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Nabari Ningaikyo Blog
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Posted by 中 相作 - 2017.06.16,Fri

 『貼雑乱歩(仮題、変更予定)』のための引用集。

 創元推理文庫版『人生の阿呆』から、文庫本で十ページもある木々高太郎の「自序」。

 冒頭から引きます。

 自分の作品に、自分で序を書くと言うのは、作者の足りないところを先きに弁護もし、註解もするようで、何となく好ましくないのであるが、この作には、そうする必要があり、又、意味もあると感ずるために、それをする。
 この作の作者は、巷間に、医学博士であるとか、或いは大学教授であるとか、種々なる噂を生んでいると聞く。そして、或時は、そのためにだけ、この作者の作品が価値あるように、言いふらされていると聞く。
 作者は、この作を提出するに当って、先ず、それを、訂正して貰い度いのである。この作の作者は、少しも医学博士ではない。又、少しも大学教授なぞでもない。否、よし、彼が、そうであったにしても、彼はそのような風袋ふうたいの故に、自分の作品を評価さるることなきを、切に、希望する。彼は唯生れたるままの彼として、一介の作家として、評価もされ、蔑視もされ度いと、切に願う。何故ならば、実際に、彼はそうなのであるから。
 彼は、日本の下層階級の、普通の家に生れた。そして、彼の場合には、実際は曾祖母なのであったが、一切の条件が、ほかの家での祖母に相当したから、彼も亦、祖母と考えていた、その祖母に、甘やかされて育った、平凡な、田舎生れの子であった。
 祖母に育てられた長男は、やくざである、意気地なしである、とは一般に言われていることであるし、全くその通りであった。彼も亦、やくざにせられ、蔭では、馬鹿だの意気地なしだのと言われて、大きくなった。少年時代は、両親、親族一同が、彼の文学への僅かな芽生えを、憎悪し、嫌忌けんきし、ことごとく摘み去ろうとした。しかも、それは可なり苛酷に。──その時代は、文学などと言うものは、子供を悪るくすることより外に、能なきもので、世をあげて、蛇蝎だかつの如く忌み、圧迫すきものであるとの、考えが、この国の親達を支配していたからで、まことに止むを得ぬことでもあった。
 祖母は、文学も何も、皆目かいもくわからぬ人であったが、不思議にも、孫のすることは一々善意に解釈した。作者は、此処ここで、不思議にもと言う。それは、不思議以外のものではない。世の、どの子供よりも、劣っていればと言って、少しもすぐれてはいなかった、彼の、頭の先から爪の先まで、祖母は善く解釈した。或る時は、彼自身、余りに見当違いな、善意の解釈に、祖母をわらいもした。
 それは、唯々、盲目の愛と言うより外はない。動物愛などよりも、更らにはるかに、盲目の愛であった。
 斯うして、祖母に甘やかされて育てられ、そして、青年時代を放縦無頼に過ごさなかったとすれば、それは、自然法則に反する。彼も、自然法則には、反しなかった。僅かに、独逸ドイツ語と露西亜ロシヤ語とを少しく学び、それ等の言葉で書かれた医学書を、少しく興味を持って読んだほかに、彼の青年時代は、他に迷惑をかける外に、何も為さなかった、と言っていい。そうして、既に、相当年をとってしまう迄、彼は何事も為さず、ますます貧乏となる生活を、所有するだけで あった。
 彼は、斯くの如く、つまらぬ人間であった。寧ろ、比較を絶して、劣っている、わがさがを嘆くより外には、何ものをも所有しない、人間であった。
 唯一つだけ、それでも、彼には異常なところがあった。それは、わが心を、ほかの世界の悪意から、守ることだけに、勇気を持っていた点である。心とは何か。それは、内界の世界と言っ てもいい。単に、自分と言ってもいい。即ち、彼は、自分を頑強に、守り通した。やくざでもあり、意気地なしでもあった彼が、勇猛に、果敢に、この守備だけは、やって来たのであった。
 そして、可なり老いて、昭和九年の秋、初めて、一篇の探偵小説を書いた。彼が書いたのではない、友人、海野十三が、寧ろ執拗にすすめて、彼をして書かしめたと言った方が、当っているかも知れぬ。それが、「新青年」に紹介せられた、彼の処女作「網膜脈視症」であった。
 ついで翌年、連続して、五つの短篇を書いた。この間に、友人、海野十三、水谷準の二人が、作者に与えて呉れた激励については、作者は常に感銘の心を持つ。
 此等の労作の間に、作者のうちには、まことに不思議なる、探偵小説への情熱が、湧いて来たのである。
 探偵小説への好みは、既に、長い前から、彼にはあった。祖母に甘やかされて育った、長男の如きものにして、およそ探偵小説への好みを有しないものは、稀であろう。彼も、その例に洩れなかった。雑誌「新青年」は、その初期より、彼の愛読する雑誌であった。日本の探偵小説を代表するかに見える、江川乱歩の諸作は、もとより彼の愛読するところであった。この奇異なる文学は、凡そ早くから、彼の心をしていたのである。言わば、読者としては、既に卒業の期に近かった彼は、外に為すない彼には珍らしく、探偵小説に対する、一隻眼が養成せられてあったのだ。
 そして、自分で作家として歩み始めてから、この一隻眼を以って眺めると、彼には可なり不思議と思われる、現象がみられるのである。
 それは、彼が既に読者であった間に、幾度か疑問を起し、幾度かその疑問に答えていた、探偵小説の本質に関する問題であった。日本の探偵小説壇には、まだまだ、探偵小説非芸術論の盛んであることであった。尤も、斯く言えば、欧米の探偵小説壇に於ても、亦同じである。探偵小説は文学でも、芸術でもないと言う、探偵実話や、犯罪実話からの出源を、まだ忘れることの出来ない、それを、まだ克服することの出来ない、説が、威を振っていることであった。
 彼の進む可き、そして、日本探偵小説壇が、励まなくてはならぬ道は、正に此処にあると、彼は思った。彼は、敢然として立ち、探偵小説芸術論の旗の下に、新らしい道を歩んでみようと、決心した。
 此のような思想は、最もナイーヴには、探偵小説は、一度読まれて、そして直ちに捨てられるものであってはならぬ、と言うテーゼとして言い表わされる。月々の雑誌で読み捨てられ、読んでいるうちは面白いが、二度と再び読む気がしない、探偵実話や探偵記事と、同じものであってはならぬ、と言う思想から来ている。探偵小説も、正に、純文学の小説、酌みて尽きざる、芸術でなくてはならぬ、と言う思想から来ている。斯く言えば人は、その思想を追いつめてゆけば、探偵小説は無くなって、純文学へ帰して了いはせぬか、と言うであろう。否、断じて否。探偵小説は、一定の条件(形式)をそなえた文学である。詩歌が一定の条件を持ち、戯曲が、一定の条件を持つのと、同じである。而も、詩歌や戯曲は、その条件が、完全に美しく、みたされれば充たさるる程、文学としてすぐれて来るのであって、決して、遂にこれが同じ一つの形式に、帰一して了いはせぬのである。同じように、探偵小説は、その条件が充されれば充たさるる程、すぐれた文学となるのであって、斯くして、益々芸術となるのである。
 然らば、探偵小説の条件とは何か。それは、謎があり、論理的思索があり、そして、解決がある、と言う、三つの重要なる条件である。此処では、小説と論理的思索との結合がある。この二つの、全く異った精神活動が、奇しくも結合して出来る文学が、即ち、探偵小説であった。この意味に於ては、あらゆる文学のうちで、探偵小説は、最も理智的にして、最も高尚なる精神活動の、文学であって、同時に、最も情感的な、スリルを伴う文学でもある、と言うことになる。この如き文学は、文学発展の歴史にあって、極めて近代の発見にかかるもので、将来の生長は、まだまだ、測り知られぬものがなくてはならぬのだ。

 木々高太郎の著作権はまだ生きてますから、大量に引きすぎてちょっとまずいかな。

 ともあれ、これを読んだ乱歩はおおいに技癢を感じたのではないかと思われます。

 森鷗外の真似をして技癢とか書くのは悪い趣味だとも思いますけど。
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