最終日のはずが、急に用事が入って、なんかばかみたいな用事だったんですけど、たったいま帰宅したところです。
なんかもう、わけわかんね、みたいな一日でした。
ではまたあした。
うーん。
ばったり。
と、倒れたりなんかはしませんけど、とにかくもう、そろそろお酒、ということにいたしますので、またあしたご機嫌をうかがいたいと思います。
それにしても、さっむいなあ毎日。
ラジオ
ラジオ文芸館
平成23・2012年1月28日 午前8時5分-8時45分
NHKラジオ第1放送
モノグラム
作:江戸川乱歩
語り:今道琢也
再放送(2011年11月12日放送)
▼NHKオンライン:ラジオ文芸館 > 2012年1月
ウェブニュース
Internet Museum
平成24・2012年10月1日 インターネットミュージアム事務局
「最後の浮世絵師」月岡芳年の特別展
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(掲載日時:2012年10月01日)
2012年10月1日(月)、東京・渋谷区の太田記念美術館で「没後120年記念 月岡芳年」展の記者内覧会が行われた。
歌川国芳の後継者で、動乱の幕末期から新時代を迎えた明治期にかけて活躍した「最後の浮世絵師」、月岡芳年(つきおかよしとし)の特別展。
谷崎潤一郎、江戸川乱歩、三島由紀夫が愛した血みどろ絵(無残絵・残酷絵)をはじめ、歴史画、妖怪画、美人画など芳年の代表作240点を網羅。新たに発見された下絵も初公開される。
芳年の大回顧展は東京では17年ぶりの開催となる。
会期は、前期が2012年10月2日(火)~10月28日(日)、後期が11月1日(木)~11月25日(日)。前後期ですべての作品が入れ替わる。入館料は一般1,000円、大高生700円、中学生以下無料。
なお、師の歌川国芳、孫弟子の鏑木清方の展覧会と連携し、横浜美術館の「はじまりは国芳」展(2012年11月3日~2013年1月14日)、鎌倉市鏑木清方記念美術館の「清方描く 江戸の残り香」展(2012年11月3日~12月9日)との相互割引プランも行われている。
演劇
木馬は廻る
平成24・2012年11月21日(水)
cafeHibicore(三重県津市美里町三郷369)
このしたやみM-PAD2012公演
▼三重県総合文化センター:三重県文化会館「M-PAD2012」
ウェブニュース
Walkerplus
平成24・2012年7月31日 角川マガジンズ
【WEB連載】すべては、角川映画からはじまった。第1回「犬神家の一族」前編(その1)文=中川右介
中川右介
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【WEB連載】すべては、角川映画からはじまった。第1回「犬神家の一族」前編(その1)文=中川右介
2012年7月31日
金田一耕肋を演じるのは石坂浩二(左)。袴姿にぼさぼさの髪型と原作に忠実な風貌で演じた。右は弁護士役の小澤栄太郎
(C)1976角川映画
これから、角川映画について書いていく。この連載でいう「角川映画」は、現在の角川映画のことではなく、1976年から90年代初頭までの角川映画だ。私にとっては、高校生から大学生、そして社会人になって数年という時代に当たる。まさに、「わが青春の角川映画」なのだが、この、いまでは歴史的作品となってしまった映画について、作品解説でもあり、世相史でもあり、個人の懐旧譚でもありという、そういうものを書いてみたい。
◆低迷していた日本映画界
70年代半ば、日本映画界は低迷していた。戦後の映画界は、松竹、東宝、東映、日活、大映という5社が、それぞれ撮影所を持ち、配給網を持ち、直営映画館を持っていた。監督も脚本家も、スターから大部屋までの俳優をも専属で抱え、もちろん撮影所の大道具・小道具、照明、衣装といったすべてのスタッフは映画会社の社員――このような垂直統合型のビジネスモデルだった。
だが、テレビの普及と共に映画界は斜陽化する。*1日活はロマンポルノ路線へ転向、大映は71年に倒産し、74年からは徳間書店の傘下で再出発することになった(はるか後、2002年に、徳間は大映を角川書店に売却し、今日の角川映画となるが、それはまた別の話だ)。
残る3社も、東映の時代劇黄金時代は過去となり、それに代わる任侠路線も終わり、『仁義なき戦い』に始まる実録路線も行き詰まろうとしており、その主役だった菅原文太の『トラック野郎』シリーズが安定しているくらいだった。松竹は『男はつらいよ』シリーズでもっている状況だ。東宝は早くから製作と配給・興行を分離させる合理化に取り組み、製作会社を子会社化していた。そのため、企画に柔軟性があり、経営は安定していた。
◆忘れられていた巨匠
このように日本映画が低迷しているなか、当時の角川書店の社長だった角川春樹は映画製作に乗り出した。その第1作が76年秋公開の『犬神家の一族』だった。この映画が大ヒットしたことにより、日本映画界は大きく変わっていく。それだけではなく、出版の世界にも変革は波及し、そして何よりも、ミステリとSFを中心としたエンターテインメント小説全般にも大きな影響を及ぼした。そして後には歌謡曲、アイドルの世界まで動かしていく。
角川文庫が横溝正史作品を発行し始めたのは、71年4月の『八つ墓村』が最初だ。以後、『悪魔の手毬唄』『獄門島』『悪魔が来りて笛を吹く』と続いて、『犬神家の一族』は5冊目に当たり、72年6月に刊行された。この刊行の順番は作品が書かれた順ではない。「売れそうな順」だ。*2最初の5冊はすべてこの後に映画化されるが、初めから映画にしようと考えていたわけでもない。そもそも、まだ「角川映画」は存在しないのだ。
日本の探偵小説の歴史における二大巨匠は江戸川乱歩と横溝正史だが、私の少年時代、つまり60年代は江戸川乱歩と明智小五郎はクラスメートの誰もが知っていたが、横溝正史と金田一耕助は誰も知らなかったと言っていい。私自身、乱歩の少年探偵シリーズは全て読んでいたが、小学生時代、横溝はその名すら知らなかった。時代は松本清張を代表とする社会派ミステリの全盛期だったのだ。
横溝は60年代はほぼ忘れられていた。新作は旧作の中編を長編にしたものが数点あるだけだった。それが、まず70年に講談社が「横溝正史全集」全10巻を刊行し、横溝自身が『真説金田一耕助』*3で「それが思いのほか好評を博し」と書くように、よく売れた。「そのことが呼び水になったかして、私の作品が順次別の出版社から文庫本として出はじめた」のだ。
その「別の出版社」こそが角川書店だった。角川文庫はライバルの新潮文庫に対抗しようと、ミステリやSFといったエンターテインメント路線を開拓していたのだ。狙いは当たり、角川文庫の横溝作品は版を重ねた。そして、映画化の話が来る。だが、それは、『犬神家~』ではない。
(第2回続く)※2012年8/21頃更新予定
★中川右介プロフィール:「クラシックジャーナル」編集長。1960年生まれ。クラシック音楽、歌舞伎、映画、歌謡曲などの著書多数。主な著書に『大女優物語』(新潮新書)『山口百恵 赤と青とイミテイション・ゴールドと 』(朝日文庫)など
<文章注>*1:日本の映画の観客動員のピークは1985年の11億2745万人で、当時の日本の人口は9000万人台なので、ひとりが一年に11回以上、映画館に足を運んでいたことになる。これが翌年の「皇太子ご成婚」によりテレビが普及したことによって激減し、1975年には1億7402万人にまで減っていた。
70年代に入ると五社体制は崩壊していた。スター俳優や映画監督は自らの意志、あるいは合理化により専属契約を解除し、フリーになり、なかには自分のプロダクションを設立する者もいた。そして、多くの才能がテレビ界に流れた。
*2: 横溝著『真説 金田一耕助』にはの前後の事情について、こうある。
【たまたま昭和四十六年の春、「八つ墓村」が角川文庫にとりあげられたところ、それが意外な売れ行きを示して、またたくまに十万までいった。
そのとき中島河太郎氏が私にいった。
「いまどきどういう読者が『八つ墓村』を読むんでしょうねえ」
その時点では推理小説に全然無垢な若い、新しい読者がとびついてきたのだとは、まだわかっていなかったのである。推理文壇に対して、岡目八目的存在であるはずの中島河太郎にすらわからなかったくらいだから、当の本人にわかりようがない。大変奇異な思いをしていると、「八つ墓村」が当たったについて、あれもこれもと求められるままに渡しているうちに、だんだん点数がふえていった。出版社のほうではよいものから順に名指してくるのだから、点数がふえるらしたがって、質が定価していくのは理の当然である。そのことはわれらの仲間、大内茂男なども早くから指摘しているとおりだが、こっちもおいおい気恥ずかしくなって、「ええ加減にしてくださいよ。これ以上出すと、おたくのコケンにかかわりますよ」と、尻込みしても、相手はなにしろ織田信長を気取り、高杉晋作を身近に感じるという角川春樹のことだから、私みたいなカボソイ神経の持ち主では太刀打ちできない。押しの強いことでは天下一品のこの若大将に、うわめ遣いにねだられると、私はあわれ愍然、たちどころに腰砕けになってイイダクダク、とうとう総数四十点ということになってしまった。】 この時点では、四十点だが、この後、角川文庫の横溝作品はさらに増えていく。
*3:「真説 金田一耕助」 毎日新聞に1976年9月から翌年8月まで連載されたエッセイ。街日新聞社から刊行された後、1979年1月に角川文庫に。
雑誌
週刊現代 9月3日号
平成23・2011年8月19日発売 第53巻第34号 講談社
B5判 218ページ 定価400円(本体381円)
江戸川乱歩『陰獣』
〈グラビア文学館〉第12回 p193ー204
主演:古村比呂
撮影:沢渡朔
作品解説:鹿島茂
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作品解説
ゴスロリの教祖が予言してみせたSとMの可逆性
鹿島茂
『陰獣』について同世代の友人たちと語りあっていたとき、その中の一人が話している内容がどうもかみ合わないので、問いただしてみたところ、その友人の頭にあったのは洋ポルノ映画の題によく使われる『淫獣』の方であった。これには大笑いしたが、しかし、考えてみると江戸川乱歩のこの作品にあっては、陰獣と淫獣はさながら実像と虚像のようにピタリと照応している。見事なコレスポンダンス(調和)と言わざるをえない。きっと乱歩も同じような漢字の連想を働かせていたにちがいない。
書籍
完盗オンサイト
玖村まゆみ
平成23・2011年8月8日第一刷 講談社
B6判 カバー 319ページ 本体1500円
第57回江戸川乱歩賞受賞作(「クライミング ハイ」)
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完盗オンサイト
プロローグ
激しい雨が泥土をたたいている。風がうなり、木々の葉が吹き飛ばされていく。
千代田区千代田、皇居・大道盆栽仕立場。
稲光が漆黒の闇を切り裂いた。刹那、何百もの盆栽が夜に浮かび上がる。悠久の時と深い愛情によって育まれた名品たちだ。盆栽は今、屋外にある仕立場で枝葉を揺らし、嵐が去るのを待っている。
同じころ、閉園後の東御苑で雨に打たれる男がいた。大道盆栽仕立場から直線距離にして四百メートル。かつて武器庫として使われていた富士見多聞の陰に潜み、男は灯りの消えた宮内庁の庁舎を見下ろしていた。
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講談社BOOK倶楽部:完盗オンサイト
残月祭の詳細なレポートがありました。有栖川有栖さんのファンらしき方のブログですが、平井憲太郎さんのお話も克明に再現されていて、乱歩ファンのみなさんにもご一読をお勧めする次第です。
▼ラピスへのひとりごと:【妖しの世界への誘い】レポ1(2011年7月26日)
▼ラピスへのひとりごと:【妖しの世界への誘い】レポ2(2011年7月26日)
▼ラピスへのひとりごと:【妖しの世界への誘い】レポ3(2011年7月26日)
▼ラピスへのひとりごと:【妖しの世界への誘い】レポ4(2011年7月26日)
ちなみに残月祭で二番目に笑えた乱歩のエピソードはといいますと、レポ3のエントリに記されているこのくだりでした。
「福島への疎開に貨車二台!しかし経済的に困って就活を始め、履歴書を返されたことも。
玉音放送の翌日16日には「その履歴書はなかったことに」と乱筆で。嬉しかったんですね。
履歴書の手跡が一点一画もおろそかにしない几帳面なものであったのに対し、「なかったことに」という手紙は打って変わって乱筆だった、というあたりに愛すべき稚気が横溢している感じで、じつに微笑ましいエピソードでした。
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