Nabari Ningaikyo Blog
Posted by 中 相作 - 2010.12.14,Tue
さすが年末、どうにも気ぜわしくっていけませんが、慌ただしさのなか一気に読んでしまいました。雫石鉄也さんのブログ記事のことです。雫石さんとは先日、横溝正史生誕地碑建立六周年記念イベントの講演会でほぼ三十年ぶりに再会。講演会のことはブログでご紹介いただきました。
▼雫石鉄也のとつぜんブログ:横溝正史生誕地碑建立6周年記念イベント(2010年11月23日)
このブログには「とつぜんリストラ風雪記」というカテゴリがあって、「小生は2002年11月に前の会社をリストラされ、2006年5月に今の会社に正社員として採用された。この4年間、2度持病の胃潰瘍を悪化させ、胃から出血、入院した。この間5社を渡り歩いた。いずれも時給800円程度の見習、派遣、契約。少々の退職金はあるものの、未来がまったくない浪々の日々を過ごした」と書き出されています。読んでみるとこれが無類の面白さ。リンク先ページの最下部にある「とつぜんリストラ風雪記 1」からどうぞ。
▼雫石鉄也のとつぜんブログ:とつぜんリストラ風雪記
大変な世の中になったものだとあらためて思います。
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Posted by 中 相作 - 2010.12.12,Sun
とうとうきのう、わずか一本だけですが、煙草を吸ってしまいました。どこで吸ったかといいますと、名張市の北、伊賀市にある伊賀の里モクモク手づくりファームというところ。モクモクだけについ煙を吸いたくなって、ということでもなかったのですが、屋外の喫煙コーナーに立ち、人から勧められた煙草をついついやってしまいました。10月1日の禁煙開始以来初めての喫煙となり、このまま喫煙者に戻るのかとも案じられたのですが、なんとか一本だけで済み、すぐに禁煙者として立ち直ることができたのは喜ばしい。
親戚のおばさんにひとり、やはり10月1日から禁煙生活をつづけている年寄りがいるのですが、禁煙のストレスが原因なのか妙に怒りっぽくなったり忘れっぽくなったり、最近ではすっかり疑い深くもなってしまったそうで、旦那さんが老人会で知り合ったどこぞの婆さんにパンツを洗濯させている、との妄想を抱くに至ったと伝え聞きました。それは禁煙などには関係がなく、むしろ認知症の周辺症状と見るべきではないかとも思われます。私の場合は禁煙してから酒量が増えたかなという自覚があり、これは禁煙のストレスを紛らわせるためにからだがアルコールを欲してしまうということなのか、禁煙ってなんだか健康によくないことのような。
Posted by 中 相作 - 2010.12.05,Sun
師走を迎えてなんとなく気忙しい感じになってきましたが、しつこくも11月23日の講演「横溝正史と江戸川乱歩」の件、こちらのプログでご紹介いただきました。
▼永遠のJガール:火曜日なれど祝日なり(2010年11月23日)
▼雫石鉄也のとつぜんブログ:横溝正史生誕地碑建立6周年記念イベント(2010年11月23日)
▼KENPRODUCTION 私は眠らない。:乱歩と正史(2010年11月30日)
どうもありがとうございました。
Posted by 中 相作 - 2010.11.30,Tue
11月13日に催された名張市の恒例行事、なぞがたりなばり講演会の報告が名張市の公式サイトに掲載されました。二十周年の今年は全国から二百五十人の参加があったそうです。
▼名張市公式サイト:「なぞがたりフォーラムなばり」を見てだあこ!(2010年11月22日)
つづきまして、11月23日に神戸市で開かれた横溝正史生誕地碑建立六周年記念イベントの続報。「横溝正史と江戸川乱歩」と題した講演会の講師を相務めたのですが、ご聴講いただいたみなさんの圧倒的な好評を受け、といいますか、先日も記しましたとおり「横溝正史と江戸川乱歩 戦前篇」みたいな内容になってしまいましたのでひきつづき戦後篇もやれというのが主催団体のおぼしめしなのか、とにかく来年も講師を相務めることになりそうです。
講演会のことはこちらにちらっと記しました。
▼名張まちなかブログ:二銭銅貨煎餅か乱歩ぱいか(2010年11月29日)
そんなこんなで、講演「横溝正史と江戸川乱歩」の電子書籍もどき化は来年のイベントが終わってから、ということにしたいと思います。
Posted by 中 相作 - 2010.11.25,Thu
どうするかなあ。これはむろん、講演「横溝正史と江戸川乱歩」を書籍化するかどうか、さあどうするかなあという件なのですが、それにしてもおとといの講演には、むろんほかのご用事と抱き合わせということであったのであろうと推測されはいたしますものの、わざわざ関東地方から足を運んでくださった方々もあり、ほかにも四国から、あるいは左遷先といいますか遠島先といいますか、とにかくいろんなところから拙い講演を聴きにおいでくださった方があり、よく考えてみればずいぶんすごいことではないかと思い当たりましたので、ご聴講いただいたみなさんにあらためてお礼を申しあげたい気分です。じつは内心、横溝正史生誕地碑建立記念イベントの参加者数最低記録を叩き出すのではないかと心配してもいたのですが、どうやらそんなことにならずに済んだみたいでした。ありがたやありがたや。
それでおとといの講演、もしも書籍化するのであれば昭和31年6月30日土曜日、日比谷公園内にあるレストラン、日比谷松本楼の廊下でくりひろげられた印象的なシーンから始めることになると思います。これなわけですけど。
▼〔*18〕推理作家の出来るまで(2010年11月8日)
松本楼の廊下で握手する正史と乱歩、とりまいた人間からおのずと起きる拍手。なかなかいいシーンだとは思うのですが。
Posted by 中 相作 - 2010.11.24,Wed
この件です。
■20101105b.jpg
小春ちゃんの可愛い写真でおなじみの横溝正史先生生誕地碑建立六周年記念イベント、おかげさまで昨日無事に終了いたしました。神戸市中央区東川崎町にある東川崎地域福祉センターで午後2時開始の予定をやや遅らせ、2時10分から主催団体のひとつ神戸探偵小説愛好會の代表の方による挨拶、そのあと私の講演「横溝正史と江戸川乱歩」が2時30分、つまり海のむこうで北朝鮮がいきなり物騒なことをおっぱじめたまさにそのときその砲撃を号砲とするかのごとくにスタートして、終了したのは4時のことでした。おいでいただいたみなさんと裏方のみなさんに心から謝意を表します。
初めて板にかけたネタだったのですが、心ゆくまで演じるには五時間か六時間は必要だという手応えでした。ですからきのうは時間が不足し、「横溝正史と江戸川乱歩 戦前篇」みたいな感じでひとまずけりはつけたのですが、夕刻からの大宴会ではいっそ本にしたらどうよみたいなリクエストもいただき、そうなるとまた講演の電子書籍化かあ。
▼名張人外境:涙香、「新青年」、乱歩(pdf)
むろん再度チャレンジしてもいいのですが、なんか面倒かな、と思わないでもなく、いやどうしようかなあと思案しつつ日付が変わらないうちに帰宅することを得ました。とりいそぎご報告まで。
Posted by 中 相作 - 2010.11.21,Sun
キンドルに入れた「半七捕物帳」、おととい読んだ第五話「お化け師匠」にこんなシーンがありました。
二人を引っ張って、半七は近所の自身番へ行った。浅鯏あさりの殻からを店の前の泥に敷いていた自身番の老爺おやじは、かかえていた笊ざるをほうり出して、半七らを内へ入れた。
自身番という言葉が出てきますが、きのう読んだ第六話「半鐘の怪」には半七が自身番について解説してくれる場面が出てきましたので、ついでに引用しておきます。引用といったって、PDFファイルからコピー&ペーストするだけですが。
「自身番というのは今の派出所を大きくしたようなものです」と、半七老人は説明してくれた。
「各町内に一個所ずつあって、屋敷町にあるのは武家持ちで辻番といい、商人町あきんどまちにあるのは町人持ちで自身番というんです。俗に番屋とも云います。むかしは地主が自身に詰めたので自身番と云ったんだそうですが、後にはそれが一つの株になって、自身番の親方というのがそれを預かって、ほかに店番の男が二、三人ぐらい詰めていました。大きい自身番には、五、六人も控えているのがありました。その頃の火の見梯子は、自身番の屋根の上に付いていて、火事があると店の男が半鐘を撞くか、または町内の番太郎が撞くことになっていました。それですから半鐘になにかの間違いがあれば、さしずめ自身番のものが責任を帯びなければならないのです。今お話し申すのは小さい自身番で、親方が佐兵衛、ほかに手下の定番じょうばんが二人詰めているだけでした」
半七老人からこうした説明を聞くことも「半七捕物帳」を読む愉しみのひとつにあげられるのですが、問題は第五話「お化け師匠」にある「浅鯏の殻を店の前の泥に敷いていた」というシーン。どうしてあさりの殻を泥に敷くのかというと、履物が泥にはまり込んだりめり込んだりするのを防ぐためなのですが、おとといこの場面を読んだとき、そういえば子供のころにはまだこんな光景が見られたなということを思い出しました。昭和30年代ということになりますが、当時の名張市では未舗装道路が一般的でしたから、そこらのおばさんが、というかうちの母親なんかもそうでしたが、ごく当然のこととしてぬかるみにあさりを撒いていました。初めて読んだときには思い出しもしなかったそんな記憶がどうして再読時によみがえってきたのか。
もしかしたら、昔の話に敏感になっていたのかもしれません。『文壇よもやま話』が文庫化されたあと、それを待っていたような岡本経一さんの逝去が報じられ、以前青蛙房に電話したところ「昔のことをよく知っている者が毎日、午前中だけ出社しております」と教えられたことが思い出されて、そのエピソードから綺堂が描いた三浦老人や半七老人が連想されてきたせいで、こちらもついつい昔の話に敏感になり、過去の情景を想起しやすくなっていたということなのかもしれません。あるいは、将来について考えるのがなんとなくいやで、知らず識らず過去に眼が向いてしまう、みたいなことがあるのかもしれません。
岡本経一さんのそれと同じ日に、黒岩比佐子さんの訃報も報じられました。時事通信のウェブニュースを無断転載。
黒岩比佐子さん(くろいわ・ひさこ=ノンフィクション作家)17日午後1時37分、すい臓がんのため東京都中央区の病院で死去、52歳。東京都出身。葬儀は19日午前10時30分から東京都文京区小石川3の7の4の真珠院で。喪主は弟の清水章(しみず・あきら)氏。
慶大卒。フリーの編集者などを経てデビュー。明治のベストセラー「食道楽」の著者の知られざる人物像を掘り起こした「『食道楽』の人 村井弦斎」(04年)でサントリー学芸賞、「編集者 国木田独歩の時代」(07年)で角川財団学芸賞を受賞した。古書店などで収集した膨大な資料に基づく丹念な調査に定評があり、「古書の森 逍遙」などの著書もある。(2010/11/17-20:35)
五十二歳というのは、ちょっとつらい。というか、かなりつらい。将来について考えるのがいやになってしまいます。いやまあ、そんなこともいってられないわけですけど。
岡本経一さんと黒岩比佐子さんのご冥福をお祈りいたします。
Posted by 中 相作 - 2010.11.17,Wed
11月13日土曜、名張市恒例のミステリ講演会なぞがたりなばりが催されました。今年3月に昨年度分が実施され、七か月あまりのインターバルを置いてこの日が今年度分、と年に二回もやった日にはさすがに遠来かつ年来のリピーターの方も足を運んではくださらぬであろうと思っていたところ、それでもおひとり大阪府からわざわざおいでくださった方があったのには驚きました。
▼名張市公式サイト:「なぞがたりフォーラムなばり」に来てだあこ!(2010年9月26日)
で、逢坂剛さんと石田衣良さんのとてもくつろいだ講演はこんな感じでした。
■20101117a.jpg
ネット上を検索するとこんなブログ記事が。
▼All people are actors:なぞがたりなばり逢坂剛先生と石田衣良先生(2010年11月15日)
講演会のあとは乱歩生誕地碑広場の関連イベント「乱歩黒テントの世界」へ。スライドキネマなるだしものが初公開されることになっていました。
▼asahi.com:名張の諸君 また会いにきたよ(2010年11月5日)
▼毎日jp:乱歩黒テントの世界:愛好家らが開催 13日、名張・生誕地碑広場で /三重(2010年11月5日)
▼MSN産経ニュース:黒テントで乱歩にふれる 紙芝居、スライドキネマ上映 三重(2010年11月12日)
無理やり頼み込んで予定時間外の上演をやってもらった「押絵と旅する男」がこれ。
■20101117b.jpg
講演会の会場に取って返すとフォーラムがいまやたけなわ。
■20101117c.jpg
写真左から司会のおねえさん、ゲストの岩田準子さんと平井憲太郎さん、パネリストを務めてくれた高校生と中学生のみなさん。終盤に至って中高生諸君から電子書籍に対してすこぶる冷淡な発言が飛び出したのが印象的で、前夜からキンドルで半七捕物帳を読み始めていたあっしの立場はいってえどうなるんで? と思わないでもありませんでした。
さて、夜。遠来のみなさんによくご利用いただいている近鉄大阪線名張駅西口の名張シティホテルは一階にグリーンドロップ名張店というレストランを併設していたのですが、長引く不況の影響ということなのか、今年1月にレストランは閉店となってしまい、あとには白木屋名張駅前店が入りました。その白木屋でちびちび飲んでいるうちに、なぞがたりなばりの夜は静かにふけてゆきました。
Posted by 中 相作 - 2010.11.13,Sat
秋田稔さんの個人誌「探偵随想」の最新号で、思いがけず森下時男さんの訃報に接しました。第109号の「とりとめのない話」から引用。
◯
雨村翁のご二男、名古屋の森下時男氏が逝かれた。
「探偵小説の父 森下雨村」(平19、文源庫)の著者である。平成二十二年八月十五日、享年八十一。
この本は、高知新聞に同題で平成十八年の三月十九日から五月二十六日まで、六十回連載した評伝に加筆されたもので、ここ泉南図書館にもある。
連載中から氏と文通が始まったが、お目にかかったことはない。
◯
森下時男さんには2004年4月3日、愛知県の蟹江町で営まれた小酒井不木生誕地碑の除幕式でお目にかかりました。式のあとは当時の春日町にあったはるひ美術館、現在の清須市はるひ美術館で催されていた嶋谷自然展にご同行いただき、というのも、その嶋谷自然という日本画家は乱歩の奥さんが独身時代、故郷の坂手島で小学校の先生をしていたときその学校に通っていたらしいというかすかな乱歩つながりで足を運んだ次第だったのですが、それにおつきあいいただいたうえ、厚かましいことにご自宅にお邪魔してしまう結果となり、雨村のもとに届いていた手紙など貴重な資料を拝見したあと、図々しいことに近所のホテルで夕食までご馳走になってしまいました。
雨村が博文館を辞めることになった経緯など、興味深いお話をいろいろ伺ったのですが、高知県の佐川町にあった雨村の書斎の話もお聞きしました。書斎が行政の手で整備されることになり、いったんきれいに解体されたのですが、その後、町長が代わったせいで企画がストップしてしまい、書斎は解体されたままで保管されているとのことでした。あの話はいったいどうなったのか、お宅で拝見した雨村関連資料の行く末ともども、いささか気になるところです。
▼文源庫:探偵小説の父 森下雨村
▼名張人外境:人外境主人伝言 > 2008年1月
森下時男さんのご冥福をお祈りいたします。
Posted by 中 相作 - 2010.10.17,Sun
きょうは17日。するってえと10月1日からきのうまでまるまる十六日間の禁煙に成功しているということなわけですが、ゆうべはとうとう煙草をくゆらせている夢を見てしまいました。
▼禁煙をめぐる断章(2010年9月28日)> 無題(2010年9月29日)
夢中の紫煙もまた間違いなく禁断症状のあらわれでしょう。さーあ、カンロの健康梅のど飴なめてこようっと。
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