ああ、正史と乱歩の話が中断したままになってるな、今年も神戸で講演することになっているのだが、と思いつつ中村惠一さんの竹中英太郎関連エントリをご紹介申しあげます。
▼中村惠一の落合雑記帳:竹中英太郎と『新青年』との1928年(1)(2011年5月14日)
▼中村惠一の落合雑記帳:竹中英太郎と『新青年』との1928年(2)(2011年5月15日)
▼中村惠一の落合雑記帳:竹中英太郎と『新青年』との1928年(3)(2011年5月16日)
▼中村惠一の落合雑記帳:竹中英太郎と『新青年』との1928年(4)(2011年5月18日)
▼中村惠一の落合雑記帳:竹中英太郎と『新青年』との1928年(5)(2011年5月19日)
▼中村惠一の落合雑記帳:竹中英太郎と『新青年』との1928年(6)(2011年5月20日)
▼中村惠一の落合雑記帳:竹中英太郎と『新青年』との1928年(7)(2011年5月21日)
どこか茫然とした気分のまま毎日を過ごしているような感じなのですが、読者諸兄姉におかれてはそんなことありませんか? なぜか妙に焦ってるのに実際には何も手につかない、みたいな日々がつづいてはいても春はたしかにやってきていて、きょうのお昼前、所用あって赴いた名張市平尾地内でふと振り仰いだら当地の空と花とはこんなあんばいでした。
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春や春、春、南方のローマンス、とかいいながら朝の散歩で漫才台本を練ってみてあらためて実感させられたのは、3・11以前があまりにも遠いということです。漫才のネタにはとてもなりそうにありません。ネタとしての鮮度というよりも、むしろ事実としての重みというかアクチュアリティというか、そういうものがまるで感じられないせいです。不謹慎な喩えになりますが、3・11以前のことは完全に液状化してしまったという印象で、震災前に世間を騒がせていたニュース、たとえば京大入試Yahoo!知恵袋カンニング騒動がそうであるように、3・11以前の記憶はしっかりした手応えというものをまったく失ってしまっています。それにしても3・11以前、われわれはなんと牧歌的な世界に生きていたことか。
とはいえわれわれは3・11以後の世界を生きてるわけですから、いつまでも3・11以前のことにこだわってもいられません。いやはや、とりあえず犬と散歩してからお酒にしたいと思います。
▼出版・読書メモランダム:[古本夜話] 古本夜話86 平井蒼太と富岡多恵子『壺中庵異聞』(2011年4月7日)
▼出版・読書メモランダム:[古本夜話] 古本夜話87 探偵小説、民俗学、横溝正史『悪魔の毛鞠唄』(2011年4月9日)
▼出版・読書メモランダム:[古本夜話] 古本夜話88 六人社版『真珠郎』と『民間伝承』(2011年4月14日)
【追加】2011年4月16日
▼出版・読書メモランダム:[古本夜話] 古本夜話89 探偵小説、春秋社、松柏館(2011年4月16日)
きのうのつづきですが、不意の用事に中断を余儀なくされたせいで削がれたような気分をも味わいつつ、きのうの引用「中井英夫さんが生きていたら小躍りして喜んだに違いない。似而非文化人が原水爆反対を唱えていたとき、ひとり中井さんは原水爆賛成だった。人類を滅ぼすかもしれない折角の玩具を棄てるなど以ての外だ、と」につづく段落、すなわち「このようなことは思っていても書かれない。原発で苦しんでいるひとがいらっしゃるからである。掲示板を長く続けてきたが、考えてみると本音を書いたことなどあったかしら、と思う」という文章こそがじつは昨日付エントリの眼目になるはずでした、とつづけます。
たしかに3・11以降、笑いというものをなんとなく自主規制してしまうような心の傾きが自覚され、なにがなしストレスめいたもの、まさに「思っていても書かれない」ことによるぼんやりした鬱屈みたいなものが沈澱しているような気配を感じます。
でもって数日前、朝、犬と散歩しながらそろそろ漫才の台本を練らなくちゃなと思い当たりました。「伊賀百筆」という地域雑誌に寄稿する漫才です。
▼名張まちなかブログ:「伊賀百筆」第二十号発行(2010年12月8日)
この「伊賀百筆」第二十号、発売されるまで知らなかったのですが華房良輔さんの追悼号になっていて、関西地方に長くお住まいの方ならあるいは華房さんの名前をご存じかもしれません。私の場合はもう四十年ほど前のことになるのか遠い昔の高校生時代、「11PM」という番組が平日の夜に放送されていて、火曜日と木曜日は読売テレビの制作で司会は藤本義一さん。そこに便所の落書きの研究家として若き日の華房さんが出演していらっしゃったのをなぜか鮮明に記憶しているのですが、遥かにときが流れて名張市にお住まいになった華房さんが妙な縁から拙宅へおいでくださったとき、あああの便所の落書きを研究していらっしゃった華房さんかとじつに不思議な気分になってそのことをお伝えすると、そんな古いことをどうして知ってるのと華房さんはいたく驚いておられました。
そんなことはともかく、「伊賀百筆」第二十号には漫才一本を寄せることになっていたのですがずるずる先延ばしにしたあげく果たせず、編集部には大変な迷惑をかけてしまいましたので第二十一号では捲土重来を期さなくちゃなとばかりに数日前、犬と散歩しながら台本の構想を練ってみたのですが驚くべし。等身大の私が相方と漫才をくりひろげるというのがいつものパターンなのですが、3・11以降のストレスや鬱屈を一気に吹き払いたいという心の動きが作用したものか、頭のなかにいきなりベクレル&シーベルトという漫才コンビが登場し、その場で銃殺されても仕方ないほど非人間的な内容の漫才を始めてしまったのには驚いてしまいました。あんな漫才、とても発表できるものではありません。とはいえ、なんといえばいいのか、心が多少は軽くなったような。
ひさしぶりで中井英夫の名前を眼にした、という気がしました。なんだかとても懐かしい。
▼ですぺら掲示板2.0:スーパー一考(2011年4月11日)
「中井英夫さんが生きていたら小躍りして喜んだに違いない。似而非文化人が原水爆反対を唱えていたとき、ひとり中井さんは原水爆賛成だった。人類を滅ぼすかもしれない折角の玩具を棄てるなど以ての外だ、と」とのことで、中井さんが原水爆についてどんな発言をしていたのか私にはまったく思い出せませんが、というかここに記されたのは一考さんが中井さんから直接お聞きになったことなのかもしれませんが、いかにも中井英夫らしいエピソードではあり、そんな玩具を手にしてしまった人類の愚かさを罵倒し憎悪し呪詛しながら、それでも中井さんは報じられる地獄絵図には静かに涙を流していたのではないか。涙を流すしかなかったのではないか。
先日、池澤夏樹さんが朝日新聞にエッセイを寄せていて、ちょっと検索してみたら全文をわざわざタイピングして転載しているブログがありました。
▼かぶログ:池澤夏樹さんのコラム/「終わりと始まり」(2011年4月6日)
読んでもっとも印象に残ったのが「今からのことを言えば、我々は貧しくなる」という文章でした。ネット検索して初めて知ったのですが、東日本大震災をモチーフにした池澤さんの文章は読売新聞にも掲載されたそうで──
▼NaharajaMajabCafe:池澤夏樹さん被災地を行く(2011年4月13日)
そのエッセイにも「つまり、我々は貧しくなるのだ」と記されているらしく、いろいろと考えさせられることがあったのですが、それはまあそれとして、朝日新聞のエッセイで二番目に印象に残ったのは「最初はよく泣いた」との文章でした。なぜかというとじつは私も最初はよく泣いた口で、そんなことを告白するのは恥ずかしいことだと思って知らん顔して黙っていたのですが、告白するのしないのとことごとしく構えることではまったくないなと思い至り、と書いたところで急な用事が出来してしまいました。本日はここまで。つづきはあしたといたします。
たのしーい、なかまーが、ぽぽぽぽーん、などと浮かれたこといってる場合ではありませんでした。十日ほど前にはメディアの伝えるところをそのまま信じて、あるいは無理にでも信じようとして、福島第一原子力発電所の事故も山場を越え、収束に向かい始めたらしいと記したのですが。
▼名張まちなかブログ:福島県に思いをいたしつつ(2011年3月20日)
いまではメディアの伝えるところを信じてもとても楽観はできません。そもそも福島第一原発で何が起きているのか。何が起ころうとしているのか。福島県はどうなってしまうのか。
こちらガーディアン。
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この国でいったい何が起きたのか。
こちらニューヨークタイムズ。
■20110330b
あらためて言葉を失ってしまいます。
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