゃんねるは、ようよう二スレ目。

 

 ▼【裁判】名張毒ぶどう酒事件、名古屋高裁が再審開始を取り消し★2:全部

 

 しかし、ほんとに、こんなことがどうして、まかり通ってしまうのであろうな。

 

 とりあえず、中日の社説はこんなん。

 

 ▼中日新聞 CHUNICHI Web:名張毒ぶどう酒事件再審認めず “疑わしきは罰する”なのか(2012年5月26日)

 

 奥西勝さんの自白は、とても信用できるものではない、というのは、この事件にかんしてある程度の興味や知識を有している人間のあいだでは、かなり一般的な認識である、と思われるんだけど、それはそれとして、今回の決定でまったく腑に落ちないのは、裁判官ふぜいがなーに出しゃばりまくってんだよこの低能、ということである。

 

 ▼日本経済新聞:再審棄却「裁判官の推論、不当」と弁護団批判 名張事件(2012年5月26日)

 

 弁護団長の鈴木泉さんが「科学的根拠に基づかない独自の推論による判断で、極めて不当」とおっしゃるのも当然であって、そもそも検察側が問題にしてないことを裁判官が勝手に問題視し、推測し、決定の材料とする、なんてのはまさしく不当な行為であって、「科学に素人の裁判官が推論で再審の扉を閉じた」という弁護団の反発もまた当然のものであると思われる。

 

 中日の社説にも、「昨日の高裁の決定は、弁護側が出した証拠では検察の主張を崩せないという論法である。検察が主張していないことまで裁判官が推論し、有罪とする根拠を補強している」「これでは、まるで『疑わしきは罰する』になってはいないか」とあって、こうなるとまあ、名古屋高裁刑事二部の裁判官のみなさんは、どうあっても死刑判決を死守したいだけのすっとこどっこい、法衣に身を包んだある種の軽いきじるしなのではないか、とも思えてくる。

 

 いやー、くわばらくわばら。

 

 ほんと、裁判所がここまで信用できないんだから、くわばらくわばら、桑原和子が挨拶にまいりました、とでもいいながら小さくなってるしかないわよね。

 

 ところで、軽いきじるし、といえば、こっちはどうよ。

 

 ▼【人材不足】佐賀県武雄市役所【政争の街】:最新50

 

 ▼【温泉】佐賀県武雄市スレ 4【焼き物】:最新レス50

 

 武雄市図書館の運営をばツタヤに丸投げしますばい、の件だけど、武雄市の市長さんってのも、やっぱ、どっか、ちょっと、軽いきじるし、みたいなとこが感じられる。

 

 なんか、あの市長さん、タイプとしては、われらが三重県知事にどことなく似ていらっしゃるな、という印象は、先日来、あった。

 

 たぶん、おふたりとも、東大卒の官僚くずれ、いやいや、くずれとるかどうかはようわからんけど、とにかくそういった共通項があることから、避けがたく同一視してしまう、みたいなことがあるのかもしれんけど、えらい勢いでつんのめるみたいにして手柄を立てたがる、といったあたりがよう似ていらっしゃる、とあたいには感じられる。

 

 しかし、先鋭さにおいては、武雄市の市長さんのほうが、一枚も二枚も上手である。

 

 早い話、三重県の知事さんには、軽いきじるし、といった印象はまったくないけど、武雄市の市長さんからは、なんというのか、輝かしい狂気のオーラ、みたいなものがそこはかとなく感じられる。

 

 いやー、結構結構。

 

 きじるし結構大結構。

 

 世の中には、きじるしみたいにならなければ実現できない、なんてことがたしかにある。

 

 きじるしにしか達成できないブレイクスルー、みたいなことは確実にあるのである。

 

 しかし、それはそれとして、ツタヤ丸投げはだめじゃろうが。

 

 とか思っていたら、なんなんだ、いまや江戸川乱歩年譜集成の修羅場と化している名張まちなかフログに、なんかわけのわかんないコメントを頂戴したぞ、ってんで、しばらくあれこれ検索して、ようやくわけがわかり、ついさっきコメントをお返ししたばかりである。

 

 ▼名張まちなかブログ:ブログ市議はおらんかの巻(2009年4月10日)

 

 あしたは大阪で講演しなきゃなんないから、きょうはこれまで。

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Posted by 中 相作 - 2012.05.25,Fri

 【註】(上)のつづき。

 

 4月2日午前8時30分にはじまった二十時間におよぶ取り調べで、奥西さんは自分が犯人であると認めるにいたりました。『名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者』にもとづいていうならば、犯人であると強引に認めさせられたということになります。これはもちろん奥西さんの主張にもとづいた記述であり、奥西さんがうそをついている可能性もないわけではありません。しかし奥西さんが取り調べの途中で犯行否認に転じ、以来一貫して無実を主張しているのはたしかな事実です。

 

 『名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者』には、いったん犯行を認めた奥西さんがあとになってそれを否認しても、取り調べではいっさいとりあげられることがなかったとも記されています。

 

 否認しても、調書は取ってもらえず、無視される。それに、刑事や検察官の言うことを聞いているといいこともあった。留置場の食事では量が足りず、勝はいつも腹を空かせていた。接見禁止処分がついていて、家族に差し入れを持ってきてもらうこともできない。そういう状況の中で、刑事からもらう食べ物はありがたかった。

 

 〈取調べ官の言う通り返事をして居りますとしかられませんし、たばこ、菓子類をたくさん毎度入れて食べさせてくれるので、食べ物に気が狂った動物のようになりまして作り事を申して、今になってどうかと心配しております〉(起訴後に書いた勝の手記)

 

 警察・検察側は、勝が言うこのような取り調べが行われたことは、一切否定。勝が「任意に」自供したのだと主張している。

 

 警察官の調書を見ても、勝が否認をした形跡は一切うかがえない。初めて否認らしき文言が出てくるのは、四月二十三日付の検察官調書だった。

 

 〈実はここで申し上げたいのは、私は本件をやっていないと言うことです。本当はやっていないのです。警察の調べで私がやったと言い、今までそう言いましたが違います〉

 

 この記述の後、検察官と勝のやりとりが記載されている。

 

 〈問 そうすると、本件の毒ブドウ酒で五人死んだのはどうして起こったのだろうか。

 

 答 悪うございました。私がやったのに間違いありません。やはり本当のことを申し上げます〉

 

 否認に転じた被疑者に対して、「どうして起こったのだろうか」など穏やかで悠長な聞き方を、検察官がしたとは思えない。おそらくもっと厳しいやりとりがあったはずだが、調書の中からそれを読み取ることは難しい。調書を書くのは、被疑者本人ではなく検察事務官や警察官である。後に裁判に証拠として出されることを考えれば、厳しい応酬など、供述の任意性を問われるような表現は控えることになる。本人が言いよどみ、しどろもどろの供述であっても、あたかも自発的にスラスラ語ったような調書が出来上がる。そういう調書であっても、裁判では本人の供述の記録として扱うのだ。

 

 翌二十四日、起訴直前に行われた最後の取り調べの時、勝はようやく全面否認の調書を取ってもらった。だがこの時には、すでに検察官の手元にはうずたかく、勝の自白調書が積まれていた。

 

 名古屋高等裁判所は奥西勝さんの自白は信頼できるとしていますが、そんなことは全然あるまい。これはやはり「被疑者が取り調べの苦痛から逃れようとしたりして、自身に不利な自白をするケース」のひとつではなかったのか。私はそのように愚考いたします。

 

 『名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者』から自白の信憑性にかんするくだりを引いておきましょう。

 

 これまで見てきたように、勝の自白は、あまりに不自然な変転に満ちている。住民たちの供述もめまぐるしく変わっているが、被疑者勝の自白も、大きく揺れた。結果としてその変転は、警察・検察の筋書きに都合のいいように事実を修正する形となっている。また、一連の自白には、客観的事実との食い違いも実に多い。

 

 勝は訴える。

 

 〈私は取調べ中、あまりの事で事実でないので、調べに返事をしないと、人間と人間の話で本当の事だといわれまして、本当の事を言い始めると先の調べて来た事実と合わなく、またうそに戻り、話して来ました〉(勝の手記)

 

 自白には名古屋高裁の主張する「信用性」なんてかけらほどもない。私はそのように愚考いたします。

 

 つづいて状況証拠の問題ですが、名古屋高裁の判断はこんな感じです。

 

 そのほかにも、奥西には妻と愛人を殺害する動機となり得る状況があったこと、犯行を自白する前には明らかに虚偽の供述で亡くなった自分の妻を犯人に仕立て上げようとしていることが認められる。総合すると、奥西が犯行を行ったことは明らかで、状況証拠によって犯人と認定した確定判決の判断は正当だ。

 

 本気か。「妻と愛人を殺害する動機」なんてものがほんとに存在していたのか。自白によれば奥西さんは妻および愛人との三角関係を清算するために毒殺事件を起こしたわけなのですが、そんなことは普通ありえないのではないかしら。

 

 妻子ある男が妻以外の女と情を通じることならざらにあります。そうした関係を清算する必要に迫られる場合だって少なからずあるでしょう。しかしだからといって、妻と愛人をふたりとも殺してしまえばすっきりするじゃん、などと思いついてしまう男がいるものなのか。子供がふたりいる三十五歳の男が(長女のほうは事件の起きた春に小学校入学を控えていたそうですが)、いくら血迷ったとしても妻と愛人もろともに自分が住む集落の主婦全員を鏖殺してしまおうなどというだいそれた発想にいたるものなのかどうか。清算というなら妻か愛人かの二者択一に結論を出せばいいだけの話なのであって、ねちねちと計画を練って大量殺人をくりひろげる必要などまったくなかったのではあるまいか。

 

 三角関係という状況はたしかに存在しており、死亡した五人のなかに奥西さんの妻と愛人が含まれていたのも事実ではありますが、そんな状況がいったい何を証拠だてているというのか。わが身を省みていうならば男というのは結構ずるいものですから、三角関係に波風が立ったとてきのうまでそうであったようにきょうもまただらだらと状況が継続すればそれでよろしく、決定的な清算なんてことはとりあえず先送りにしてしまう。

 

 それに『名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者』には、

 

 ──後に勝の弁護団が、全証拠の中から名張、大和双方の葛尾部落での婚外関係を集めたところ、九人の男性が十三人の女性と関係を持っていた。実に二戸に一人以上が三角関係を持っていたことになる、と弁護団は主張する。

 

 とも書かれており、この弁護団による調査結果が事実をどこまで反映しているのかは不明ながら(こんな立ち入った質問に住民がすらすら答えたはずがないとも思われるのですが)、事件が起きた集落のみならず日本の山村には似たような関係がごろごろしていたものと推測されますから(赤松啓介の著作をご連想ください)、奥西さんの三角関係だってどうということもないごく一般的な光景だったはずであり、そんな関係が殺人によって清算されるという発想はそもそもどこからも湧いてくることがなかったのではないか。

 

 ではここで、当サイトに掲載している亡父の随筆「折々の記」の一節をお読みいただきましょう。

 

 一つの思い出ばなしがある。毒ブドウ酒事件の奥西勝に関してなのだ。

 

 松阪市に永井源という弁護士の長老がいた。長いあいだ県会議員をしていた人である。この人の実家が波瀬(たしかにこう覚えている)にある。ここに古い伊勢新聞が保存されているというので見せてもらいに行くことになった。

 

 ちょうど奥さん同伴で帰郷するというついでの日に連れていってもらう手はずがととのった。

 

 その日、まずお宅へ寄って、そこから自動車に乗せてもらった。波瀬というのは、もう少し行けば国見峠というところで、一時間以上かかったように思う。

 

 当時、毒ブドウ酒事件は第一審公判の過程で、永井弁護士は奥西勝の弁護人として無実を主張している最中であった。私は名張だというので、車の中で奥西がシロであることをいろいろの角度から話してくれた。その中で今でもはっきり覚えているのは次のことばだった。

 

 「奥西はね、君、事件の四、五日まえ松崎町の薬屋でコンドームを買っている。あれほどの事件を計画した男ならね、いまさらコンドームも必要ないじゃないか」

 

 こういう事実も無実の立証資料になったのかどうか知らないが、とにかく一審は無罪になった。

 

 控訴審のときは、たしか永井弁護士は亡くなっていた。もし生存していたら、控訴審はどんな展開をみせていたことだろう。

 

 ここに出てくる薬屋さんは二年か三年ほど前に廃業してしまったのですが、奥西さんが事件の四、五日前、葛尾の集落から名張のまちにバスで赴いてコンドームを購入したのはまぎれもない事実です。『名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者』ではふれられていませんでしたけれど、私には事件関連のほかの書籍に記されているのを読んだ記憶があります(立ち読みだったので引用できませんけれど)。

 

 さてこれはどういうことか。事件数日前というのですから、自白によれば奥西さんはすでに犯行を決意していたことになります。妻と愛人を殺害する計画を胸に秘めていた男が何用あってコンドームを買わなければならなかったのか。むろん第三の女がいたとか、あるいは捜査の手が薬局にまでおよぶことを想定した偽装工作であるとか、そんな可能性もないわけではありません。しかし小説であればともかく、現実の名張毒ぶどう酒事件にそれをあてはめるのはいかさま無理な話でしょう。

 

 ですから結局のところ、名古屋高裁の「状況証拠によって犯人と認定した確定判決の判断は正当だ」という主張には、私はちっともまったく毛筋ほども同意できないというしかありません。

 

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 しっかし、ほんと、こんなことでいいのか。

Posted by 中 相作 - 2012.05.25,Fri

 名張の名を背負ったブログとしては、きょうの話題は、やっぱ、まずこれだろうね。

 

 ▼Google ニュース:名張毒ぶどう酒事件 のニュース検索結果

 

 奥西勝さんの再審請求が、名古屋高裁によって退けられた。

 

 中日新聞のウェブニュースを無断転載。

 

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名張毒ぶどう酒事件の再審開始認めず

 

2012年5月25日 13時20分

 

20120525b.jpg

 

名張毒ぶどう酒事件の再審開始が認められず「不当決定」の幕を掲げる弁護士=25日午前10時1分、名古屋高裁前

 

 名張毒ぶどう酒事件の第7次再審請求差し戻し審で、名古屋高裁刑事二部(下山保男裁判長)は25日午前、弁護側が提出した新証拠は「毒物がニッカリンTではないことを示すほどの証明力はなく、確定判決に合理的な疑いは生じない」として、検察側の異議を認め、奥西勝死刑囚(86)の再審を開始しないと決定した。いったんは再審を開始すると判断した名古屋高裁刑事一部の決定(2005年)を取り消した。

 

 今回の決定により、死刑執行の停止は取り消された。弁護団は決定を不服として5日以内に最高裁に特別抗告する。棄却されれば第8次再審請求も検討するが、奥西死刑囚の年齢面から今回が事実上「最後の再審請求」と位置付けている。事件発生から51年、再審の扉が開かれるのは相当難しくなった。

 

 差し戻し審の争点は毒物が、当初の自白通りニッカリンTか否かだった。高裁はニッカリンTを再製造し、最新機器で鑑定した。

 

 決定は、ニッカリンTなら含まれるはずの副生成物が「エーテル抽出」という工程の後には検出されなかった点を重視した。

 

 弁護側は、エーテル抽出の前段階では、副生成物が検出されたことから「毒物はニッカリンTではなく別の農薬だ。自白が根底から崩れた」と主張していた。しかし、下山裁判長は、飲み残しのぶどう酒から副生成物が出なかったのは、「(水と化学反応する)加水分解の結果、検出されなかった余地がある」とし、検察側の主張通り「毒物がニッカリンTでなかったとまでは言えない」と認めた。

 

 ただ「加水分解した」との理由は、検察側も主張していない。それでも下山裁判長は、当時の鑑定は事件から2日が過ぎ、出るはずの副生成物が加水分解してほとんど残らなかった、と推論した。

 

 奥西死刑囚は逮捕後、全面的に自白を翻したが、下山裁判長は「請求人以外に毒物を混入した者はいないとの判断はいささかも動かず、自白は十分信用できる」と判断した。

 

 刑事裁判の原則「疑わしきは被告人の利益に」が再審にも適用されるべきだとした最高裁「白鳥決定」(1975年)以降、死刑囚の再審が開始されたのは財田川、免田、松山、島田事件の4件。開始決定がいったん取り消された免田事件も含め、いずれも再審で無罪となっている。

 

 第7次再審請求は、05年に名古屋高裁刑事一部が「ニッカリンTを入れたとの自白の信用性に疑問が残る」として再審開始を決定したが、06年に高裁二部が取り消し。最高裁は10年に「毒物の審理が尽くされていない」として、高裁に審理を差し戻した。

 

(中日新聞)

 

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 うーむ。

 

 こりゃやっぱ、不当決定というべきだろうな、とあたいも思う。

 

 2ちゃんねるの声はどうか。

 

 ▼【裁判】名張毒ぶどう酒事件、名古屋高裁が再審開始を取り消し:全部

 

 どうでもいいけど、こんなんがあった。

 

 ▼【裁判】名張毒ぶどう酒事件、名古屋高裁が再審開始を取り消し:368

 

 乱歩は、「毒ぶどう酒」「平井堅」「平家みちよ」と並ぶ「名張三大名物」とのことであるが、これじゃ三大じゃなくて四大だろうがよ。

 

 えーっと、それでまああたいは、名張の人間だからってんで、ごくたまに、よその土地のひとから、この事件のことを尋ねられることがあって、そんなこともあるからってんで、2006年の12月26日、名古屋高裁が前年4月に決定した再審開始を取り消すというわけのわかんない展開になったとき、この事件についていささかを記した。

 

 ▼名張人外境:人外境主人伝言 > 2006年12月下旬

 

 読み返してみると、ほかの話題もごちゃごちゃ混じっていて、あんまり読みやすくないから、関連箇所だけ、以下に引いてみる。

 

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 事件の発生は四十五年前、昭和36年3月28日のことであった。名張市内の葛尾公民館で三奈の会という生活改善クラブの総会が開かれ、女性用に出されたぶどう酒を飲んだ十七人のうち五人が死亡した。ぶどう酒には農薬が混入されていた。死者のなかには奥西さんの妻と愛人が含まれていた。

 

 3月29日。奥西さんは警察の取り調べを受けた。刑事が家にやってきて、参考人調書を取っていった。警察は惨劇の舞台となった総会の出席者全員から事情を聴取しており、この時点で奥西さんに疑いの眼が向けられていたわけではなかった。

 

 3月30日。警察での取り調べがはじまった。むろん任意によるものだが、断れるものではない。警察の車が毎朝奥西さんを迎えに来て、夜遅く自宅に送り届けた。警察は奥西さんと妻および愛人との関係に強い関心を抱いていた。三人の関係は集落内では周知の事実であり、事情聴取の段階で複数の住民がそれを証言していた。しかし奥西さんは当初、愛人との関係を否定していた。捜査本部はそのことに不審を抱いた。

 

 3月31日。奥西さんは犯人かもしれない人物として、集落内のある主婦の名前をあげた。捜査本部は奥西さんへの疑惑をさらに深め、愛人との関係を軸に追及すれば奥西さんを落とせると判断した。

 

 4月1日。捜査本部に三重県警のエースと呼ばれていた警部補が加わった。追及は厳しさを増した。愛人との関係も含め、知っていることを洗いざらい話さなければ家に帰さない。奥西さんは警部補からそういわれた。奥西さんには家に帰らなければならない理由がふたつあった。自宅の精米機に水を入れてすぐ動かせるように準備してあったのだが、そのままにしておくと錆びついてしまう。もうひとつの理由は盗電だった。奥西さんは自宅の電線に細工を施し、電気の使用量をごまかしていた。そろそろ電力会社がメーターの検針にやってくるころだから、その前に細工をもとどおりにしておかなければならない。奥西さんは供述をはじめた。愛人が原因で夫婦仲が悪くなり、口喧嘩が多くなっていたことや、事件直前に公民館で妻がしゃがみ込んで何かしている姿を目撃したことなどを話した。供述を終えて警察の車で自宅に帰ったが、刑事はそのまま家にあがってきて、徹夜で奥西さんを監視した。

 

 4月2日。秘密にされていたはずの前日の供述内容が、毎日新聞にスクープされた。社会面トップに「三重毒酒事件“妻が農薬入れた”/奥西元会長が供述/「やったな」と瞬間思った/シットから無理心中か」との見出しが躍った。奥西さんの妻が愛人を殺して自分も死ぬために、総会でふるまわれるぶどう酒に農薬を混入したとする捜査本部の推定も記されていた。報道合戦に拍車がかかり、奥西さんの家には早朝から記者が詰めかけた。午前8時、奥西さんは警察から来た迎えの車に乗り込んだ。眼の周囲には疲労と苦悩を物語る黒いくまが浮かんでいた。

 

 以上、江川紹子さんの『名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者』(2005年7月、新風舎文庫)にもとづいて奥西勝さんの取り調べ状況を要約しました。江川さんの記述は奥西さんの手記と弁護人への手紙、公判での証言などをもとに再現されたものです。

 

 以下、原文を引用いたしましょう。文中の千鶴子は奥西さんの妻、ユキ子は愛人、辻井は警部補の名前なのですが、登場する人名は奥西勝さん以外いずれも仮名となっております。

 

 「千鶴子が犯人なら、お前も同罪だ。千鶴子が犯罪を犯したのは、お前の女関係のせいだ。お前も責任を取らなくてはならない」

 

 勝は黙ったまま、心の中で辻井の言葉を反芻した。

 

 (そうかもしれない。もし妻がこんなことをやったとすれば、ユキ子に対する嫉妬心だ。その原因を作ったのは自分だ。妻に農薬の置き場所を教えたのも自分だ。どっちみち責任は取らなくちゃならないのかもしれない……)

 

 辻井はさらに勝を揺さぶった。

 

 「お前が犯人は千鶴子だと言うから、部落の人がお前の家に押し掛けている。お前の親父やお袋は、もう自殺すると泣いてるぞ。今、現地から帰った警察官が言ってるんだから、間違いない。お前どう思ってるのか」「早く謝らんと、家族がどうなるかわからんぞ」

 

 繰り返し述べ立てる家族の状況を、勝はすっかり信じ込んだ。

 

 実際、前夜の供述が新聞に報道されて、家族はかなり動揺していた。千鶴子の母は血相変えて、勝を責め立てた。

 

 (自分がやったと言った方が、家族のためになるかもしれない)

 

 ふっとそう思った。

 

 盗電や精米機のことも頭をよぎった。

 

 勝が黙ったままでいると、辻井が部屋を出ていった。もう一人の取り調べ官山川巡査部長と二人で差し向かいになり、取り調べも中断された。勝は、比較的穏やかな山川には相談してもいいかもしれないという気になり、盗電と精米機の話をした。

 

 「こういうわけで、早く調べを終えて帰して下さい」

 

 山川は、盗電の方法について詳しく聞き取った後、六法全書らしい分厚い本をパラパラとめくった。

 

 「お前さん、この事件に関係してなくても、電気工事のことだけで、逮捕できるんだよ」

 

 「ええっ、どういうことですか」

 

 もちろん悪いこととは知っていたが、逮捕されると聞いて、勝はすっかり動揺した。

 

 「これからの調べにちゃんと答えれば電気工事の件と精米機のことは、お前さんが望んでいるようにしてやってもいいが……」

 

 山川はそんなことを呟いてから、「ちょっと待ってて」と部屋を出た。勝が一人、残された。

 

 〈それで私は、一人考えぬいた上、電気工事でタイホされるか、ブドウ酒事件のために取〔調べ〕官の強要する偽った供述をするかに迫られた状態でした〉(勝の弁護士宛て手紙)

 

 彼の記憶では、事件当日、大石松男宅に寄ってブドウ酒を預かった時には猪口寿美子や松男の母カツヨがいた。大石宅を出たところで桜井時子に会ったし、彼女は途中で岩村藤子と合流して勝のすぐ後ろを歩いて、公民館に来た。

 

 勝は部落の人たちの顔を思い浮かべた。

 

 (ここで自分がやったと嘘を言っても、後でみんなが本当のことを話してくれるだろう。そうすれば真実は分かることだ)

 

 辻井と山川が部屋に戻ってきた。

 

 「どうだ。本当のことを話す気になったか」

 

 「はい」

 

 「やったのはお前か」

 

 「そうです」

 

 すぐに調書が取られた。

 

 〈前回、私はまったく嘘を言っておりましたことを先ず最初に心からおわび致します。それでただ今から本当のことを申しますから、これまでのことは一部取り消して欲しいと思います。私は、今回世間を騒がした毒ブドウ酒事件の犯人でありますから、ただ今からそのことについて申します〉

 

 調書の日付は四月二日になっていたが、すでに時計は十二時を回り、三日未明に入っていた。

 

 午前四時に逮捕状が執行された。続いて作成された弁解録取書の時間は四時五分である。

 

 〈私に対して逮捕状に書いてあります犯罪事実の内容を読んで聞かせて貰いましたが、その事実の通り相違ありません。私は妻千鶴子と木田ユキ子の両名を殺すつもりでいたところ、このような大それた結果となってしまったものであります〉

 

 【註】(下)につづく。

Posted by 中 相作 - 2012.05.22,Tue

 続報。

 

 ▼佐賀新聞:武雄市図書館運営委託 「質」保つ根本議論不可欠(2012年5月20日)

 ▼佐賀新聞:武雄市、図書館委託計画で市民に説明会 質問相次ぐ(2012年5月21日)

 ▼YOMIURI ONLINE:武雄市図書館 従来カード併用(2012年5月22日)

 

 5月20日付の佐賀新聞の記事は、2ちゃんねるニュー速+板でこんなあんばい。

 

 ▼【佐賀新聞】武雄市TSUTAYA(ツタヤ)図書館運営委託 「質」保つ根本議論不可欠:全部

 

 このスレで知ったんだけど、武雄市の市長さんはみずからのブログで佐賀新聞の記事に反論を展開しておらっしゃったばい。

 

 ▼武雄市長物語:今朝の佐賀新聞論説に反論(2012年5月20日)

 

 その翌日のエントリ。

 

 ▼武雄市長物語:今朝の佐賀新聞も酷かった(2012年5月21日)

 

 けけけ。

 

 結構おもしれーじゃねーか。

 

 けけけけけけけ。

 

 ついでに、まちBBSも検索してみた。

 

 ▼【温泉】佐賀県武雄市スレ 4【焼き物】:最新レス50

 

 けけけけけけけけけけけのけ。

Posted by 中 相作 - 2012.05.20,Sun

 うーむ。

 

 おとといの朝日新聞、つまり大阪本社発行の5月18日付統合版のことであるが、社会面に「図書館に民の力」という記事が掲載されておった。

 

 記事の最初に出てきたのは、武雄市図書館の話題であった。

 

 先日、このエントリに記した話題だ。

 

 ▼2012年5月12日:武雄市の市長さんのいうことにゃ

 

 武雄市の市長さんが打ち出した破天荒な試みが、それなりに注目を集めているらしい。

 

 ウェブニュースを検索してみると、佐賀新聞でこんな記事が報じられていた。

 

 ▼佐賀新聞:波紋広げる武雄市図書館のツタヤ委託計画(2012年5月15日)

 

 5月12日付エントリには、図書館運営をツタヤに丸投げなんかしたら、「いわゆる無料貸本屋としてのサービスは飛躍的に向上するかもしれんけど、地域独自の資料収集というのは壊滅的に劣化してしまうのではないか」と記したのだが、佐賀新聞の記事でも以下のごとき懸念が報じられている。

 

 一方で「使い勝手はよくなるかもしれないが、図書収集や管理、企画など質の維持向上は…」という懸念もある。

 

 全国の図書館で指定管理者制度を導入して運営委託されているのは8.6%(2010年度)。県内では鹿島市が導入しているが、委託先は市民参加型の任意団体で企業ではない。鳥栖市でも検討されたが実現しなかった。佐賀市は分館の東与賀館をNPOに委託していたが、昨年4月に直営に戻した。(1)司書の専門性確保と図書充実には継続性が必要(2)教育施設は行政が運営すべき(3)本館との連携-が理由だった。

 

 白根恵子佐賀女子短大教授(図書館情報学)は「図書館は貸し出しだけでなく調査や相談機能も重要。職員には経験と専門性が必要で、経費節減が一つの目的の指定管理者では勤務態勢が短時間のシフト制になりがち」と指摘、運営の質低下を危惧する。

 

 おとといの朝日新聞では、図書館運営の民間委託をめぐる動きについて、こんなことが記されておった。

 

 脱自治体の動きはどこまで広がるのか。指定管理者として156館を運営する図書館流通センターの石井昭会長は役所の運営はコスト面で無駄があっただけでなく、図書館が町づくりの魅力的なインフラになるとの認識がなかったと指摘する。「顧客サービスは民間の得意とするところ。委託図書館は、今後も増え続ける」

 

 それが時代の趨勢というものであろう、とは思う。

 

 しかし、懸念は消えない。

 

 図書館運営の質にまつわる懸念だ。

 

 おとといの朝日には、こんなことも書かれてあった。

 

 大手書店「丸善」に市内全3館の運営を委託している大阪府大東市。市担当者は「開館時間延長などサービスも向上し、コストも約半分に圧縮できた」と強調する。市立中央図書館の場合、直営時の年間費用約7500万円が約3500万円にまで減った。

 だが、コスト削減と開館時間延長のための増員という相反する目的を達成するため、フルタイムとパートの司書ら計47人は1年契約が基本で、ボーナスはなし。ある司書は「昇給は難しく、将来を描けない。この給料で経験が長い司書を集めるのは難しい」。

 

 大阪市は、こんな判断を示しているという。

 

 削減できるところは限られているとするのが大阪市。06年度からの図書館改革で民間委託を検討したが、貸し出し返却などの窓口業務に絞ることにした。担当者は「サービスの質を維持するため、司書業務は行政が担うべきだ」。

 

 専門家の意見は。

 

 日本図書館協会の松岡要事務局長は、長年勤続する司書でなければ、その図書館で本当に必要な書籍は何かを判断することはできないという。「コスト削減や入館者数ばかりを意識するだけでは、調査研究をはじめとする文化的機能が減退してしまう」と警鐘を鳴らす。

 

 最後に以下のごときコメントを掲載して、朝日の記事は終わっている。

 

 糸賀雅児・慶応大学教授(図書館情報学)の話 コスト削減の名の下に指定管理者制度を導入してから10年ほどたつが、依然として「貸出冊数」などの数字が評価される傾向にある。しかし重要なのは、地域の歴史や各種課題の資料を集め、次代に残すという図書館本来の目的が果たされているかという点。民間委託がいいか、自治体直営がいいかという議論の前に、問われるべきは、首長が図書館のあり方を中長期的に考えているかどうかだ。

 

 うーむ。

 

 「図書館本来の目的」は、「地域の歴史や各種課題の資料を集め、次代に残す」ことである、とのことだ。

 

 「地域の歴史や各種課題の資料」とは、どういう資料のことだろう。

 

 名張市立図書館にあてはめて考えてみると、まず、名張に関連するいわゆる郷土資料があげられる。

 

 まさしく地域の歴史に関係する資料だ。

 

 図書館法の第三条は、「図書館は、図書館奉仕のため、土地の事情及び一般公衆の希望に沿い、更に学校教育を援助し、及び家庭教育の向上に資することとなるように留意し、おおむね次に掲げる事項の実施に努めなければならない」として、第一項を次のとおり定めている。

 

1.郷土資料、地方行政資料、美術品、レコード及びフィルムの収集にも十分留意して、図書、記録、視聴覚教育の資料その他必要な資料(電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によつては認識することができない方式で作られた記録をいう。)を含む。以下「図書館資料」という。)を収集し、一般公衆の利用に供すること。

 

 な。

 

 郷土資料は、いの一番に来ている。

 

 では、各種課題の資料、というのはどうか。

 

 名張市立図書館が、みずから課題として設定した資料、みたいなことになるだろう。

 

 郷土資料のように地域の図書館としてぜひとも集めなければならない、というわけではないけれど、その図書館がなんらかの理由や根拠にもとづいて独自に集める資料、みたいな感じかしら。

 

 つまり、名張市立図書館の場合、乱歩関連資料は各種課題の資料のひとつだ、ということになる。

 

 さてそれで、いったい、どうか。

 

 いやはや、やれやれ、れれれのれー。

 

 うーむ。

Posted by 中 相作 - 2012.05.14,Mon

 先日のつづき。

 

 母さん、名張市民の五億五千四百万円、どうなるでせうね? のつづき。

 

 わけわかんないから、もう、どうでもいいや、という気にもなるけど、ほんと、母さんは大変だよね。

 

 爪に火をともすようにして、日々のやりくりに苦労してるのに、ある日突然、びっくりするような金額の請求書が届いた、みたいな感じだもんね。

 

 子供の勉強に必要なものを買うこともできず、すっかりおとなりさんのお世話になってしまったというのに、どうにもわけのわかんないことで五億五千四百万円、おらおらおらおら出せよおら、みたいなことで取り立て屋さんがやってきたりしたら、母さん、もうなにもかもぶちこわしだよね。

 

 それにしても、がんがん来るね。

 

 はんぱねーなまったく。

 

 さすが、といえば、さすが、である。

 

 名張市民の反応はどうか、と例の掲示板をのぞいてみる。

 

 ▼○名張市について書き込んでみましょうPART13○:最新レス50

 

 おかしいな。

 

 削除屋さん、まーた手抜きかよ。

 

 BathyScapheから、転載しといてやろ。

 

331 名前: 東海子  Mail:  投稿日: 2012/05/06(日) 20:17:17  ID: nZqTQV4g 

>>327

上野から名張を通って奥津へ。

奥津行きの時間待ちに赤目観光してた。

 

332 名前:   Mail:  

 

 

333 名前: 東海子  Mail: sage 投稿日: 2012/05/11(金) 01:01:02  ID: F+7afC0w 

名張市また訴えられてるなぁ

また負けるんやろか・・・。

 

334 名前: 東海子  Mail:  投稿日: 2012/05/12(土) 16:42:53  ID: +dF4BfBA 

近大高専野球部優勝おめでとう!

 

335 名前: 東海子  Mail:  投稿日: 2012/05/13(日) 23:30:58  ID: 5rGt+1sg 

家にあった新聞よんだけど、裁判にまた負けて個人に合計17億も払うなんてあり得ないよ。

 

336 名前: 東海子  Mail: sage 投稿日: 2012/05/14(月) 00:40:32  ID: GsTN9PDA 

むちゃくちゃだな…

税金の無駄遣いにも程がある

市はどう責任をとるのか

 

337 名前: 東海子  Mail:  投稿日: 2012/05/14(月) 05:39:38  ID: GtbloYUQ 

財政赤字を改善する見込みになった事を評価してたんだが、がっかりだね。11億払うのは裁判で負けて確定なんだってね。

 

338 名前: 東海子  Mail: sage 投稿日: 2012/05/14(月) 16:01:41  ID: rUTw+NvA 

で、その身内は市の職員w

 

 現在のところ、レス番332が削除されたあと、削除はゼロ。

 

 しかし、333から338までのレスは、334以外すべて、削除対象だろうと思う。

 

 がんばれ、削除屋さん。

 

 いやまあ、そんなことはどうでもいいんだけど、おとといのエントリに記そうと思いながら、ついつい忘れてしまったことを記しておくと、乱歩のおじいさんの最初の奥さんが「殿息女」だったのかどうか、という一件。

 

 最初の奥さんは、藤堂高允(たかのり)の息女なんだけど、高允は殿さまではなかった。

 

 高允の兄、高兌(たかさわ)は殿さま、つまり津藩の第十代藩主だったから、なんらかの理由で高允の娘がいったん高兌の養女となり、それから乱歩のおじいさんに嫁いだとしたら、おじいさんは殿の息女を娶った、ということになる。

 

 しかし、たぶんそんなことはなくて、主君筋から迎えたことを「殿息女」と表現したのではないか、というのが、とりあえずの結論、というのが、先日のつづきであって、これでこの話題はおしまいである。

Posted by 中 相作 - 2012.05.12,Sat

 先日のつづき。

 

 ほんと、わーけわかんねーよ、のつづき。

 

 なにがわかんないのか、というと、これ。

 

20120507a.jpg

 

 江戸時代に名張の地を領した名張藤堂家というのがあって、その陣屋跡は名張藤堂家邸跡として一般公開されている。

 

 その名張藤堂家で家老を務めた鎌田将監というひとがいて、そのひとの家に残されていた文書のたぐいが、どういう経緯や経路をたどったのかはわかんないけど、古書市場に流通した。

 

 で、その文書類を一括して伊賀文化産業協会が購入し、それにもとづいて『名張藤堂宮内家家老 鎌田将監家文書』をまとめた、ということなんやけど、いったいどうして、こんなことになってんの?

 

 名張藤堂家にかかわりのある文書なんだから、ふつうに考えれば、名張市が入手すべきやがな。

 

 名張藤堂家の関連文書、ゆうことは、いわゆる郷土資料やがな。

 

 郷土資料は、図書館の守備範囲やがな。

 

 市史編さん室の守備範囲でもあるけど、ま、大きな流れでいえば、図書館の守備範囲だ、ということにして話を進めると、名張市立図書館は館内に立派な郷土資料室を開設しておるくらいで、郷土資料の収集に力を入れておるはずやったがな。

 

 それやったら、この鎌田将監家文書は、名張市立図書館が郷土資料として収集し、活用するのが筋ゆうもんやがな。

 

 だというのに、どうして、それをせんのか。

 

 少し以前には、名張市立図書館だって、最低限のことはできていたはずではないか。

 

 乱歩にかんしては、終始一貫、からっきし、全然、まったくあれではあったけど、少なくともいわゆる郷土資料にかんしては、そこそこのことはできておったはずではないか。

 

 名張藤堂家の関連資料、ということでいえば、ちょっと本棚を探ってみたところ、こんな本が出てきた。

 

20120512a.jpg

 

 A5判、二百二十四ページ、発行は1986年3月で、編集は名張古文書研究会、発行は名張市立図書館、とある。

 

 だから、本来であれば、この『名張市史料集 第二輯 名張藤堂家文書』みたいな感じで、それにしても、集じゃなくて輯、ってのが、なかなかマニアックでいいと思うんだけど、とにかくこんな感じで、名張市立図書館が貴重な郷土資料である鎌田将監家文書を購入し、管理し、のみならず、解読し、整理し、体系化したうえで、だれでも読める印刷物として発行する、みたいな一連の作業が、当然、実現されておってしかるべきであった。

 

 伊賀文化産業協会の『名張藤堂宮内家家老 鎌田将監家文書』巻頭の「はじめに」によれば、名張藤堂家と丹羽家、つまり名張藤堂家の初代、高吉の実家が丹羽家だったんだけど、その丹羽家と名張藤堂家が幕末になってもなお浅からぬかかわりをもっていたことを示す書状があったり、さらにはいわゆる享保騒動、つまり享保年間に名張藤堂家第五代、長熙(ながひろ)が大名として独立することを水面下で画策し、それが露見して家臣三人が切腹、長熙も引退を余儀なくされたお家騒動に関連する文書もあるとのことで、そりゃもう名張市が入手しておくべき古文書であることはまちがいないんだけど、名張市はいったい、なにやってたんだろうね。

 

 てゆーか、どうして、なにもせんのやろうね。

 

 乱歩の関連資料より、名張藤堂家の関連資料のほうが、名張市にとって重要なんだけど、どうして、なにもしようとせんのやろうね。

 

 どうもようわからんけど、とにかく、名張市は、ほんと、だめになった。

 

 もともとだめではあったんだけど、輪をかけてだめになった。

 

 もともとだめだった、というのは、少なくとも乱歩にかんしては火をみるよりも明らかなことなんやけど、郷土資料にかんしては、いったいどうだったのか、というと、じつは先日、ひと月あまり前のこと、なんか知らんがお酒の席があいついだころのある日、伊賀市内某所の割烹で、名張市立図書館が開設された当時のことをご存じのかたがたとお酒をごいっしょする機会があって、いろいろ話が出たのだが、優秀な有識者の手助けがあったから、名張市立図書館はあれだけ立派な郷土資料室を館内に開設することができたのだ、とうけたまわった。

 

 つまり、最初からだめではあったんだけど、有能な市民が郷土資料関連の図書館活動をフォローしていたから、そこそこのことはできていた。

 

 しかし、そういうことがなくなったから、もともとだめ、という地金が出てしまった、ということらしい。

 

 それにしても、ほんと、ひどい話である。

 

 『名張藤堂宮内家家老 鎌田将監家文書』には六百五十二点もの文書が収録されているんだけど、「はじめに」にはこうある。

 

大変貴重な資料ですので出版も考えましたが予算などの都合で私製本十冊のみの制作として三重県立図書館、伊賀市上野図書館、名張市図書館と三重県史編さん室、伊賀市、名張市の市史編さん室に寄贈することとしましたので図書館等でご活用をお願いいたします。

 

 本来ならちゃんとした書籍のかたちで出版するべき貴重な資料ではあるけれど、予算その他の関係でそれができないから、とりあえず十冊、百三十二ページの冊子として発行し、関係先に寄贈した、ということなわけであるのだが、しかし、じつはこれみんな、わざわざ指摘するまでもなく、名張市がやるべきことなのである。

 

 名張の歴史を知るための貴重な資料なんだから、名張市が入手するのは当然のことで、しかも、入手してただ死蔵するだけでなく、解読し、整理し、体系化し、たとえ冊子のかたちでもいいから、だれもが気軽に読めるようにすることを考えなければならない。

 

 資料の収集ってのは、そういうことなの。

 

 いつもいつもゆうとるとおり、収集は活用とワンセットなの。

 

 そういうことが、名張市役所のみなさんには、まったくわかっとらんみたいやね。

 

 わかっとります、とは、口が裂けてもいえぬであろう。

 

 わかっとったら、ここまでわけのわからんことが、現実に起きとるわけがないがな。

 

 名張藤堂家の関連文書の収集と活用を、名張市ではなく、伊賀文化産業協会にみーんなやってもらいました、というのは、いったいどういうことか、というと、たとえていえば、わが家の子供をとなりの家で大きくしてもらった、一人前にしてもらった、みたいなことである。

 

 名張市にとっての貴重な資料を、おとなりの伊賀市にまるっと面倒みてもらった、ということである。

 

 ほんと、なんでこんなことになってんだ?

 

 わーけわかんねーよ。

 

 しかし、まあ、こういったあたりが、名張市のレベルだ、ということなのであろうな。

 

 予算がどうのこうの、という問題もあるのかもしれんけど、これは要するに、見識の問題ということになる。

 

 いわゆる有識者の手助けがなくなったせいで、地域の公共図書館として郷土資料を収集するために必要な見識というやつが、きれいさっぱりなくなってしまった、ということだ。

 

 もう少し、しっかりしてもらえんものか。

 

 無理かもしれんな。

 

 無理か。

 

 有識者のフォローがなくなって、おそまつな地金がむき出しになった、というだけでもえらいことなのに、図書館の質というやつが、おそらく全国的に劣化しつつあるみたいだからな。

 

 こんな話も出てるくらいだ。

 

 ▼YOMIURI ONLINE:市図書館、ツタヤが運営…年中無休でカフェも(2012年5月5日)

 

 なんかもう、無茶苦茶である。

 

 検索してみたら、2ちゃんねるニュー速板では、こんなことで話題になっとる。

 

 ▼【社会】図書館問題で武雄市長がセキュリティ研究者に公開討論に誘うが断られ「卑怯だ」と怒り圧力をかける ★2:全部

 

 武雄市の市長さんって、かなり香ばしいひとみたいだけど、そんなことはべつにしても、公共図書館をツタヤが運営する、ということには、ちょっと考えただけでも、とにかく問題ありまくり、みたいな感じがする。

 

 ありまくりな問題のひとつは、まったく問題にされてないことだけど、もしもツタヤに丸投げなんて事態になったら、いわゆる無料貸本屋としてのサービスは飛躍的に向上するかもしれんけど、地域独自の資料収集というのは壊滅的に劣化してしまうのではないか、ということだ。

 

 それでなくたって日本全国津々浦々、公立図書館はコストカットを目的とした民間委託の大波にのみこまれて、いまやいろいろえらいことになってるわけなんだけど、それが致命的なとこまで行ってしまうという気がする。

 

 吉村昭『わたしの流儀』(新潮文庫)に収録の「図書館」から。

 

 小説の資料収集に地方都市へ行くと、私は必ず図書館に足をむける。その都市の文化度は、図書館にそのままあらわれている。

 図書館に関することは自治体の選挙の票につながらぬらしく、ないがしろにされている市もある。それとは対照的に充実した図書館に入ると、その都市の為政者や市民に深い敬意をいだく。

 図書館は、市役所の機構の一部門となっていて、そのため新任の館長の前の職場が土木部であったり通商部であったりする。

 そうしたことから、館長がすぐれた読書家とはかぎらない。図書館経営の長であるのだからそれでもよいではないかという意見もあるだろうが、やはり館長は書物について深い愛情と造詣を持っている人でなければおかしい。

 図書館には、生き字引のような人がいる。私が求めているものを口にすると、間髪を入れずそれに関する書物を出してきて並べてくれる。このような時には、この図書館に来てよかった、と幸せな気分になる。

 

 図書館というのは、一般的な書籍や雑誌を閲覧に供することのほかに、その土地にかかわりのある資料を収集し、必要としているひとに提供する役目、吉村さんの文章にある「間髪を入れずそれに関する書物を出してきて並べてくれる」ような役目も期待されている、というよりは任務として背負ってるわけなんだけど、これからの世の中、そういう役目や任務は加速度的に衰えてゆくのであろうな、というか、すでに急速に衰えつつある、といっていいだろうね。

 

 なにしろ、地元の図書館が名張藤堂家の関連文書を収集せず、おとなりの自治体にある公益財団法人に入手から活用までまとめて面倒みていただいた、というんだからね。

 

 ほんと、わっけわっかんねーよ実際。

 

 しかし、わけがわかんないといえば、 母さん、名張市民の八億六千万円、であったか、八億九千五百万円、であったか、九億八千万円、ということになるのであったか、とにかく、どうしたでせうね? という問題で、さらにわけのわかんない展開があったみたいだね。

 

 ▼朝日新聞デジタル:「計画変更で損害」牛舎経営者が市提訴(2012年5月9日)

 ▼MSN産経ニュース:牛舎移転先の土地 指定解除されず損害 名張の男性、市を提訴 三重(2012年5月9日)

 ▼毎日jp:損賠訴訟:斎場建設変更で「損害」 牛舎経営者、名張市を賠償提訴--地裁伊賀支部 /三重(2012年5月9日)

 ▼伊勢新聞:名張市斎場問題 5億5400万円賠償請求 市に、牛舎経営の男性(2012年5月9日)

 

 母さん、名張市民の五億五千四百万円、どうなるでせうね?

Posted by 中 相作 - 2012.05.07,Mon

 連休が明けた。

 

 しばらく忘れとったけど、あの一件はどうなったのであろうか、と思って、まちBBSの名張市スレをのぞいてみると、削除の嵐は完全におさまっておった。

 

 ▼○名張市について書き込んでみましょうPART13○:最新レス50

 

 先月30日を最後に、一件の削除もおこなわれていない。

 

 このスレッド、震災がれきの県内受け入れ問題で、一時は結構盛りあがっとったんやけど、結局のところ、削除屋さん、大勝利。

 

 ならば、2ちゃんねるはどうよ。

 

 ざっと検索してみたら、鬼女板にこんなスレがあった程度だ。

 

 ▼【断固】三重がれき受け入れ反対の奥様【阻止】:最新50

 

 念のため、鬼女板のスレタイを「がれき」で検索したら、こんなのもひっかかってきた。

 

 ▼【断固】愛知がれき受け入れに反対の奥様【阻止】:最新50

 ▼■放射能がれき処理で、故郷を売る市長・知事■:最新50

 

 盛りあがっとらんな。

 

 名張市内でも、あたいの知るかぎりでは、まったく盛りあがってない。

 

 それはまあ、名張市内にはそもそも、がれきを処理する施設がないから、あたかも対岸の火事のごとし、ということなのかもしれん。

 

 しかし、おとなりの伊賀市には施設があって、そういえば、伊賀市の市長さんが無茶苦茶なことをおっしゃっておったではないか、と思ってアクセスしてみたら、すでにリンク切れとなっておった。

 

 ▼朝日新聞デジタル:県「市町と一体で」 指針策定の動き加速(2012年4月21日)

 

 しゃーないから、キャッシュでどうぞ。

 

 ▼Google:県「市町と一体で」 指針策定の動き加速(2012年5月3日)

 

 な。

 

 先日もあきれ返りつつ指摘したけど、伊賀市の市長はん、こんなこといわはったんえ。

 

 焼却灰の民間のリサイクル業者がある伊賀市の内保博仁市長は「業者の取り扱う灰が減っている」と明かし、「国と県がお願いするというのなら、期待する」と話した。

 

 なんか、ちょっと、まずくね?

 

 震災がれきを受け入れるかどうか、という重要な問題にかんしてコメントするのであれば、安全性がどうのこうの、みたいなことをとりあえずあれするのがなになのであって、こんちこれまた手前どもではリサイクル業者がちょいと困っておりまして、とかいきなり業者の都合をもちだしたりするのは、相当まずくね? と思う。

 

 なんか、伊賀市の隣接自治体である名張市の市民としては、大丈夫かおい、という気がしないでもない。

 

 今年の11月には伊賀市長選挙があるんだけど、どうなるのであろうな。

 

 伊賀市といえば、とはいえ、おなじ伊賀でも話はころっと変わってしまうのだが、伊賀つながりで話を進めると、伊賀文化産業協会が『名張藤堂宮内家家老 鎌田将監家文書』をまとめた。

 

 これだ。

 

20120507a.jpg

 

 A4判、百三十二ページで、奥付発行日は3月20日。

 

 伊賀文化産業協会は、伊賀市の上野公園にそびえ立つ上野城を管理運営する公益財団法人で、じつはあたい、十日ほど前、津藩の藩士だった乱歩のご先祖さまのことでいろいろ教えていただくべく、上野城に登城した次第である。

 

 登城した、なんていうと、なんか武士みたいで、かっこいいと思う。

 

 津藩で使用されていた役職名ひとつとっても、なんだか意味不明、みたいなことが少なからずあるんだけど、さっぱりわかんなかったのは、乱歩のおじいさんの最初の奥さんのお父さんのことだ。

 

 乱歩は「父母のこと」という随筆に、乱歩のおじいさんの最初の奥さんは「殿様の息女」であったと記している。

 

 つまり、乱歩のおじいさんは、主君の娘を妻に迎えた、ということになる。

 

 乱歩のおじいさんが仕えたのは、津藩第十一代藩主、藤堂高猷(たかゆき)だ。

 

 高猷といえば、慶応4年1月の鳥羽伏見の戦いにおいて、幕府軍から突如として新政府軍に鞍替えし、「寝返りの藤堂」の名をほしいままにしたお殿さまであったのだが、乱歩のおじいさんより三歳年下だから、そのお姫さまが乱歩のおじいさんの奥さんになった、というのは、むろんありえない話ではないけれど、ちょっと考えにくいことなのではないか。

 

 そもそも、乱歩が「殿様の息女」と書いた根拠はなにか、というと、乱歩の家の家系図であって、そこにはたしかに、乱歩のおじいさんの後妻、つまり乱歩のおばあさんだった和佐という女性にかんして、「和佐ハ殿息女タリシ先室ニ遠慮シ『妾』ト称ス」と書かれている。

 

 すなわち、乱歩のおばあさんは正式な奥さんだったんだけど、先妻が「殿息女」だったことに遠慮して、おめかけさんということになっていた、ということだ。

 

 家系図にはもちろん、先妻のことも記されていて、「高允公御女」とある。

 

 高允(たかのり)というのは、第十代藩主だった高兌(たかさわ)の弟で、乱歩が仕えた高猷の叔父にあたる人物だ。

 

 だから、お殿さまではない。

 

 お殿さまではない人物のお嬢さんが、どうして「殿息女」なのか。

 

 なんとも不可思議である。

 

 ご参考までに、ウィキペディアの「藤堂家」から家系図の一部を転載しておく。

 

20120507b.jpg

 

 なんかもう、わけわかんね、というしかないので、上野城に登城して、いろいろご教示を仰いだ次第であった。

 

 そのとき、3月に出された『名張藤堂宮内家家老 鎌田将監家文書』という本のことも教えていただいた。

 

 本、というより、ありていにいえば、分厚い冊子である。

 

 いったいどんな内容か。

 

 巻頭の「はじめに」によれば、2009年12月、さる古物商から伊賀文化産業協会にたいし、名張藤堂家の家老、鎌田将監家の文書類がたくさんあるから購入してほしい、との依頼があった。

 

 協会が現物を確認したところ、貴重な文書がたくさんあったので、購入することになった。

 

 購入したうえで、文書を解読し、整理し、体系化し、印刷物として世に出したのが、この『名張藤堂宮内家家老 鎌田将監家文書』である、とのことである。

 

 これもまた、なんかもう、わけわかんね、という話だよね。

 

 なぜか、というと、名張藤堂家の関連資料だというのであれば、名張市が入手して管理し、適切に活用するのが本来だからである。

 

 なんなんだろうな。

 

 名張市はいったい、なにをやっとるのであろうな。

 

 ほんと、わーけわかんねーよ。

 

 つづく。

Posted by 中 相作 - 2012.05.06,Sun

 大型連休ももう終わりやけど、きょうのお天気はいったいなんなんだろうね。

 

 肌寒くて、風、雨、雷。

 

 きょうがきのうのつづきだとは、とても思えないようなお天気である。

 

 それで、きのうのきのうのきのう、5月3日に大阪でお酒を飲んだとき、乱歩の定義の話になりましてな、という話。

 

 乱歩は、探偵小説を定義するにあたって、本来であれば謎と書くべきところ、うっかり秘密と書いてしまいましてな、という話である。

 

 乱歩の定義には、どう考えたって不用意というしかない謎と秘密との混同があって、そこに乱歩の作家的本質がはしなくも露呈しているわけなんだけど、とあたいには思われるんだけど、そうしたうっかりにもとづく誤謬がまったく無批判に受け容れられて現在にいたっている、みたいな光景こそが、日本人には本格探偵小説なんて向いてないんじゃね? という乱歩の認識をなによりも雄弁に実証しているのではないか、みたいな話をしたわけね。

 

 でもって、けさ、犬と散歩しながら、ふと思ったのは、これが乱歩の釣りだったら死ぬほど面白いな、ということであった。

 

 いわゆる、壮大な釣り、ゆうやつやね。

 

 つまり、乱歩はわざと混同した、と考えてみるわけ。

 

 ほんとは謎なんだけど、釣りの仕掛けとして、あえて秘密ということばをつかった定義を発表し、あとは知らん顔をしていた。

 

 それで、いやいや、いやいやいやいや、おおそれながら乱歩先生、ここは秘密じゃなくてやっぱ謎でしょうが、と指摘する人間が現れてくるのを待ってたんだけど、いつまでたっても出てこない。

 

 それはまあ、乱歩の定義に異を唱える、なんてことは、当時の探偵小説関係者にはとてもできない相談だった、ということもあっただろうけど、それ以前に、乱歩の定義を吟味してみよう、という人間なんてひとりもいなかったのではないか、というか、乱歩の定義を検証してみる、みたいなことはとても失礼で、してはいけないことである、といったふうなあたりが探偵小説関係者の一般的な感覚だったのであろうと思われる。

 

 そういうのって、いうまでもなく、論理や合理からはほど遠い感覚であって、換言すれば、本格探偵小説には向かない心性、ということになると思う。

 

 だから、壮大な釣りを仕掛けた乱歩は、いつかだれかが指摘するだろう、と思っていた謎と秘密との混同が、いつまで待ってもだれにも気づかれず、それどころか、こっそりと釣り針を仕掛けた定義がそのまま金科玉条として拳々服膺されているのをまのあたりにして、やっぱりな、日本人ってのはな、ほんと、論理からも合理からも遠く隔たった民族なんだよな、そんなことだから本格探偵小説の面白さが理解できねーんだよ、ばーか、生の魚でも食ってろ、とか思っていた、みたいなことがあったんだったら、なんかもう死ぬほど面白いな、とか犬と散歩しながら思ったんだけど、そんなことあるわけないよね。

 

 ただまあ、敗戦直後には本格探偵小説至上主義を高らかに宣言してはいたものの、それは一時の気の迷いというやつで、たとえば昭和28年には、乱歩は「探偵小説あれこれ」という座談会で、「理屈や筋で読むのが日本では少いのだ。本格ものは発展しないよ」と述べているありさまであって、無理無理無理無理、とても無理、本格にはほんとに向かない民族なのね、というのが乱歩の日本人観であったことはまちがいない。

 

 ついでにいっとくと、先日も記したとおり、乱歩の定義にかんするあたいの難癖は、しごくまっとうで、それこそ論理や合理にしっかり裏打ちされたものであると自負もしているわけなんやけど、どうもミステリファンの心に響かない指摘であるらしく、それはなぜか、と思案をめぐらせてみた結果、はっはーん、と思いあたったのは、あたいの指摘を正当なものと認めてしまう、ということは、取りも直さず、自分がうかつな読み手であった、ということを認めてしまう、ということになるんだから、とてもすんなりとは受け容れがたいということなのかもしれないね、ということであって、けさ、大型連休最終日の朝、犬と散歩しながら、あたいはそんな結論にたどりついたのであった。

 

 ま、そのあたりのことはどうだっていいんだけど、そういえば、日本人は生の魚でも食ってろ、でおなじみのミック・ジャガーさんのこんなウェブニュース、あたいは感慨深く読んだんだけど、ご存じだった?

 

 ▼朝日新聞デジタル:ミック・ジャガー、米人気コメディー番組の司会に(2012年5月4日)

 

 いやー、あのミックも、もう六十八歳か。

 

 といったところで思い出したんだけど、おととい放映された沢田研二さんのライブ、ビートルズではじまって、ストーンズでおしまい、というあの構成には、いったいどういう意図があったんだろうね。

 

 ▼NHKネットクラブ:沢田研二LIVE2011~2012 ツアー・ファイナル 日本武道館

 

 もしかしたら、無理無理無理無理、とても無理、ロックには向かない民族なんだから、日本人は歌謡曲でも聴いてろよ、みたいな?

 

 ところで、おとといのジュリーの番組、さっそくYouTubeにアップされとったので、とりあえず、「シーサイド・バウンド」をばどうぞ。

 

 ▼YouTube:沢田研二LIVE 2011~2012 ツアー・ファイナル 日本武道館 11

 

 な。

 

 感涙もののステップじゃろうが。

Posted by 中 相作 - 2012.05.05,Sat

 ゴールデンウィークだからといって、とくにどこかへ出かけるでもなく、家のなかでただごろごろしてるだけ、というような明け暮れは、嫌いではない。

 

 とはいうものの、どうしても出かけなければならない用事、というのも当然あって、きのうは親戚筋の法事からその流れで酒席へ、みたいなことにあいなった。

 

 昼間っから酔っ払って、夜、ぼーっとしてたら、ジュリーがテレビに出るらしい、ということがわかって、迷わず視聴した。

 

 いま調べたところ、番組的にはこんなんであった。

 

 ▼NHKネットクラブ:沢田研二LIVE2011~2012 ツアー・ファイナル 日本武道館

 

 酔っ払って、ぼーっとみておっただけやけど、「シーサイド・バウンド」の間奏で、ジュリーをまんなかにメンバー三人、往年と変わらぬ、ということはないやろうけど、軽やかそうにステップを踏んでいたシーンなど、まさしく感涙ものであった。

 

 それにしても、ジュリーはとても恰幅がよくなっていて、じつは、ちょっと、びっくりした。

 

 なんか、市村正親さんと京極夏彦さんを足して二で割った感じ、とかゆうてしまうと、あちらこちらからお叱りをいただくかもしれんのやけど、しかしあたいは、ジュリーは相変わらず、面白くてかっこいいな、と思った。

 

 きのうの午後9時からは、こんな番組もあった。

 

 ▼日本テレビ:金曜ロードSHOW! > K-20 怪人二十面相・伝

 

 来週はナウシカらしい。

 

 ▼日本テレビ:金曜ロードSHOW! > 風の谷のナウシカ

 

 3・11以降の眼でみると、ナウシカはどんな感じに映るのであろうな、とか思いつつ、3・11といえば、あるいは、ジュリーといえば、きのうはこんなウェブニュースもあった。

 

 ▼朝日新聞デジタル:言おうよ、言いたいこと タブーと向き合う2人に聞く(2012年5月4日)

 

 朝日新聞のデジタルへの移行は無残な結果にいたりつつある、とも仄聞するんだけど、この記事、お金を出さないとフルテキストを読めない仕組みになっておる。

 

 しかし、検索してみると、なかにゃこんなプログもあるわけ。

 

 ▼どこへ行く、日本。(政治に無関心な国民は愚かな政治家に支配される):言いたいこと言おうぜ 憲法記念日 沢田研二さん、山本太郎さんに聞く(2012年5月4日)

 

 こういうことになるんだから、デジタル移行が無残な結果になるのも無理からぬところか、とも思うけど、とにかくこの記事には、「アイドル時代、『表現の自由』はなかった。『華麗なジュリー、セクシーなジュリーに似合わないことは、言えなかった』」とある。

 

 しかし、沢田研二さんは昔から社会事象への関心を隠そうとしないことがときにあって、色川大吉さんもある著作で、アイドル時代のジュリーが芸能雑誌のインタビューで学生運動への共感を表明しているのを読んで驚き、いたく感心した、みたいなことをお書きであったと記憶する。

 

 しかし、ジュリーももう、六十三歳なわけなのな。

 

 そういえば、ゴールデンウィークだからといって、とくにどこかへ出かけるでもなく、家のなかでただただごろごろして、本を読んだり、昼寝したり、犬と遊んだり、というような明け暮れこそがまことに望ましいのではあるけれど、やはり用事というものはあるものであって、おとといは、大阪で開かれたきわめてささやかな酒宴に足を運んだ。

 

 ごく少数だった出席者はほぼ同世代だから、未来を明るく語る、なんてことはまったくなくて、なんかもう、昔話ばっかなわけね。

 

 バーン・ガニアのスリーパーホールド、みたいな話題がいきなり出てきて、そういえばそんなプロレスラーがいた、と思い出し、いま検索してみるとこんなのがあった。

 

 ▼YouTube:ミネソタの猛虎バーン・ガニア

 

 そんな話のなかに、往年のグループサウンズのメンバーが、なんかばたばた死んでるよね、みたいなのもあったんだけど、そういった流れのなかであらためて、そうか、ジュリーももう六十三なのか、とぞ思う。

 

 さらにまた、そんな話のなかに、先日記した乱歩の定義のことも出てきたんだけど、つづきはあしたということに。

 

 じゃ、最後に、「シーサイド・バウンド」をどうぞ。

 

 

 きょうはもう立夏で、いつのまにか若葉の季節だ。

 

 では、YouTubeで「花の首飾り」でも検索すっか。

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